記憶力は、感情の強さによって決まる。
よって、記憶力の少なさとは、
素直さを受け入れる勇気が足りていないのではないか。
その勇気が欠けると、人は現実と心の距離を離し、
感受という知覚そのものを拒むようになる。
それは、加齢とともに「確固たる自己」という頑固さによって強化されていく。
トラウマを思い出すとき、人はその出来事が起きた年齢へと若返る。
その涙は、過去の自分がいまの自分に手渡す贈与であり、
やがて、言葉に出来ない共感という形になって現れる。
記憶力が良いというのは、
世界との和解を済ませている者への賞賛の言葉だ。
すべてに興味をもち、何もかもを意味づける勇気こそが素直さであり、
その中には、不都合な真実や、残酷な現実までもが含まれる。
記憶は、欲にも現れる。
その人の持つ欲の強さは、過去の不足をどう解釈したかの履歴である。
感情を感じきる勇気が記憶を生み、
記憶が涙として時間を越え、
涙が他者との共感に変わり、
そしてその記憶が再び欲へと姿を変えて、
人は世界と関わりつづける。