今日は、2年前に亡くなられた書家、小川東洲先生の命日です。

小川先生との出会いは、今から40年ほど前、札幌の小料理屋さんのカウンターで隣席になったのが始まりでした。

札幌で多くのお弟子さんが通う書道教室の他に、東京の増上寺でも教えておられました。

「そこに習いに来ないか」と熱心に誘っていただきました。

その頃20代で、若い人にも書を学んでほしいという、先生の思いがあったようです。

小学生の頃、神社での寺子屋お習字の経験しかない中、ベテランのお弟子さんの仲間に加えていただきました。




小川先生は、北海道の深川市のお生まれで、同市に「深川市アートホール東洲館」があります。

先生は、北海道の「鶴」を飽くことなく見つめ、書にしたためました。

「炎」という、日本画と見紛う書も代表作品です。

ボストン美術学校の教授やハーバード大学の客員教授、オランダのライデン大学でも教鞭をとられてました。




「ハーバード大学に非常に優秀な学生がいるんだよ」とおっしゃっていたのが、雅子さまでした。

確か、婚約者発表の日に、雅子さまや小和田御一家が、小川先生の個展にいらしてたと思います。

一緒に習ってた友達と共に、先生をボストンまで訪ね、ハーバード大学を案内していただきました。

ボストンの生鮪の大トロをご馳走になったのですが、食べ過ぎて気持ち悪くなったのも、
懐かしい思い出です。




1991年に、この『魔性月光』他5点の作品がイギリスの大英博物館に所蔵されました。

1998年、大英博物館初の書展「小川東洲の芸術展」も開催されました。

『魔性月光』が観たくて、その後大英博物館の日本館を訪ねましたが、観ることは叶いませんでした。




20代後半から 10年ほど増上寺の教室に通ったのですが、仕事も忙しくなりやめることになりました。

それから十数年たち、先生が白金台のご自宅で教えることになり、当時歩いて通える場所に住んでいたため、また師事することになりました。 

書には、自分が出ますね。

条幅に何十文字も書くので、先生曰く、「すごく良い線だと思うと、でたらめな字が混じってる書」。

私から見ると、上手いなと思う書を「形に囚われてる。そんな人生はつまんないぞ。」

私の書を見て「めちゃくちゃだけど、面白い人生なんだ」と、言われたことがあります。

一応、名前もいただいていて、「岬風」(こうふう)です。

理由は、「夫を亡くした私が岬の突端で風を受けているから」とのこと。

とても気に入ってます。




ところが、両親の在宅介護が大変になり、先生に直接面会することもなく、やめてしまうことになりました。

亡くなられた1カ月後に会初めての個展が開催されました。

亡くなる1カ月前まで指導されてたとのことです。

個展のお知らせで、先生が亡くなったことを知りました。

いつでもお目にかかれると甘く考えていたのを後悔しました。

亡くなられてほどなく、京都国立近代美術館の企画展を観に行きました。

いつもは常設展はのぞかないのですが、その日はなぜか足が向いてしまいました。

そして、なんだか会場の奥にいざなわれたら、小川先生の書二点、『虫雪』と『超妙』が展示されてました。

幸せな必然に、涙があふれてしまいました。

「書は、空間の方が大事なんだ」とおっしゃられてた言葉が、強く胸に残ってます。