心配されなきゃいけないような人ってことだもんね。
今日、母親にやっぱり里帰り出産はしないことを伝えた。
そしたら、心配だから帰って来なさい的なこと言われた。
お父さんも帰ってきた方が安心だって言ってたよとか。
出た、毒親の常套句
『あなたが心配だから』
毒親はそう言う割りに、子どもにとって本当に必要なものは与えてない。
子どもが本当にそばにいてほしい時、
助けて欲しい時
受け止めて欲しかった時
味方になってもらいたかった時、
鬼のような仕打ちをしておいて
『あなたが心配』
はないでしょう。
それだけはキッパリ言える。
「あなたが心配」と子どもに言う親は、子どもを手元に置いて自分が安心したいだけ。
また、お前には出来ない
と言っている。
親本人は気付いてないけど。
そうやって、子どもの可能性をことごとく潰してきた。
私は一人暮らしをする時に
「お前には出来ない」
と父親からはっきり言われた。
当時、私28。
なのに家出るのすごく大変だった。
でも、出たけど。
そしてその後、妹が家を出る時も同じように反対したらしい。
妹は父に、
「お姉ちゃんの時もそうだったじゃん!またそうやって娘の幸せを邪魔するの!?」
とブチギレ。
あっぱれな妹です。すごい。
私はそこまで言えなかったし思い付かなかった(;゜0゜)
でも、それ!!そういうこと!!と思ったよ。
親の過剰な心配はコントロールであり支配なのだと。
例え本人達が愛情だと信じていても、
子どもが失敗するよう仕向ける行為。
子どもは、特に娘は
良くも悪くも親の期待通りに動く。
親が過剰に心配だと口にすれば、親の期待(?)通り失敗するようになる。
私は2.3歳の頃母を置いて公園からひとりで家に帰ったらひどく叱られたことがある。
心配するでしょうが!!!って。
まあ当然といえば当然だけど、何故母は私が公園から出て行った時点で気付かなかったのか。
私のことをきちんと見ていなかったのではないか。
ひとりで出来たことを誉めてもらえると内心誇りに思っていた私は
思わぬ母の怒りにショックを受け泣いてしまった。
あの時のショック、忘れられない。
これは悪いことだったの?と。
母を置いてひとりで歩くことは悪いこと。
そんな誤った認識を植え付ける体験となった。
親からしたらひとりで帰ったら危ないっていう単純なことだってのはわかる。
でも
なら、なんで見てなかった?
すごい矛盾、理不尽さを感じる。
大人になればなるほど。
親になれば親の気持ちがわかるわよ~みたいなこと良く聞くけど
さっぱりわかんないね。
ますますわからない。
むしろ、子どもによくそんなこと出来たねと思う。
公園の話なんてマシな方。
親の言うことを聞かないと
2・3歳の私を暗い押し入れに閉じ込めたり。
押し入れのふすまなんてきっと子どもの力でも開けられるけど
ふすまの向こうで怒っている両親に逆らうことは出来なかった。
親の怒りと暗闇にショックと悲しみを感じて泣きわめくしかなかった。
小学生になったある日には
真夏の炎天下の中裸足で外に出されたり。
揉み合った時に一緒に家から転がり出た片方だけの祖父の茶色いサンダル…
地面が暑いのでそのサンダルに両足を乗せてドアノブにしがみついて身体のバランスを保ちながら立っていた。
すごくのどが渇いたのを覚えてる。
そこまでして子どもをねじ伏せて、子どもに勝たなければ気が済まない親。
それで一体子どもの何が心配なのかね????
心配だと言われると白々しい気持ちになる。
私のためなんかじゃない、自分達のためだろーよと。
私の妊娠を知った祖母が、
「誰にも渡さない」
と言った。
私はゾッとした。
母のことも、そしておそらく孫である私のことも自分の“モノ”だと思ってきたのだろう。
そしておなかのこの子まで…?!
お前のものじゃねーよ、ふざけんな。
あの毒家族め。
この子には指一本さわるんじゃねー!!!
そんな気持ちになる。
とにかく、あの人達の心配には耳を貸さない。