『高砂染め』の尾崎さんにご招待頂き
高砂神社様の能舞台で、 『高砂』 拝見してきました。
「高砂や。 この浦舟に 帆をあげて。 この浦舟に帆をあげて。 月もろともに 出で汐の。
波の淡路の島影や。 遠く鳴尾の 沖過ぎて。 はや住の江に 着きにけり。
はや住の江に 着きにけり。」
おめでたい結婚式で、昔は必ず歌われていた 『高砂』の謡
結納に必ずあった 尉と姥。
おめでたいもの とは知っていたけれど、その意味を知らずにここまできておりました![]()
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江崎欣次朗先生から、特別に解説があり、この時だけは撮影のお許しいただきました。
お能が、ドラえもんのどこでもドアの様に、 阿蘇神社から、播州高砂の浦へ。
時空を超えて 次元も超えて 私たちを 運んでくれる![]()
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尉と姥 高砂の松の長寿を詠嘆。
『 高砂の。松の春風吹き暮れて。尾上の鐘も響くなり 波は霞の磯がくれ 音こそ潮の満干なれ 』
『誰をかも 知る人にせん 高砂の 松も昔の友ならなくに 』
尉
「 『古今和歌集』の仮名序に、『高砂・住ノ江の松も相生の様に覚へ』とございます。
この爺はその住吉の者でございまして、横におります婆が当所高砂の人でございます。」
友成
「 これは何とも不思議なこと。 拝見すればご老齢で、しかもご夫婦一緒でいらっしゃるのに、
住ノ江と高砂と、遠く海と山を隔てて生活しておられるとは、一体どういうことでしょう。」
姥
「 なにをおっしゃいます。 たとえ山や海、万里を隔てようとも、
互いに心が通じ合っていれば夫婦の仲は決して遠いものじゃありませんよ」
尉
「 そもそも考えてもごらんなさい。
高砂と住ノ江の、心を持たぬ松でさえ、相生と呼ばれています。
ならば心を持つ人間に生まれたこの爺が、長年、住吉からこの婆のもとに通い、
松と同じようにこの年になるまで『相生の夫婦』をつづけたとして、何の不思議がございましょう」
姥
「 『高砂』は大昔に編まれた『万葉集』という意味 」
尉
「 『住吉』というのは、当時、世をお治めになっておられた延喜の帝(醍醐天皇)の時代と、
編纂された『古今和歌集』のことを指しているのだそうです。」
尉と姥
「 つまり『松』とは幾久しく『万葉集』から『古今和歌集』に至るまでの和歌の言の葉が栄えているように、
帝の治世を崇め申し上げる喩えとか」
「 四方の海にも波が立たず、天下泰平。国がよく治れば、吹く風すら木の枝を鳴らさぬ御代になる。
この平和の象徴が相生の松・・・。
(クリ)
「 そもそも草や木には心がないといっても、春になると花を咲かせ、秋には実を結びます。
四季の移ろいがわかっているのです。 特に春を迎える頃、
梅が南側の枝から花を咲かせていく有り様は、あたかも神徳を備えているかのように思えます」
(サシ)
「 この松という植物は、つねに同じただずまいを見せ、その姿を変えることがなく、
花を咲かせ、葉を落とすこともありません。
四季が移ろい冬を迎えても、千年変わらぬ鮮やかな緑を雪に写すという。
あるいは松は百年を十回繰り返して (千年に一度)、花を咲かせるともいわれる。」
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尉と姥
「 私達は高砂と住ノ江の神ですが、相生の夫婦の姿で現れたのです、、、
いつまでも御代が栄え、住み良い世が続くことを願うのである」
、、、、、
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そして、澄んだ月夜の住吉で、神遊びをなさる住吉明神のありがたいお姿![]()
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住吉明神
「なるほど何人もの舞姫たちの歌声のように、松の枝葉の鳴る音が 澄んで聞こえるので、
この地は『住ノ江』と呼ばれるのか。
ならば松の葉影を映して寄せては返す波は、さだめし『青海波』を舞っているのだろう」
友成
「神と帝とが一緒になって、ちょうど一本道を進むような この仁政が行われている御代。
私はその帝がおわす春の都へ向かうことといたします。」
住吉明神
「 それは都城へ還ると書く『還城楽』の舞こそふさわしい 」
友成
「 もしくは、帝の長寿を祈る『万歳楽』か」
住吉明神
「 小忌衣を身にまとって舞うのも、差し出した手で悪魔を払い、
収める手で幸福を招き寄せるためである。
また、『千秋楽』の舞は民をいたわり、『万歳楽』の舞は帝の寿命を伸ばすものである。
こうして舞う中に 相生のまつから吹いてくる風の音、
颯爽とした神の歌声を万民が楽しむのである
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時空を超えて。 次元も超えて。
ありがとうございました![]()
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