おはよ!
それでは行きます!
先ずは昔…
12才位から!!
その頃僕は中学生でした。
祖父母は教師、親は医者と(親父は謎)といい家庭に生んで貰い、親のレールまっしぐらに嫌気を覚えてた時期です。
中学生の分際でいっちょまえにグレてました。
それはもう、とめどなく。
当時から頭のおかしかった私は、『サイドスローで玉を投げられるようになりたい。』
それだけで野球部に入部しました。
でもほんとはゴルフやりたかったんです。
だからピッチャーマウンドに穴開けて皆でゴルフしてました。
野球部の顧問に見つかり、責任は当然首謀者の私に。
顧問『クビじゃ。』
12才でリストラを覚えた僕は世界に絶望しました。
その日、学校から家に帰ると学校から連絡受けた親が待っていました。
出ていきなさい。
自分のやりたい事、したい事ばかりならこの家にはいらない。
自立しなさい。
そう言って貰い、バカな私は意気揚々と家を後にしました。
確か13才位、胸には期待と希望しか詰まっていませんでした。
(ここら辺から、行動が急にアクティブになります)
自由の風を感じながら四国を飛び出し、名古屋に着いて町をフラフラして、大阪に上陸して約一ヶ月。
そろそろ死にそうになったので、働く事に。
一ヶ月で友達も沢山できました。
『かっこいいから』
その理由だけでバカな私は美容室で住み込みで働く事に。
約3年程働いた後、室内じゃなく室外で働いてみたくなり、美容室を後にしました。
シゲ君とその御家族、ほんとにありがとう。
その頃、ガリガリだった僕は何の仕事をするか悩んでいました。
当時15才。
僕の周りには働きだす子も増え、色々と外の仕事の話を聞いていく内に、『鳶職』に興味を持ちました。
周りから『お前はガリガリだから無理だ。』
そう言われた次の日にバカな私は履歴書持って鳶職の会社を勝手に訪問しました。
『今日から働きなさい。』
そう言われ働く事に。
約3年働き、会社から1つのチームを頂きました。
18才でチームを持つことは異例でしたし、僕自身舐められたくなかったのでチーム内の誰よりも頑張りました。
(僕のチームは35才~58才)
一年経ってやっと、認められてきた所で背骨の骨が砕け、重い物はもう持てなくなりました。
50回位泣いた後、その会社を後にしました。
支えてくれた川村さん、ありがとう。
父みたいな人でした。
つづく。
次はいよいよホスト編です。
じゃーのー♪
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