こころのチキンスープより

新居を探していたエレンとアレックス・ペトリコーンは、四軒目か五軒目の家を見に行く途中、畑の横を車で通り過ぎた。
エレンが窓から外を見たそのとき、行く手の道路と畑をさえぎる溝を、野ネズミの赤ん坊かリス・・・
またはシマリスのような何かが這い上がってくるのが目に入った。
「リスがいるわ!」と彼女は叫んだ。
アレックスは、目を凝らして見た。
「リスじゃない・・・子ネコだよ」
彼らは車を止めて、車から降り、驚かせないようつま先立ちで近づいた。
子ネコは、哀れな鳴き声をあげた。
エレンは子ネコがこれほど大きな口を開くのを見たことがなかった。
抱き上げると、子ネコは彼女の髪の中にもぐり込もうとした。
がたがたと震えている。
もう11月に入り、子ネコがひとりで戸外を歩き回るにはあまりにも寒かった。
獣医に寄って診てもらってから、ペトリコーン夫妻は彼を家に連れ帰り、迷子のネコの問い合わせが来ていないか、あちこちのペット店やシェルターに電話でたずねた。
地元の新聞にも広告を載せ、小さな町の至るところにチラシを貼った。
しかし、何の連絡もなかったので、彼らはその白黒のネコを引き取りジャックと名付けた。
ジャックとエレンとアレックスは新居に落ち着き、何年間か幸せに暮らした。
それから悲劇が起きた。
三月のある雨の夜、仕事を終えて家に帰る途中に、アレックスが交通事故に遭って亡くなったのである。
29歳だった。
エレンは夫の死を悲しみ悼んでいるまもなく、財政的な危機に見舞われた。
彼女自身、勤め先から解雇されてしまったのだ。
これまでふたりで働いて返してきた車や家のローンも、いまやすべて彼女ひとりの肩にかかっていたというのに。
彼女は鬱状態に陥り、睡眠障害を訴えるようになった。
たったひとつのなぐさめは、ネコのジャックがエレンのそばにつききりでいてくれたことである。
彼は家中彼女のあとをついて回り、彼女が外出したときは窓辺に座ってその帰りを待った。
夜は、彼女の枕元で眠った。
決して邪魔することはなかったが、いつも姿が見えるところにいてくれた。
毛皮と髭をもった生き物のなぐさめが欲しくなったときは、いつでも手を伸ばしさえすればよかったのである。
エレンはジャックの行動に驚いていた。
もともと人なつこい猫ではあったけれど、独立心も旺盛だったからだ。
それが今は、まるで犬のように献身的に付き添ってくれるのである。
エレンが起きればジャックも起きる。
彼女が座れば彼も座った。
夜は浴室にまでついてきて、洗面台に飛び乗り、彼女が顔を洗い、歯をみがくのを待っているのだった。
しかし、こうしたなぐさめにもかかわらず、大切な人を失った心の痛手からいつまでも立ち直れなかった。
とりわけつらいこと続きだったある週の終わり、寝る支度をしながら、どうしようもなく心が落ち込んでいた。
浴室の洗面台の前で、片手に持った睡眠薬のビンから、もう一方の手のひらに錠剤をあけようとして、そのままぼんやりと立ち尽くした。
打ちのめされ、もうこれ以上生きていく気力もなかった。
ジャックが彼女の横の洗面台に飛び乗った。
だが、彼女はその音を聞きもしなければ、その姿に気づきもしなかった。
この睡眠薬をひとビン飲んだら、何もかもが終わりになる……。
それしか考えていなかった。
そのとき、ジャックが手を挙げて彼女の手のひらをぴしゃりと叩いた。
エレンは驚いて跳び上がった。
振り返ると、ジャックが首を傾げて自分を見ていた。
その瞳に、心配とも好奇心ともつかない何かを浮かべ、「いったい何をしてるんだ」と言っているみたいに。
突然、我に返ってエレンは思った。
私はいったい何をしているんだろう、と。
とっさに、彼女は睡眠薬をゴミ箱に投げ捨てた。
それから、キッチンに行って、昔ながらのホットミルクを自分とジャックのために用意した。
床につくと、彼女はジャックをぎゅっと抱きしめて約束した。
もう二度と彼を置いていこうなどと思わないことを。
小さな仕草・・・ネコの手が何か言いたげにぽんと叩いてくれたこと・・・が彼女を崖っぷちから引き戻してくれたのだ。
その晩エレンは、何か月ぶりかでぐっすり眠った。
エリック・スワンソン



