「あなたはがんです」。そう伝えられたとき、人はまず何を考えるのだろう。医療の進歩によって、私たちはさまざまながんとの闘い方を手にした。決して正解はわからない。それでも、彼らは1つの答えを導き出した。

 通夜に2000人、告別式に600人が足を運んだと聞けば、生前どれだけ周囲に慕われた存在だったかがわかる。芸能事務所『エー・チーム』の社長で、伊藤英明(42才)や吉岡里帆(25才)らを世に送り出した小笠原明男さん(享年62)が、5月8日、大腸がんのため天国に旅立った。

「伊藤さんや吉岡さんは本当の父親のように小笠原さんを慕っていました。とにかく面倒見がよく温厚でした」(芸能関係者)

 マネジメントの一方、2008年にアメリカ・アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』に携わり、メディア関係者からの評判もよかった。

「十把一絡げに夜の街に連れ出し、全員の送りの車まで手配するような豪快さがある人でした。一方、万事手回しがよく取引先は仕事が進めやすい。悪く言う人はいませんよ」(別の芸能関係者)

 小笠原さんの体にがんが見つかったのは、今から3年ほど前のことだった。60才目前、世間一般の人は定年退職を迎える年齢だが、業界では還暦を過ぎても現役バリバリに第一線で活躍する人も多い。芸能事務所を興して約20年、脂が乗り切った矢先だった。

「“家族もいるし子供もまだ幼くて、このまま死ぬわけにはいかないんだよ”って、よく話していました。自分なりに病気のことや治療法について勉強して、たどり着いたのが、鹿児島にあるクリニックだったんです」(知人)

◆どうしても手術を避けたい

 鹿児島空港から車で40分ほどの場所に、「UMSオンコロジークリニック」(以下、UMS)がある。ここでは、全国で唯一「四次元ピンポイント照射療法」という、放射線治療の一種を施している。

「がんに放射線を立体的に当てる『三次元照射』に、呼吸による位置変化を追跡する時間軸を加えたのが『四次元ピンポイント照射療法』です。がん細胞だけを狙い撃ちし正常な細胞を傷つけることが少ないため、体の負担も軽く済むといわれています」(医療ジャーナリストの田辺功氏)

 著名人にも、UMSの患者は多い。2004年に乳がんが発覚し、翌年右乳房の全摘出手術を受けた樹木希林(75才)は、2007年頃からUMSで治療を続けている。

 2008年に肺がんで死去した筑紫哲也さん(享年73)は樹木の紹介で、最期の4か月ほどこのクリニックに通った。2016年7月に亡くなった元横綱・千代の富士の九重親方(享年61)は、2015年夏の膵臓がん手術後、転移が見つかった際にセカンドオピニオンを求めた。

 渡瀬恒彦さん(享年72)は、昨年3月に胆のうがんでこの世を去る直前、すがる思いで門を叩いたという。

 小笠原さんにとって、同時期にがん闘病し、同じクリニックに通った九重親方や渡瀬さんは、「がん戦友」だった。UMSのホームページには、こんな言葉が綴られている。

《私たちが治療してきた患者さんの多くは、「標準治療」に満足されていない方や「標準治療」を望まれていない方です。具体的には、できるだけ手術を受けたくない、あるいはできるだけ抗がん剤治療を避けたいとお考えの方が大半を占めています》

 言うなればUMSは、「切らない選択」をした患者のためのクリニックなのだ。前出の田辺氏が解説する。

「がんの治療法は、『外科手術』、抗がん剤を使った『薬物療法』、『放射線療法』の3本柱を、部位や進行具合によって組み合わせていくのが一般的です。一方、患者さんによっては、どうしても手術を避けたいという人もいます」

 九州大学名誉教授で、おんが病院・おかがき病院統括院長の杉町圭蔵氏が続ける。

「女性の乳がんの場合は、乳房の摘出をしたくないという声が圧倒的です。女性の心情的にも、胸を残したいという思いは理解できます。他にも、たとえば舌がんだと、術後に話しづらくなったりする機能障害や味覚障害が発生しますし、咽頭がんでは人工声帯で意思疎通はできますが、以前の自分の声とは変わってしまいます」

 加えて、手術と並行して行われることの多い抗がん剤治療は、人によっては、吐き気、全身のだるさ、髪の毛が抜けるといった激しい副作用を伴い、平穏な日常生活が送れないほどの過酷な状態になることもあり、クオリティー・オブ・ライフ(QOL)の低下を指摘する声も少なくない。

「手術をした上で抗がん剤を使う場合と、手術をせずに抗がん剤治療のみを行う場合もあります。手術は体力、抵抗力を低下させるため、そこに抗がん剤となれば、さらに著しいQOLの低下も考えられます」(前出・田辺氏)

 そこで選んだのが、「切らない選択」だった。九重親方は、緊急入院する4日前まで、稽古で弟子を厳しく指導し続けた。天国へと旅立ったのは、入院からわずか2週間後のことだった。

 渡瀬さんは、死去の1か月前に『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)のクランクイン会見に臨んだ。がんに加え、肺に穴が開く「気胸」の状態に陥っていた。入院中の病室では、ベッドの脇に『9係』の台本を置き、亡くなる前日も打ち合わせをしていたという。

 結果的に、彼らは命を落とした。だが、「切らない」という最期の闘い方は、彼らに死の直前まで幸福な時間をもたらしたのかもしれない。

◆病人ということを忘れさせられる

 患者の体質にもがんの状態にも左右され、がん治療に正解はない。

《抗がん剤治療で苦しむ患者さんを何人も見ました。でも、私の治療法だと、生活の質が全く落ちなかった。だから、とても満足しています》

 5月8日の朝日新聞朝刊で、樹木はUMSでの治療をそう振り返った。前述のように、樹木の体に初めてがんが見つかったのは2004年。2008年ごろには、腸や副腎、脊髄にがんが転移していることが判明し、治療を施した部位は30か所にのぼるという。2013年3月、日本アカデミー賞の授賞式での「全身がん宣言」は世間を驚かせた。「死ぬ死ぬ詐欺」と自嘲する一方、それから5年以上経っても、公衆の面前に登場する樹木は元気な様子だ。

「病人ということを忘れさせられるほどで、最近はむしろ“人生の終わりが見えて、いい作品を残したいという気持ちが高まってきた”と話すほどです。現場では、“撮り漏れのシーンがあるわよ”と、監督やスタッフより早く気づくこともあるそうです。

 ただ、がん細胞が全身に散らばっているのは事実で、がんが大きくなったのがわかったら、その都度鹿児島のクリニックに行って治療しているそうです」(映画関係者)

 がんが見つかってから10年以上経ち、体内からがんを駆逐したわけでもない。にもかかわらず、樹木が生き続ける理由はなんなのだろう。

「さまざまな治療法が確立されていますが、合う合わないはあります。樹木さんにとっては、UMSでの治療法との相性が合ったことが1つ。そして、がんを受け入れて、がんとともに生きているという自覚をもつことで、早く他のがんが見つかり結果的に長生きできているのではないでしょうか」(前出・田辺氏)

 がんに克つ──それが当たり前になる時代が1日も早くくることを願ってやまない。