2011年3月11日、全てを飲み込む黒い津波が、宮城県気仙沼市を襲った。高さ20メートルにも及ぶ巨大な水の壁は、街の家々を容赦なく薙ぎ倒し、絶望的な光景だけが残された。しかし、その瓦礫の海の中に、まるで時が止まったかのように、ただ一軒だけ凛として佇む古民家があった。
この家を建てたのは、宮大工の佐藤仁さん。彼は、神社仏閣の建築を専門とする「気仙大工」と呼ばれる、伝統的な職人集団の一人だ。
彼らが手がける建築は、現代のそれとは一線を画す。地質調査や複雑な計算に頼るのではなく、長年の経験と研ぎ澄まされた「勘」だけを頼りに、木と木を組み上げていく。釘をほとんど使わず、木材同士の特性を読み解き、互いを支え合わせる「木組み」という伝統技術。それは、自然の力を受け流し、しなやかに耐える、先人たちの知恵の結晶だった。
この古来の技術こそが、未曽有の大津波から家を守り抜いたのだ。しかし、その技術は、現代において継承の危機に瀕している。全てが手作業で行われるため、通常の倍以上の時間と手間がかかる。効率が重視される現代では、その価値はなかなか理解されず、気仙大工の数は減る一方だった。
「津波は悲しい出来事だった。でも…」。佐藤さんの弟子である佐藤謙太郎さんは、複雑な胸の内を語る。この悲劇がなければ、気仙大工の技術がこれほどまでに注目されることはなかったかもしれない。この「奇跡の家」をきっかけに、先人たちが築き上げてきた技術の本当の価値を知り、もっと多くの人にその素晴らしさが広がってほしい、と。
災害という悲劇の中で、日本の伝統技術が示した圧倒的な強さ。それは、効率や計算だけでは測れない、職人の魂が宿る「ものづくり」の尊さを、私たちに静かに、しかし力強く語りかけている。


※フェイスブックページ「忘れられた真実」より



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