《2024年3月25日》ー凄まじいパワハラ女子の恵庭のK | aichanの双極性日記

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私の住むアパートは千歳のはずれにあり、最も近いコンビニまで1キロもある。

 

自転車の使えない冬季は、だから買物が大変になる。

 

そこで娘が土日に私をクルマで迎えにきてくれ、私は千歳のトライアルまで連れていってもらって買物をしている。

 

帰りもクルマで送ってくれるので、一度に大量の商品を買うことができ、ホントに助かっている。

 

さて、このトライアルに私は昔、パートで就職したことがある。

 

千歳で開店させるための人員のひとりとして採用されたのだ。

 

元妻と離婚して娘と1年だけ千歳で生活していたころのことだ。

 

配属されたのは鮮魚部。

 

私は毎日、鮮魚コーナーのバックヤードで魚や魚卵などをパックしたり値段票を付けたりしていた。

 

しかし、わずか数ヵ月で職場を追われた。

 

当時、私は「Yahoo! ブログ」をやっていて、その中でトライアルでの仕事の内容も書いていた。

 

そのころのトライアルはパワハラが全盛で、鮮魚部では若い職員がリーダーだったのだが、他の地域のトライアルからやってきた先輩たち数人がその若いリーダーの仕事ぶりを常時監視し、少しでもミスがあると激しく罵倒していた。

 

聞いているだけで胸が悪くなるような罵倒だった。

 

その余波は私たちパートにまで及んだ。

 

教育係という職名の職員は私たちパートがミスするたびにあざけり、激しく馬鹿にした。

 

私はその実態をブログに書いていた。

 

ある日、「これはパワハラというやつだな」と感じた私はボイスレコーダーを胸ポケットに隠して鮮魚部のバックヤードに入った。

 

教育係はいつものように私たちパートを罵りあざけって笑った。

 

私のボイスレコーダーはそれらの声を見事に録音してくれた。

 

すると「店長がお呼びだ」と職員に言われ、私は店長室まで行った。

 

「なんでここに呼ばれたかわかる?」と店長は私に聞いてきた。

 

私には見当がつかなくて「わかりません」と答えた。

 

すると店長はA4判の封筒を私に差し出した。

 

封筒の表を見ると「トライアル千歳店 教育係様」と書かれていた。

 

消印を見ると隣町の恵庭だった。

 

「中身を出してみて」と店長に言われ、私は封筒の口から中から書類を引き出した。

 

それは私が書いた「Yahoo! ブログ」がそのまま印刷されたものだった。

 

そこには「死ね! トライアル」という一文があった。

 

それは確かに私が書いた一文だった。

 

トライアルのパワハラに怒りを感じた私はそんな表現でトライアルを罵ったのだ。

 

「覚えがあるね?」と店長が聞いてきた。

 

「はい。私が書いたものです」と私は答えた。

 

「こんなふうに書かれては店が困るんです」と店長は言った。

 

まあそうだろうなと私は思った。

 

しかし、私は事実をそのまま書いただけだ。

 

「本当にパワハラがあったのならなくさなければなりません」と店長は続けた。

 

「しかし、ここまであからさまに書かれては店の信用が落ちます。仕事場にボイスレコーダーを持ち込むなんて違反ですよ。下手すると名誉毀損にもなる」とも店長は言った。

 

私は黙っていた。

 

「この書類を送ってきた人に思い当たりはありますか?」と店長は話題を変えた。

 

私は「あります」と答えた。

 

千歳のトライアルに入る前、私は恵庭のサンマルコ食品という工場で働いていた。

 

〈サンマルコ食品恵庭工場〉

 

〈「サンマルコ食品」で作られている冷凍コロッケ〉

 

冷凍コロッケを作って販売している会社だ。

 

そこの最終工程であるラインに私は配属された。

 

その工場では、茹でたジャガイモを潰してコロッケ型にして衣を付けて冷凍したものをどんどん作っていた。

 

その冷凍コロッケが私の配属されたラインにベルトコンベアーでドバドバと流れてくる。

 

その冷凍コロッケを拾って片手に5個ずつ掴み、手前を流れているポケットに入れていくのが私たちの主な作業だった。

 

しかし私はコロッケをうまく掴むことができず、先輩の女性パートからさんざん罵声を浴びせられた。

 

先輩といっても私より20歳は若いと思われるKという珍しい苗字の恵庭に住む女性だった。

 

彼女は私の下手くそ加減にいつも怒りをぶちまけ、私を非難するのだった。

 

私はそれまでいろいろな仕事に就いたが、どんな仕事でも人並み以上の実績を上げてきた。

 

しかし、「コロッケ掴み」だけはどう工夫してもうまくできなかった。

 

それでKに毎日怒鳴られ、罵られた。

 

我慢していたら私はPTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまって、そこを辞めざるを得なくなった。

 

Kから逃げたのだ。

 

私と同じ日に入ったおばさんパートもKのパワハラのせいでたった1日で辞めた。

 

しかし私はブログは続けていた。

 

すると、あるときから同じ女性と思われる人から頻繁にコメントが寄せられるようになった。

 

ただのコメントではなく、私を罵倒する内容のものばかりだった。

 

「誰だろう?」と私は考えた。

 

考えつづけているうち、恵庭のサンマルコ食品の工場で働いていたときに私にパワハラをしかけてきた若い女性Kの口調とそっくりなことに気づいた。

 

「Kだ」と私は確信した。

 

そういう目でコメントを読んでみると、彼女の口調そっくりで、罵倒の論点も仕方もそっくりだった。

 

Kはたまたま私のブログを見つけ、読んでみると恵庭のサンマルコ食品で働いていたことも私は書いていたので、PTSDになって辞めていった私のブログだと彼女はすぐ察し、それで罵倒コメントを毎日のように書いてきたのだ。

 

その後、PTSDが軽快したので私は千歳のトライアルに入った。

 

そのこともブログに書いた。

 

そしてトライアルの実態も書いた。

 

それを読んだKは、私をおとしいれるため、わざわざそのページを印刷し、トライアルまで送付したのだ。

 

「恵庭」の消印がその証拠だと私は思った。

 

それで店長に「この書類を送ってきた人に思い当たりはありますか?」と聞かれたとき、すぐ「あります」と答えたのだ。

 

「あなたはこの人にずいぶん恨まれているようですね」と店長は言った。

 

「何かあったんですか?」と聞かれた。

 

答えるような内容とも思えず私は黙っていた。

 

黙っている私に店長は「人に恨まれるような方には仕事をしていただくことはできません。今月限りで辞めていただけますか?」と言ってきた。

 

それで私はトライアルを追われた。

 

その後、私は札幌に引っ越し、一昨年、また千歳に戻ってきた。

 

娘のクルマに乗せられてトライアルに買物にいくたび、恵庭のKのことを思い出す。

 

怖い女だった。

 

それ以来、女性から強い口調の言葉を浴びせられたり、強い表現のメールなどを送られてくると私はまたPTSDになりそうになる。

 

 

【ダイエット記録】0.2キロ減った。あと-0.5キロだ。