2023年11月25日
カラハンテぺからハラン(ハッラーン・Harran)への道中
古代都市ソグマタール(Soğmatar)の後は、シュアイブ(Şuayb)の町を目指します。
テクテク山脈を南下すること15-20分ほどでシュアイブの町が見えてきた
見た感じソグマタールより一回り小さいかな。
前回のソグマタールの記事でも書いた通り、シュアイブはモーセの義父であるエテロが住んでいたとされる町。
エテロ(ジェスロ・JETHRO)のイスラームの名前がシュアイブ(ŞUAYB)で、彼にちなんで後に町の名前がシュアイブになったんだとか。
(正確には今回訪れたこの場所はOzkent Villageという名前の村で、この辺り一帯の歴史地区を「シュアイブの町」と呼ぶようになったらしい)
見ての通りとってものどかな感じ。
新キャラ登場。イケメン担当とお笑い担当です
シュアイブはソグマタールに輪をかけて未発掘・未調査なので、この土地の歴史がどこまで遡るのか明白になってない。
比較的近年の時代で分かっているだけでもローマ・ビザンチン・セルジューク・オスマン帝国の痕跡が残っているらしい。
エテロは紀元前15世紀前後の話になるんだろうけど、近辺のソグマタールさらにはギョベクリテペ・カラハンテぺ、そしてこれから行くハランを考えると、もっともっと古くからあるんだろうな
現在地上に残っている遺跡のほとんどが西暦4-5世紀のローマ時代後期のもの。
ローマ以前の古代都市は地面の下に埋まってしまっている状態なので、凄い場所なんだけど特に見どころはなし
(掘りたい~、けどそのままで良いのかも)
少しだけ掘られた古代墓地があった
ここにはいくつか住居や崇拝所だったと思われる洞窟が残っていて、エテロはそういった洞窟を使っていたとか。
上の方にはいかにもローマな神殿跡
石で造られた壁や通路の跡が見て取れる
これは後にハランに住む人達が夏の間シュアイブで過ごすために作られた集落の跡だとか。
お金持ちの別荘といった感じだったのかな。
一通りさっと見たので、シュアイブを出ます。
(いつの間にか子供達が増えてた)
更に15分ほど運転して次に寄ったのは、ハン・エル・バルール(Han El-Ba'rur Kervansarayı)と呼ばれるキャラバンサライ。
ハランとバグダッドを行き来する貿易キャラバンの休憩所として、1228年-1229年にかけて建設されたんだって。これはまさにシルクロード
(地図はネットから拝借)
ほんとになーんにも無い広いキャラバンサライ跡でした
でもこういうの見るとなんかワクワクしてしまう。
当時はなかなか豪華だったんだろうな。
モスクや浴場の跡もあって、さらには警備室まであった。
そして次に寄ったのが、先ほどのキャラバンサライから10分ほどの所にあるバズダ洞窟(Bazda Caves)。
手前で駐車して、民家の間を歩いて行く。
どうやら人が住んでるっぽい。
洞窟の入り口に到着。
この洞窟は西暦2世紀から13世紀までのギリシャ・ローマ時代に使われていた巨大採石場で、先ほどのシュアイブも含めてこの辺りのその時代の遺跡はこの採石場から採れた石で造られているらしい。採石場を営む会社があったとか。
とは言っても周辺のもっと古い遺跡でもここの石が使われているらしいので、超古代から使われていたんだろうなぁ。
中に入るとかなり気温が下がって寒いほど。
夏に涼みに来る人もいるんだって。
ここがどれだけ広いかこの写真で全然伝わらないんだけど、天井までの高さは15メートルほどあった
重機もない時代にいったいどうやってここまで掘ったんだろう。
いくつもの部屋があって、奥の一番大きな部屋は大きすぎて写真に収まらなかった。
よく崩れないように掘ったもんだわ。
切り口も綺麗すぎるし、どうやって運んだんだろう。
途中で子供たちが自転車で入って来て爆速でこぎながら大騒ぎし始めたのでガイドのTahaが注意したらしぶしぶ大人しくなったんだけど、しかめっ面で何か言ってる。
外までついてきたから何言ってんのか聞いたら、「オレらの親は偉いんだぞ」とか「この辺りで自転車持ってるのオレらだけだぞ」とか言ってるらしい
悪い顔してますわ。やれやれ(笑)
先ほどのバズダ洞窟付近を外からみるとこんな感じ
さて、ここから30分ほどかけていよいよ最終目的地のハランへ向かいます