・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・


生徒の満足度90%超!
大学受験の予備校で、現代文の指導をしているaikoです。

「大学の、その先」を考えた教育を提案します。

 
はじめましての方はこちらもどうぞ。
 
・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・





小学生の読書感想文で評価されるのは、
物語に対する共感力が 強いものです。


「私が主人公だったら〜」系です。
主に主人公に共感し 主人公から様々なことを学んだ!と結べれば、パーフェクト。
こういう作文、学校の先生の大好物ですね。

学校教育において
国語は道徳の役目も果たすので 、
これは仕方のないことです。


でも。
いわゆる「読解力」は、共感する力とは全くの別物です。

むしろ、
読解力とは 分析力
と言って良いだろうと思います。





中学受験では
「リストラされそうな中年男の悲哀」
といった 小学生の理解を越えた心情が問われたりする。

こんなの、小学生が共感できるわけがありません。


大学受験だとかつての共通一次で
「婚前に彼女を妊娠させ自殺に追い込んだが、その過去と決別する中年男」
の物語が出題されたことがあります。

こんなの、共感できたら むしろ困る。汗


そもそも高校の教科書には
森鴎外の「舞姫」が収録されています。
留学先で可愛い女の子を妊娠させて、でも責任とらずに日本に逃げ帰った男の話ですよ。
道徳的には アウトでしょう。


このように。
読書感想文を書くならば 共感力が強い方が良い。
趣味で読書を楽しむのなら 共感力が強い方が良い。

でも、
共感力が強いと 
テストで点数が取れません。


つまり、教科としての国語は
共感力や道徳心なんて めていないのです






読解力って 平たく言えば
文章に書いてあることを そのまま理解する力です。

それに対する意見は、不要です。


でも。
説明文ならまだしも、
物語文になると 途端にこれができなくなる。

これは、学校教育の弊害だと思います。
学校の先生が用意した罠に まんまとはまっちゃった子が陥る。
(先生達は、罠を仕掛けている自覚はないけれど)

国語って単純に、「ここで主人公は、何を思っているのか?」が
読み取れれば良いだけ、なのに。

そしてその読み取りの要は 分析力

主人公の性格置かれている環境など
総合的に判断する必要はありますが、
それをきちんと分析できれば 「正確な読解」となります。


選択肢を読んで、
「これは誤答だけど、こうも理解できるんじゃないかなぁ?」
と感じたことは ないでしょうか。

おそらく、一度や二度や三度、四度くらい、
もしくはもっと。
あると思います。

共感という点から行くと
「共感できるか否か」は 人によります。
そうすると、解釈が分かれる。

でも、そんな風に
解釈が分かれる部分では
設問は 作りません。

もし「こうも理解できるんじゃないかなぁ」と思うのであれば、
単純に 分析が不足しているのです。


「しょうがないよね、国語だもん!」
じゃないんです。
算数で答えが1つなように、
国語も答えは1つです。
答えが1つになるように、問題を作ります。
たまに答えがおかしい問題はありますが。
それこそが悪問よ、悪問。


まずは大人が
「しょうがないよね、国語だもん」
という考えを 改める必要があるでしょう。



♡♡♡




新御三家教員時代の経験もふまえ、

10月15日に

我が子の伴走についての勉強会をします。

中学受験を考えている方はもちろん、

中学生のお子様のいる方にも参考になります。