【おばあちゃん、この留守電は一生消さへん】

30歳になった次の日、朝っぱら、突然の実家からの電話に二日酔いの気分の悪さも加わって、応対の悪さには自分ながら嫌気がさした。「なに?おかん」すぐにでも煎餅布団に潜り込みたい俺の耳に母親の泣き声が小さく聞こえる。「おばあちゃん、亡くならはった」あまりの小さな声にもう一度問い直す。「なに?よう聞こえへん」「昨夜の深夜に死なはった。今日お通夜するさかい、すぐ帰ってきて」突然の言葉に、祖母の死を認識し悲しむよりも冷静に喪服を探していた。今思うと、あの時の心は全く波打っていない湖上に立っているような、今まで感じたことのない静かな感覚だった。「おばあちゃん、何が欲しい?」祖母の米寿の誕生日、まったくモノを欲しがらない世代の祖母は、電話越しに、「ほんなら携帯電話欲しいな」喉頭がんを再発した祖母は寝たきりの生活を送っていた。入院しなければならないが、祖母の意志で強引に自宅で療養していた。「手の届くところに電話があらへんから……。 携帯電話があったらいつでもお前と話できるやろ」両親に言えばいつでも用意してくれたであろうが、きっと祖母はそんなこと親父たちには言ってなかっただろう。すぐに携帯電話を送り、分かりやすく説明しろと妹に言った。「ありがとうな。電話届いたで」送って三日後に一度電話があった。着信モニターに”おばあちゃん”の文字が灯ることは、それからなかった。実家に戻る新幹線の中で、昨日の夜にあった着信履歴に気づいたのは、ちょうと富士山の横を通り過ぎていた頃であった。着信メモリーを押すと”おばあちゃん”の文字。居酒屋で俺が20代最後の夜だとはしゃぎ回っていた時、病床から最後の力で俺に電話をしてきた祖母。胸が締めつけられる。涙が出る。留守録に一件入っている。恐い。祖母が俺を責めているように思えてどうしても開けない。新幹線は雪の残るホームで止まった。東京とまた違った冷たさの漂うホームに降りる。三年ぶりであった。手に握っている携帯電話がずっと気になっている。改札を出ると迎えに来るはずの妹の車がない。すぐ来るだろうと駅のベンチに座る。タバコをくわえてはみるが、 やはり気になって落ち着かない。ダイヤルする留守番センターの番号。機械的なアナウンスも、今日は飛ばす気になれない。「1月22日午後11時23分のメッセージです」心臓が大きく一度波打った。「○○か?30歳おめでとうな。元気でしてるか? 30になったんや、ちょっとはしっかりしい。 顔見せにたまには帰っておいで、ほなな」この直後、意識がなくなったらしい。俺に人生観と倫理観、 そして人への接し方を厳しく教えてくれたおばあちゃん。俺、もっと頑張る。そしてこの留守電は一生消さへん。
参考本:NTTふれあいトーク大賞、優秀作品集(NTT出版) 「おばあちゃんのメッセージ」


