みなさん、クズザンポーラ。

 

 

ブータンから帰ってきてそろそろブータンが恋しくなってきたころです。

 

 

今回は、ブータン旅行の序盤に起きたこと、経験したことを書きたいと思います。

 

 

パロ国際空港に到着後、何もわからず私はパロにあるUtpal Higher Secondary Schoolに連れてこられました。後に、ここの校長が私の友人の叔父(私はUncle と呼び、この旅のなかでとてもお世話になる、真のブータン人である)の姉であることが判明。

 

 

学生のいきな計らいでなんと授業に侵入!Grade9からGrade12までのクラスにお邪魔し、日本のことやブータンのことについて質問を投げかける。

 

 

ゾンカ語(ブータンの国語)のクラスでこのような質問をした。“ブータンの国語はゾンカなのに、授業は英語で行われている。これについてみんなはどう思う?日常でのゾンカの使用に影響が出るんじゃない?”

 

 

すると一人の学生が答えてくれた。“私たちにとってゾンカはとても大事なものです。ですが、英語も同様に国際化していく社会の中で必要なので大事です。ゾンカがなくなってしまう心配はしていません。日常ではいつも使っています。”

 

 

確かに、ブータン人の会話を聞いていると、ブータン人同士での会話は基本ゾンカである。ただ、若者の間では英語で会話する人も少なくなく、ゾンカ文化が薄れているのは目に見えた。

 

 

学校を後にし、ドゥゲ・ゾンへと向かう。道沿いには荷物を運ぶ馬が隊列を組む。

 

 

ドゥゲ・ゾンは現在は廃墟と化し、2月に誕生したプリンスのために、再整備されるそう。

 

 

民家のベランダにぶら下がっているこれ。エマ(とうがらし)である。私は辛いものが苦手であり、エマは天敵だ。ブータン料理は私には正直合わなかった。

 

 

そして、なんといってもブータンといえばこれ。ポー。パロの民家の壁に描かれていたので即撮影。ティンプーなどの都市部ではポーの文化が薄れてきておりあまり見ることができない。ブータン滞在6日目ぐらいに訪れたプナカはドゥクパ・キンレイ(ポーの持ち主)で有名であり、いたるところにポーがみられた。ブータンの有名な土産物としても有名である。ちなみに私もいくつか友人のために購入。

 

続く