2017.8.8みかんの里 吉田ぶらり旅 Part2(初代温州みかんの孫木) | 愛工房のブログ

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『初代温州みかんの孫木』

 

 宇和地方に温州みかんが導入されたのはいつか。明治43年愛媛県農会発行の「愛媛の柑橘」によると吉田町立間字白井谷、加賀山古吉翁の屋敷に1本の紀の国密柑(小みかん)が植えられた、とある。温州みかんは60年遅れて今から約290年前、吉田町立間の加賀山平治郎翁により、土佐から導入した1本の苗木が始まりという。この古木は明治10年に枯れてしまったが、2代目は13年前まで頑張った。現在は3代目の木で、六城山の標高110メートルにある加賀山東喜雄さん(68)のみかん畑で元気に育っている。樹高2メートル、200個ほどの実を付けており、勧められて食べてみたが甘味も酸味も塩梅(あんばい)よく美味しかった。後日、東喜雄さん(立間1番耕地字白井谷)に電話で確認したら、古吉翁が初代で平治郎翁が2代目、自分は8代目とのことだった。

 孫木のある急傾斜地の10メートル下までは軽トラックで上がれるが、案内してもらわないと1人では難しい。革靴で出かけた私は急傾斜を降りる途中でずるりと滑った。

 みかん専業の東喜雄さんは若いときに1年間アメリカへ農業研修に行っただけで、それ以外は吉田町で2ヘクタールの畑を守って生活している。長年のみかん生産で思い出に残ることがあったかを尋ねると「昭和38年、39年ごろ、高給取りの年収が32万円位で、うちの所得税は45万円だった」という。国税局は情実を恐れ、担当税務署長を若手のエリートに代えて送り込み、税収効果を挙げていたらしい。

 

 

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