何年振りだろうか。六本木のライブハウスに行ったのは。
連れの知り合いで、岩崎良子というピアニストのライブに出かけた。
バッハのゴールドベルク変奏曲から始まったのだが、そこからフラメンコへ。それ自体は、バッハの曲であれば調性がつながれば他の曲へ移って行くことなど容易だから、と、かつて編曲なるものを施した有名曲(クラシックも歌謡曲も)の楽譜をオーケストラの仲間たちに提供していたことのある身としては、理解できたのだけれど、次にショパンの「幻想即興曲」からフラメンコへ移って行くに至っては、「え! この人はショパンとフラメンコに共通点を見出したのか!」といささか驚いたものだ。
この流れなら、アストル・ピアソラ(※1)の曲が演奏されても、当然と思わざるを得ない。ヴァイオリニストがツィゴイネルワイゼン(※2)の一節を弾いても、ええやん、合うやん、と思わざるを得ない。
編成は、ピアノ、テナーサックス、パーカッション、ギター、ヴァイオリン。それにフラメンコダンサー。
楽器にはいずれもマイクがつけられていて、PA(今はこう言うのかなあ?)で音が調整されていた。だが、最前列のかぶりつき席で聞いていた私には、実際の音も耳に入る。実際の音とPAの音に時間差がないのが、さすがプロの仕事だと思った。
演奏者たちが見ている手書きの五線譜に、自分がかつて書いていた楽譜を思い出して、共感することしきり。リハーサルでは、「ここ、こうした方がいいよ」「今のところ、こう修正したいんですけど」などとやりとりしながら、鉛筆で楽譜を書き直しつつ進めて行ったのであろう。
だからこそ、楽譜通りにやっていない箇所もあったに違いないと思う。ジャズのように全部が即興ではない。とくに、中心であるピアニストがクラシック畑の人だから。だが、即興の要素は多分に盛り込まれていた。
ピアニストは私より年齢が上。その彼女は、かなり年下のパーカッショニストと目配せをしながらバンドをリードしていた。女性パーカッショニストはすべて素手で楽器を操り、楽譜はおそらくメロディーを記した単純なもので、イメージで、記憶で曲を辿りつつ、合いの手を入れる感覚で(これが適切な表現かどうか・・・)、曲を彩っていた。
テナーサックスは、凄い年季の入った楽器だった。真鍮の楽器(金管楽器)をやっていたので知っているのだが、真鍮は錆びると緑色のカビが表面に浮かぶ。私の目にはそれが見えた。連れは、照明のせいだと否定したけれど。
ギターはフラメンコ。電線がつながっていたのでエレキギターなのだが、奏法はクラシックが元であろう。
ヴァイオリンは、ジャズにも使われることはあるけれども、クラシックの楽器。先述のツィゴイネルワイゼンをやったように、この奏者は激しく弾くのが好きらしいので、ロンカプ(※3)やってよ、それともショスタコーヴィチ?(※4)
最後はオリジナル曲2つで締めて、2時間半のライブは終った。聴衆は70名余、おかげでアーティストさんたちに挨拶をする機会にも恵まれた。
そして、これ。
最前列に座っていた私に、フラメンコダンサーが、口に咥えていたこの花を投げてくれたのだ。
筋肉質な、美しい体型に見とれていたのを見透かされたか・・・
いや、単なる偶然でしょう。正面一番前に座っていた数人の中から選ばれただけや。
何の花であろうか。赤いバラではない(当たり前や!)
終演後にこのダンサーさんにお礼を述べた。
「呪いは入ってませんから」
と言った彼女はさっと身を翻し、控え室に去って行った。
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<奥に東京タワーが見えます>
帰路。夜の六本木の街を歩いていると、日本語が聞こえてこない。
六本木を歩くのは何年振りか。二十年ではきくまい。
この町については、次回に。
※1:アルゼンチン・タンゴの大作曲家。クラシックのミュージシャンが度々取り上げる
※2:サラサーテ作曲のヴァイオリン曲。超絶技巧が必要とされる超ハイテンポの曲
※3:「序奏とロンド・カプリチオーソ」を略したクラシックファン用語。サン=サーンス作曲のヴァイオリン独奏曲。序奏は緩やかで、途中から激しくハイテンポなロンド・カプリチオーソになる
※4:ソ連の作曲家(1906-1975)。ヴァイオリン協奏曲は2曲作っており、そのうちの第1番の最終楽章は超ハイテンポで激しく弾くので、私は思い出してしまったということ。