【能登半島地震】「支援待っていたら全員飢えていた」(1/8)

 

能登半島地震の被災地では余震が続き、多くの方が不自由な生活を強いられております。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。お願い

 

(関連記事)

能登半島地震の被災者、「金沢市などへ避難」(1/5)

ビニールハウスで避難生活 被災者の疲労ピークに(1/7)

深々と礼する被災者 隊長が言葉に詰まった場面(1/6)

 

 

そんな国内状況を知っているにもかかわらず、海外には気前が良い「岸田政権」ですが、これには「裏」があるのです。

 

過去記事を参照してください。私の予測では安倍元首相と似たような末路になると思います~はてなマーク

 

★過去記事

 

◆熊野さんが登場した夢

 

さて、夢の話をします。主人が6日に見た夢からです。

 

昔のお客様である【熊野さん】の子どもさんが登場しました。子どもさんといっても成人男性です。

 

 

1月2日に守護靈さんから出されたサインの中に、熊野(紀伊半島)と関係が深い伝説上の人物が出ましたね。

 

紀伊半島だけではなく、その人物と同じ姓の俳優さんが主演したドラマにも関係してくるそうです。

 

★過去記事

 

◆物乞いする子どもたち

【カンボジア】CHANGレポート・夜に物乞いする姉弟

 

21世紀になった今でも、発展途上国では「物乞いする子どもたち」、いわゆる「ストリートチルドレン」が多数おります。

 

主人が7日に見た夢に登場してきたのは、【物乞いする子どもたちの姿】でした。海外ではなく日本です~日本

 

NHKスペシャル【駅の子の闘い】(2018/8/12)

 

その夢の内容を聞いて思い出したのは、2018年8月12日夜に放送された【NHKスペシャル・“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~】でした。その番組は心に深く残っています。

 

★戦災孤児とは・・・

 

第二次世界大戦では、日本が戦災孤児が発生する国にまわることとなった。1945年(昭和20年)に入り、日本本土への都市無差別爆撃が行われるようになり、両親・親戚などの保護者を失う子供が急増した。

 

学童疎開中に、都市に住む家族が空襲で全滅して孤児になった子供も多い。同年8月15日の戦争終結後は、国外からの引き揚げた孤児らも含み社会問題化した。(wikiより)

 

(参考)戦災孤児(wiki)

 

NHKスペシャル“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児(NHK)

 

NHKでは、この3年間、路上生活を経験した孤児への聞き取りや、資料発掘を進めてきた。子どもたちが餓死していく日常、生きるために盗みや売春をせざるをえない子どももいた。

 

 

孤児たちが訴えるのが、国や大人たちから「見捨てられた」という思いだ。「汚い」とさげすまれ、やさしい言葉をかけてくれる大人はいなかった。

 

「戦争が終わってから本当の闘いが始まった」という孤児たち。知られざる「駅の子」の実像に迫る。(引用終了)

 

 

近い将来、我が国に再び【戦災孤児が誕生する】とは思えませんが、可能性ゼロではありません。

 

この夢の意味を守護靈さんに尋ねましたところ・・・

 

「今夏あたりから、567枠珍死予防接種する親、災害死する親が増え、孤児が増えてくるという意味だ。子どもたちは生きるために発展途上国の子どもと同じような仕事をするかもしれない~」

 

NHKスペシャルの動画が無料で公開されておりますので、是非、ご覧になってください。

 

それにしましても、放送されたのが8月12日というと【JAL123便墜落事故】が起きた日ですね~凝視 それでは~オッドアイ猫

 

★動画~2018年8月12日放送のNHKスペシャル

 

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