今回は「ルーツを訪ねて」というお題で3回に分けてお送りいたします。

 

1月27日(土)9:00

浜松市天竜区にある「秋葉神社下社」に来ております。先日、ラジオを聴いていたら東京の秋葉原の地名の由来がここで、しかも「A・Ki・Ba」と濁るのが正解だというので確かめに来たらバス停の表示は「A・Ki・ha」と濁っていません。

 

 

向こうに見える山そのものがご神体の「秋葉山」ですね。秋葉神社のホームページを見ても「A・Ki・Ha」とあります。これはいったいどういう事でしょう?

 

 

いきなり急登が始まりますアップまぁ「秋葉山」だから秋葉原につながったというのは私でもく分かります。

 

 

神社まで三十丁とあります。一丁が109mだから3.2kmか? 今ひとつしっくりきませんねぇ。江戸時代、今の秋葉原一帯は下級武士の家が立ち並んでいましたが、

 

 

コースタイムは往復4時間。秋葉山の標高は885mだから今が半分ぐらいか?海抜の方がピンときますね。【火事とケンカは江戸の花】といわれたぐらい火事が多かった江戸時代、

 

 

そこで「火防(ひぶせ)」の神様との呼び声高く世に知れ渡っていた遠州の秋葉神社を今の秋葉原付近にも祀って火を鎮めようとしたのです。「秋葉講」も結成され全国津々浦々からの参拝客でたいそう賑わったそうです。

 

 

石灯籠の跡?ここが浮世絵に描かれた場所ですね。秋葉神社のことを庶民は「秋葉(A・Ki・Ba)さん」と親しみを込めて呼んでいました。今でもそうですが濁った方が言いやすいですもんね。

 

 

鳥居の礎石、昔と比べ参拝客も減ったためか?修復されずに放置されています。さらに万が一火災が発生しても延焼を防ぐために空き地を多く設けたため原っぱが広がっていたそうです。なので江戸っ子はかの地を「あきBaはら」もしくは「あきBaっぱら」と呼んでいました。

 

 

8合目付近にある「秋葉大権現」秋葉寺です。元々神仏習合でしたが明治維新の廃仏毀釈を受け、信仰が厚かったので壊さずに神社と分けられここに移りました。

 

 

デカい杉の木ですねぇ。明治23年(1890)上野から鉄道を延長することになり駅名を付ける際、田舎から出てきた人たちが一般的にそう呼んでいたことから「あきHaBaら」という読み方になったそうです。

 

 

幹周りは5m以上あると思います、知らんけど。てやんでぇ、こちとら江戸っ子だぃ。ここら辺は「あきBaっぱら」だったのを田舎モンが勝手に言い換えやがって冗談じゃねえよ。と言ったかどうかは分かりません。

 

 

「火防秋葉神社」山門、頂上はもうすぐです音譜人気アイドルグループのAKB48もひょっとしたらAKH48になっていかもしれませんね。

 

 

手水舎の脇には火打ち石もあります。どちらもお清めの意味があります。今回謎が解けてスッキリしましたニコニコ

 

 

頂上には黄金の鳥居と茅の輪くぐりがあり皆さん鳥居の周りをグルグル回っていました。秋葉山に因んだ言葉に「秋葉山から火事(を出す)」というのがありますが、これは他人を戒めるべき者が逆にその過ちを犯すことをいいます。

 

 

本殿に参拝し振り返ると、標高866mからの絶景ビックリマーク次の予定があるので急ぎ下山しましょう・・・ん?何か忘れているような気もしますが。まっいいか爆  笑

 

 

5合目付近まで下山した時気付きました、秋葉山山頂(885m)を登り忘れていることに。秋葉神社上社(866m)からたった19mだったのに。あぁ何たるチア、サンタルチアガーンいまさらジローとはこのことですね。

 

ルーツ探しの旅はつづく・・・