学びとは「没頭」である。

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いい大学に入学し、いい企業に就職し、結婚ができれば安泰だというレールはなくなってしまった。..


私の時代でさえ、もう20年前になるか、就職氷河期であり、勉強して4大に入り
そこそこ優等生で人生順調にやってきた子達の

ほとんどが就職が決まらないということを目の当たりにした。
容姿も、性格的にも、要領的にも、申し分のない子達ばかりった。
その子たちは初めての挫折、しかも原因もわからない不採用通知に次々と家に引きこもり、うつ病に陥っていた。

私の時も、これからの時代の人も特に生きた方は変わる。
もう、「いかにいい大学にはいるか」ではなく、「いかに自分だけの幸福を見つけ、追及するか」なんだと思う。

2016年、東大卒で電通に入社した就職エリートの子でさえも、自殺をしてしまった。
そこにはやっぱり幸せのレールはなかったんだとテレビの前で震撼した記憶がある。

今までおそらく小さい頃からしっかり寄り添い、女の子をいい大学まで入れた、
親御さんは並大抵のサポートではなかったのではないかなと想像する。
親御さんの気持ちを思うと胸が張り裂けそうになった。
 

いかに自分だけの幸福を見つけ、追及するかは、
自分で好きなことを決め、自分で学んでいく力だ。
また学んでいく力を「没頭」という。

だから、「没頭する」対象は、数学や英語、料理だろうと、ダンスだろうとなんでもあり得る。
その人がこころから、没頭できていれば、それを私たちは「学び」という。

「学び」と聞いたとき、多くの人はいわゆる「お勉強」を想像するだろう。

たとえば、数学や物理といったおなじみの化学や、散々暗記させられた公式、年号の数々。
映像として浮かぶのは、教卓や黒板、教科書、ノートなど「お勉強」に必要な小道具たちだ。

この、「お勉強」と「学び」とは明確に違うものとしてとらえている。
「お勉強」は学校のカリキュラムに従って、教師の話を聞いたり、テストを受けたり、

計算ドリルを解いたり、まるでこれは、企業の思惑通りに動く社員を育成する研修と同じだ。
要は与えられたものををこなす作業である。

対して、「学び」は常に能動的だ。
全く分からない世界に足を踏み入れ、新しい体験や考え方を味わう事すべてである。

言うまでもないけれど、いくらお勉強しても自分で行き先を決める生き方にはたどり着けない。

お勉強で身につくのは、敷かれたレールに乗る習慣だけ。その習慣が身についてしまった人は
一ヵ月のテストや解くべき問題集が机になければ、自ら何かを学ぶことはないだろう。

なぜなら彼らが目的としているのは、「与えられた課題をこなし、大人に認められること」だけだからである。

でも「学び」を楽しんでいる人は違う。
没頭している人にとっては、正解か見つからないことも、
自ら動かなければ取り組むべき課題が見つからないことも、没頭する対象がある限り
それは「楽しい」ことだ。

だから、当然のことだが、あらゆるイノベーションを生み出すのは「お勉強」ではなく「学び」だ。
夢中になっているからこそ、人は一日中それについて思考をめぐらし、新しいことを思いつくことができる。

今の学問と呼ばれるものは、言ってしまえば、誰かの没頭体験だ。
今の学校で覚えるべき公式はあらかじめ用意されたものではない。
誰かが没頭してしまった姿である。。
ビルゲイツや、スティーブジョブスだって
気の向くままに没頭をし続け、道なき道を突き進んでいったものである。


私のくだらない話をすると、実は私は英語に「没頭」していた。毎日オンラインレッスンを5時間、
子どもが1歳に上がる間1年間やった。そこからは数年2時間ずつ毎日やった。
 

学生時代、デザインスクールには通わず自分でウエブデザインを学び
コンクールを出し、賞にはいり、そこで目をかけてもらい学生起業した先輩たちと仕事をした。
最初から分厚い本を買い、やりたいところから読み漁り覚えていった。
それから派生して、シスアド、マルチメディア検定、色彩検定など興味が湧いて受けてみた。
入り口はデザインであったが、派生してパソコンも詳しくなった。
こっちは学生時代であったし、ほとんど寝ずにやっていた記憶がある。

スクールの起業も、これまで没頭した英会話とパソコンを使い、
フィリピンで現地の人と生活をして違う国の人となにかを作り上げるということが、単純に楽しかったのだ。
これも子供がいるので深夜や早朝に作業し没頭している。
もちろん、不安はめちゃくちゃあった。上手くいかずに泣いたこともこの5年間で沢山あった。
体中が湿疹がでたり、でも突き進めるものは、なにかどうしても形にしたい、よい形にしたいという「好奇心」であった。

とにかく寝る間を惜しむくらい「楽しさ」に没頭すると、
何かのモノになるかもしれないのではないかと
私自身も少し感じている。

大したことのない趣味の組み合わせでもなにかができるはず。

しかも、没頭するという事は、人間全員に備わっている力だ。
私たち大人も小さいころからいろんなものに没頭し続けてきたはずだ。
勉強ができるとか、運動神経がいいとか、遺伝的なものも関係ない。
子どもも全員持つ力。

だから、よくオンラインでも子どもにベタつきに張り付いて、
できないと、叱り飛ばすようなお母様に
「テストはないのですか?」

と聞かれる。
私は、
「あくまで子供が楽しんで伸びることばかり気にしています。」
という。

プログラムを練るときに、必ず自分の子供でしばらく食べすのだけれど、
子どもが爆笑している顏、夢中になってお絵かきをしている顏、
絵本に夢中になっている顏、
そんなのばっかり見ている。

逆にそこからでないと、自分のものにならないと思っているから。

よく、楽しそうにやってます。
英検、リスニング満点でした。
外国人と臆せず会話ができてます。
と言ってくれる。
毎回テストをやって叱り飛ばさなくても、良い結果にたどり着く。

とにかく、そこが私たちのスクールの拘りです。
そして、私はこの伸びる仕掛けを作ることに没頭し続けています。

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引用:すべての教育は「洗脳」である 堀江貴文