ソウル市鍾路 ピマッコルの今昔 | 新・「ソウルの達人」への道

新・「ソウルの達人」への道

ソウルを中心とした韓国の魅力を不定期で紹介します。

仁寺洞にあったピマッコル。看板だけが残っていて、ここを通らないと入れない店があり、今でも通れるようになっている。



  ソウルのピマッコルはこのまま消えてしまうのか?


いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。


かつては光化門から鍾路にかけて伸びていたピマッコル。再開発によってその姿が消えていきます。

今回、ソウル事務所長が、現在進行形の再開発、再開発後のピマッコルを投稿しており、その投稿内容と、私の持っている写真を使って、ピマッコルの昔と今を比較してみようと思います。


グレーの枠


前回、ピマッコルという韓国独特の大通りから一本入ったところにある狭い路地について、載せましたが、都会のど真ん中にある狭い路地なので、どんどん再開発の対象になっています。


今回は仁寺洞にある再開発中のピマッコルと光化門にあった再開発後のピマッコルを載せてみます。


 ピッマッコルとは・・・昔々、朝鮮時代、大きな通りを王族や高官が通る際、一般庶民は平伏して、王族たちが通り過ぎるのを待たなければならなりませんでした。それだと、仕事がはかどらないということで、一般庶民だけが通る狭い路地が作られました。それがピマッコル(避馬通り)です。現在いくつか残っているものがあり、たいがい風情ある庶民的な飲食店が並んでいます。(ソウル所長)


この狭い路地がピマッコル。大通りから一本裏手に入るとこうなる。現在、右側は再開発で壁になっているが、以前は韓国らしい風情のある飲食店が軒を連ねていたのかな。(ソウル所長)

この写真を見て私は衝撃を受けました。ソウルに行く際は必ず歩くピマッコルがなくなっている!


最後にソウルへ行ったのは2年前。その時のこの場所はこんな感じでした。



右側の建物がスッポリなくなっています。


地図では、この辺りです。

かなり広いエリアで工事の柵が建てられ、工事中となっている。再開発ビルができるのか、都市公園ができるのか。(ソウル所長)

ピマッコルは、以前は鍾路のところどころにありました。



地図を拡大します。



赤い線がピマッコル。そして、今回投稿しているのは、緑の色の丸の部分です。


所長の投稿に戻ります。

曲がるとそこもピマッコルらしい。看板だけがなぜか残っている。工事のために曲がることはできないのだが。(ソウル所長)

ちょうどこの辺りには、ホテルがありました。


この安宿には泊まったことがあり、交通の便もいいので、寝るだけなら十分です。しかし、なくなりました。

工事をしようとしたら、遺跡が出てきたらしく現在の工事内容は発掘調査工事になっている。今年(2021年)の12月で終わるらしいので、その次の工事がどういう工事なのかに注目だ。(ソウル所長)

 この一帯は路地で、潰ている店舗も多かったですが、壁に書かれた絵も味のある路地でした。



知る人ぞ知るマッコリの名店もありました。



ピマッコル酒店タウン。今の写真をみると、もうなさそうです。

ピマッコルを通り抜けた反対側から見た写真。西ピマッコルと看板が残っている。(ソウル所長)

この西ピマッコルの看板のところは、以前はこんな感じでした。



そして、この辺りにはこんな路地もありました。



無くなっていないか心配です。

二人が通るとぎりぎりの狭い路地。日本にこういうところあるだろうか。(ソウル所長)

狭い路地には、以前は飲食店が並んでいました。



夕方になれば、酔っ払いの声が聴こえたり、焼肉のにおいが漂っていたピマッコル。無くなったのが残念です。


次からは、場所がちょっと変わり、以前ピマッコルだったところです。

こちらは光化門にある再開発後のピマッコル。(ソウル所長)

以前ピマッコルだった場所にビルが立ち、通路となりました。こんな広い通路は、ピマッコルではありません。

看板はよくわかりませんが、新しく見えます。昔使われていたものではないでしょう。(ソウル所長)

形だけピマッコルですね。

超一等地に狭い路地があって、小さな飲食店が並んでいた。(ソウル所長)


再開発後に建てられたビル。ルメイエル鐘路タウン。高層ビルだ。上層部はオフィスが入り、低層部は飲食店が並んでいる。ピマッコル時代にあった店も一部入っている。(ソウル所長)


高層ビルの中に狭い路地的なものを残している。(ソウル所長)


こんな綺麗に整然とした通りは、ピマッコルではありません。


以前は、この辺りには、旅館があり、路地もありました。

オリーブヤングが入っている。もちろん、ピマッコル時代にはなかったであろう。(ソウル所長)


刀削麺の店が入っている。中国料理だね。(ソウル社長)


こちらはピマッコル時代の飲食店、美進(ビジン)。(ソウル所長)


ソウル未来遺産としてこの店が指定されているが、民間の一飲食店が公的認証を受けているということに驚いた。(ソウル所長)


この店はピマッコル時代の店で、うんぬんかんぬんといろいろと説明書きが書いている。たしかに説明がないとわからないですね。(ソウル所長)


この辺りもピマッコル時代のお店だろう。(ソウル所長)

このあたりのマッチプ(美味しい店)と言えば、へジャンクのチョンジンオク(清津屋)でしょう。




1937年開業の老舗。



ピマッコル時代の店舗です。



いつの時代かわからない写真ですが、日本語も書かれています。



これが、ソンジへジャンクです。ソンジとは牛の血の固まりです。


再開発後。土地の経済的生産性ははるかに上がったであろう。(ソウル所長)


こちらはさっきのビルの隣の光化門Dタワーというビル。こちらもピマッコル時代の狭い路地的なものを残している。(ソウル所長)


ビルの中をくりぬいて、狭い路地的な通りを残している。SOHO(ソーホー)というのは中国語で小さな幸せという意味らしい。中国資本のビルになっちゃったのかな。わかりません。(ソウル所長)


なかにはゴディバやおしゃれなサンドイッチ屋さんになっていました。(ソウル所長)

ピマッコルは、近代化の波に飲まれて、店舗は朝鮮時代のものではありませんが、朝鮮時代の息づかいが残っていました。日本統治時代は、日本家屋も軒を連ねていたそうです。


クールな韓国人は、ピマッコルをあっさりと捨て、新しいビルに変えています。


ピマッコルも残すことはできなかったのでしょうか?


by aero-K