「ペリー来航」はご存知でしょう。その前の部分は省略します。

 

≪アメリカの日本再占領(1)日米地位協定の原型≫

思惑どおり浦賀に上陸したペリーは、アメリカ大統領の親書を手渡したが、幕府は翌年の回答を約束するのが精一杯だった。ペリーは一時日本を去るが、そのままアメリカに帰っていない。上海で約束の年明けまで待機していたのだ。これは明らかな日本狙いである。一点集中砲火で、他国のような甘い判断をしなかった

 

かくして、他の艦を加えた総勢7隻の大艦隊で江戸湾に戻ってきた。そこから全艦の砲弾を江戸にぶち込めば、木と紙でできた江戸は一夜にして消滅したはずだ。。徳川幕府は圧倒的な脅しに敗れ、横浜に上陸したペリーと「日米和親条約」を締結する。

 

解説!ペリーの黒船と開国(学校の歴史クイズ)より拝借

 

その際、下田と箱館の二港の開港と、領事の駐在を約束した。これは鎖国の終焉を意味し、特にアメリカに対し、幕府は最恵国待遇の付与を約束した。その後、アメリカから総領事ハリスが来日し、幕府との間で「日米修好通商条約」を結んだが、これは日本に関税の自主権がない不平等条約で、アメリカの領事に裁判権も認める内容だった

 

〇 1825年   異国船打払令
〇 1853年    ペリーの黒船来航
〇 1854年    日米和親条約を結ぶ
〇 1858年    日米修好通商条約を結ぶ
〇 1858年    安政の大獄
〇 1860年    桜田門外の変

 

これが今に続く、「日米地位協定」の始まりで、アメリカは一度有利に決めた内容は絶対に手放さない。しかし、アメリカ最大の目的は別にあった。日本から金(ゴールド)を略奪同然に奪い去ることだったのである

 

条約第5条で、日米貨幣の金銀等価交換が定められたが、当時の日本の銀貨「一分銀」は、幕府の信用による「表記貨幣」で、日本の金銀比価は金1に対する銀4・65で、外国の相場の金1対銀15・3と比べ銀の価値が高かった。

 

幕府は「下田条約(日露和親条約)の交渉で「金貨基準」の貨幣交換を主張したが、ハリスは「銀貨基準(洋銀)」の交換を主張し、幕府を押し切ったのである。結果、金のアメリカへの流出が止まらず、インフレーションによる国内経済の混乱が日本を叩きのめした

 

 

慌てた幕府は、貿易専用通貨「安政二朱銀」を発行し、金の流出を止めようとしたが、アメリカは条約違反を盾に国際法を持ち出し、金の合法的略奪をやめなかった。これにより、倒幕気運が全国的に高まり、国内の金銀比価が国際水準となるまでアメリカの一人勝ちが続いたのである

 

もうすぐ批准されるところだった「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も、米や牛肉の価格が問題ではなく、江戸幕府を倒したように、日本の政治体制を崩壊させ、アメリカが日本を本格占領する“撒き餌”に過ぎなかったのである。

 

欧米列強のなかで唯一アメリカが日本開国に成功した理由は、他国より「情報を得る力」「分析する力」「実行力」に長けていたからである。一方の、日本は「情報を得る力」はあっても後の能力が(今も)欠落している。

 

その後、アメリカは太平洋支配に欠かせないハワイを謀略で手に入れ、ハワイ王朝を消滅させた。アメリカにとって、日本を征服するのは、ハワイ王朝を倒し、太平洋の臍(へそ)を確立してからだった。(転載終了)

 

「知らぜざる『1%寡頭権力の王国』リッチスタン:飛鳥昭雄著」より転載しました。(※D・ロックフェラー氏死去前に書かれています)

 

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