私のダンサーとしての活動について
出来事やその時の想いを振り返っています。
いよいよ後半です!
前回の記事
では大学を辞めてからある転機を経てダンスの仕事を頂ける事が増えた時期の事を。
今回は、大学を辞める時の親との約束を果たすための動きやダンス一本の生活に移行した時期について書きます。
2014年5月 アルバイトを辞める (Aico22歳)
大学を辞める時の親との約束は
「周りが就職する年 つまり23歳までにダンサーとして自立する目処を立てておくこと」
でした。
親から見て、これができていないと判断されれば大学を通い直すのが条件。
大学を辞めたは良いもののやはり常に不安はついて回ってきてたので、正直この時は10月生まれくらいがよかったなぁなんて思いました。笑 (私は5月生まれ。早いw)
それでも
普通に大学に通っていたらどこかに就職して初任給で親にご飯ご馳走して、、、なんていう周りと同じ人生があったはずのものを捨ててきてる以上、この約束には私も納得していました。
なので23歳直前にアルバイトを辞め
ダンス一本で生活していく事を決意。
正直まだこの時点ではダンスだけで生計が立てられるほどではありませんでした。
すごい先輩たちだらけだったし、私なんかが簡単にやっていけるほど甘い世界ではありません。
それでも、自分を崖っぷちに追い込まないとだめだ!と思って決意しました。
もちろんダンスで充分生計が立てられるようになってからアルバイトを辞めるっていう流れが理想だったとは思うのだけど、それっていつだろうって思ったんです。
明日かもしれないし、10年後かもしれない。
そんな確証のないもの待ってたらスピードが遅くなるだけだから、背水の陣にして自分を本気で焦らせないといけないと思ったんです。
今月〇〇円足りなさそうだからバイトしよう
じゃなくて、
足りない分もダンスの営業して仕事取ってこよう
って考えに変えました。
言葉でこうやって書くと軽く見えるけど
すごく大変なことで。
それでもそうしようって思ったのは、親との約束を果たしたいという気持ち以外にも2つ理由がありました。
まず1つは
ダンサーになりたい→ ダンスの時間を確保するためにフリーターになる→ ダンスだけじゃ食ってけない→ 結局バイトを増やす→ ダンスする時間が減る
というループに陥ってる人たちをたくさんたくさん見てきたという事。ダンサーに限らず夢を目指して頑張る人たちの多くがこのループ現象にあると思うんです。
私なんかより100倍上手い人とかがバイトしてたりすると、この世界で私がやってくのは無理なんじゃないかと何回も思いました。
それでも私はどうにかして打破したかった。自分の環境を変えたかったんです。
2つめは
母親に肩身の狭い思いをさせてしまっていた事。
大学を辞めてからはかなり応援モードでいてくれて、活動が活発になるにつれ私の事を誇らしいとさえ言ってくれた母。その気持ちはもちろん本心だったと思います。
でもある日、
母が久しぶりの友人に会った時にお互いの子供の話になり、私が大学を辞めた事は最後まで言い出せずに通い続けてる事にしてしまったと報告されました。
それを聞いて私は
申し訳ない思いでいっぱいになりました。
私は母にとって、人には言いにくいような行動をしてしまったんだと。隠したくなるような事だったんだと。
私は自分の道に後悔はしていなかったし信念をもって動いていたつもりだったけど、それが母を苦しめていた事がすごくショックでした。思い出すと涙がでてきます。。。
そんな理由から、
私は一刻も早くダンス一本で生活しようと思いアルバイトを辞めました。
2014年6月 ニューヨークへ行く (Aico23歳)
日本で定期的にレッスンを持たせて頂いていたので長期間は諦め少しだけでしたが、
1人でニューヨークに行ってきました。
海外は何度か経験してましたが、
1人で行くのは人生初。
飛行機ももちろん1人。
死ぬかと思った。笑
もちろんダンスの修行をするために行きました!
あとは英語や文化の勉強も兼ねて。
一応大学では国際学部だったしね!
毎日違う国の人達と一緒にレッスンを受けて
初めてブロードウェイミュージカルを見たり、
現地にいた友達や知人にも助けてもらいながらいろんな場所に行ったり、時には1人で夜中のニューヨークを歩いたり、、、
そして実は、現メンバーのCAN★に出会ったのはこのニューヨークのダンスレッスンでした。
偶然話したらまさかのプリマを知っててくれてて仲良くなったんだぁ。本当何が起こるかいつ誰に出会うか分からない!
そんな感じで、短期間ながらもすごくたくさんの経験ができました。そしてかなりメンタルが鍛えられました。地下鉄で露出狂に会ったりしたしね。笑
この時についても過去のブログでまとめてるので良かったら読んでもらえたら嬉しいです!
(こういう時ブログ書いておいてよかったなって思う。笑)
☞ ニューヨーク1人旅で思った事
☜
日本でのダンサーの価値がニューヨークくらい上がればいいなぁと特に思いました!
自分自身の価値観も色々変わり
本当に行ってよかったと思えた修行でした。
そして帰国してからは
ニューヨークで得た事や経験をとにかく生かしたくて、またたくさんイベント出演を再開!!
ナンバーとしてのPRIMA DONNAはもちろんですが、仕事でのPRIMA DONNAの現場もありがたい事にかなり増えていたので本当にたくさんショーを作りました!!
お台場のフェスや
NIKEのイベントに出演させて頂いたり
帰国したCAN★とも一緒に活動するようになりました!
↓HABA化粧品イベントにて
ジローラモさんや萬田久子さんと共演。
ハロウィンシーズンもかなり色んな現場に出演させて頂き、ダンスイベントからメディア関係まで幅広くパフォーマンスすることができました!
プリマドンナの踊ってみた
ということで、普段ダンサーのショーを見ない人もチェックしやすいように既存のアーティストさんのコピーダンスを踊る企画。
実際にプリってみた映像からプリマを知ってくれた人達も結構いるみたいで嬉しいです!
コツコツ撮ってきて、今では第11弾までYouTubeにアップされてます!プリマのYouTubeは ☞ こちら
☜
普段プリマがステージでやらないような曲もやってます!最新版の第12弾も近日公開予定!
そして、パフォーマンス中にマイクを持つようになったのもこの頃。
ニ
ューヨークで色んなダンサーを見た時に
一番驚いたのは自己発信レベルの高さ。
自分を表現したり知ってもらう為にできることは全部やるのが当たり前でしょって感じで、
ダンサーは5分枠の出演&喋らない
という日本で私が思っていたダンサー出演の暗黙のルールみたいなのにこだわらなくてもいいんじゃないかって思えたんです。
やっぱり話すことって大事で、
ただ踊って終わり!よりも自己紹介するだけで覚えてもらいやすくなるし、Twitterのアカウント伝えればフォロワーも増えるし、トークで何かミスってしまったとしても親近感を持ってもらえたりする。
とにかく、私達を更に知ってもらうための大事なツールだと思ったのでメンバーとトーク練習もたくさんしました。
トークの練習するためにカラオケ籠るダンスグループなんてなかなかないんじゃないかな!笑
新しい事に色々挑戦するってすごくパワーがいる事だし環境の変化もたくさんあった中、頑張って対応してくれたメンバー達には本当に感謝しています!
そして個人での仕事もたくさんさせてもらった23歳!!
22歳の頃に引き続き、
アーティストさんの振付やバックダンサーもさせて頂いてました。
アーティスト 中村舞子の振付&演出をさせてもらったり!
↑パフォーマンスはEAの子達が頑張ってくれました!
2014年末のミュージックステーションスーパーライブにもバックダンサーとして出演させて頂きました。
ずっと観る側だったMステにダンサー出演できたことは本当に貴重な経験でした!!
関係者のみなさま本当にありがとうございました。
これを機に改めて
表舞台での活動にとても魅力を感じました。
コカコーラ飲料水「Glaceau Vitaminwater (グラソービタミンウォーター)」のオフィシャルダンサーをつとめさせて頂くようにもなりました。
活動のスポンサー的な企業さんと関われることは目標の1つでもあったのでとても幸せです!!
MCのお仕事も
引き続きやらせてもらっていました!
↓これは慶応ダンスイベント@CITTA'にて
こんな感じでノンストップで活動をした23歳。そして親も認めてくれで大学に戻れとは言わないでいてくれて、更に応援してくれるようにもなりました。
アルバイトを辞めてからというもの、
何より使える時間が増えたので急な出演案件やオーディションに対応できるようになったり、人と会う頻度を増やせたりしたのも仕事の増加に繋がったのかなと思っています。
母に肩身の狭い思いをさせてしまっていたからこそ、もっと親孝行できるように頑張りたいと強く感じた時期でした。
そしてこの時期に作った仕事の基盤をもとに、そのあとのPRIMA DONNAの活動が大きく変わっていきます。
次へ続く!ラストです!