「無駄」

私どもが、ごく平らな地面を歩いていくときには、およそ30センチほどの幅があれば、歩いて行くことが可能です。
では、川幅20メートルくらいの急流にかかる橋を渡ることを想像してみましょう。
幅30センチほどの板しかかかっていなかったとしたなら、どうでしょう。
理屈の上では十分、歩いて渡るのに可能な幅であるにもかかわらず、
現実はとても恐くて渡れるものではありません。
しかし、この橋の幅が10メートルだったらどうでしょうか?
誰も恐いと思わないはずです。
歩くための幅は30センチもあれば十分なのに、10メートルもあるわけですから、
10メートルから30センチを引いた、残り9メートル70センチは、道幅としては無駄な部分ということができます。
しかし、この9メートル70センチという無駄があることによって、安心して橋を渡ることができるのです。
したがって、この橋の場合にはこの9メートル70センチは、決して無駄なものではなく、
むしろ、この橋を安心して渡るために必要な条件であるということができます。
この急流にかかる橋の例のように、
理屈からいえば一軒無駄に見えることでも、私どもが安心を得るためには、
どうしても必要な無駄というものが大切である、ということになります。
「無駄を省け、無駄を省け」と、ちまたではよくいわれておりますが
一見「無駄」に見えるものも実は大切なものである、
というものが、まだまだ世の中にはたくさんあります。
出典[人生を楽しめ!]大藪 正哉 著 乃木坂出版
※100人の一歩より


