ナイジェリアの首都アブジャに行ってきた。



JICAと大使館で働いている方と会ってお話しする機会を得たからだ。
もちろん、観光目的もあったけど。



JICAは国から開発のためのお金をもらって、プロジェクトを立案する。どこどこで井戸掘ろー、とか。
それを民間団体などにお金と計画を渡して、それを指導したり助言したりするわけだ。

開発に興味がある人にとって、JICAは一つの選択肢にあるのではなかろうか。





――――――なんで今の仕事をしているのか、なんでナイジェリアなのか。


・・・ナイジェリアであることにこだわりのある人はいなかった。とりあえずアフリカ、とか時期的にとか成り行きだった。アイセックの海外インターンかっ。

今の仕事は、大学の時に開発に興味持って院に行ったとか、アイセックの海外インターンに行った人もいた。
実をいうと、衝撃的な体験でもあるかと期待してけれど、そんなことはなかった。




――――――やりがいは?


プロジェクトの結果は短期ではそんなに現れるものではないけれど、やっぱりプロジェクトがうまくいった時にやりがいを感じるらしい。




農村で考えたことの続きになるけど、自分は問題に対して働きかけるなら、本当に問題の当事者を幸せにしたいって思えるようになりたいと思っている。
それは、その人たちを良く知ってて、「自分」の枠の中に入れることだと思っている。


全く見ず知らずの人のために自分の多くを捧げられるほど僕は自己犠牲的な人間ではない。




もちろん、自分の全く知らない人でも、自分のした行動によってその人が幸福になれるならそれは自分にとっても喜びだろう。

もし「自分」を本当に必要とされているならむしろ本望だろう。



でもそれは、社会問題の現場で、開発の分野で働いていないと出来ないことなのだろうか?




ってここまで書いて気づいた。




結局、自分が求めているものは達成感ややりがいであって、貧困やそこから派生する問題それ自体に対しては、直接取り組もうとは本気で思ってはいないのではないか。





自分本位、自己中心的なものだ。




その点、あの人たちのように開発に携わるという選択肢もむしろ考えうる。




例えば、先日いったあの村でもっと長く住んでみて、彼らのことをよく知って、喜怒哀楽を共有して。
そしたら彼らを本気で喜ばせてあげようと思えるかもしれない。
そうやって自分が彼らを喜ばせられる幸福感。自分が必要とされる幸福感。



そこには多くの犠牲が伴う。多くの機会費用・物質的に豊かな生活・便利さ。



いろんなものを天秤にかけて、自分がこの先どうするのか考えなきゃならないと思う。