今年の愛山荘の人日の節句では、
お参りされた方には、徳が入りました。
言葉やその方全存在の中に、棘や刺すような傷つけるようなエネルギーがないのです。
身近で最も徳のある人から、どれだけ言われても全く、誰も傷つかないのを、思い出し、
この徳の仕組みに思い至りました。あくまで私見です。
かつては、教育の場で、叱咤、叱咤、がございましたが、社会や、される本人も受け入れるものがありました。
それは、かつての日本人には徳が備わっていたのだと思います。
誰も傷つけない、誰も傷つかない世の中になっていくには、徳積みです。