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佛教大学同窓会山口支部だより


「少しはお返しができたかしら」
       山口芸術短期大学 講師 伊勢嶋 英子


 佛大といえば、昭和62年「社会福祉士及び介護福祉士法」が成立した年を思い出す。その年、卒業を控えた者全員が急遽大学に呼ばれ、このまま卒業すれば、第一回社会福祉士国家資格の受験資格がない。試験を受けようと思えば、1年残るしかないと突然寝耳に水のような話をされ、途方にくれた。今思えば究極の選択を迫られたわけだが「海の物とも山の物とも分からない資格」のため、そのまま卒業した人も多かった。
 そして、平成元年3月、再び大学に呼ばれ受験のための願書提出の時、大学の担当の方が壇上で、厚生労働省との折衝が非常に厳しく、最初は社会福祉概論と原論の読み替えさえもだめだと言われた。特に、通信生に対しはより厳しかったと言われた。「よく皆でここまでこぎつけた。是非一人でも多く合格してください」と激励し、感極まって涙ぐまれた。その様子を見て相当厳しい状況であったことが推測され、これは自分が考えている以上に結構な資格になるなと初めて現実として捉えることが出来た。
第一回の合格者180人の内、働きながら佛大通信を受けていた者の合格者が、私の記憶が正しければ「三十数名」と全国の大学の中でもぬきんでていたと思う。さらに、記憶が正しければ、佛大通学生の合格者はゼロに近い数字だったように思う。
 さて、それから28年が経過した。「顔の見えない社会福祉士」と言われた時代もあったが、日本社会福祉士会を中心に各支部の努力により、生活課題をかかえた人びとの権利擁護の担い手として社会的地位を確かなものにしつつある。思えば、介護保険制度開始の時に成年後見制度に舵を切っていったのが成功のきっかけであったかもしれない。
 私も人生の最終ステージに入り込んではいるが、社会福祉士として成年後見制度に関わって10年以上になる。その間、弁護士や司法書士など司法の専門職とも協働する機会を持つことができ、最近やっと一人前になってきたと自覚しているところである。現在、短大で介護福祉士を目指す学生に尊厳や権利擁護に関する科目を教えているが、後輩に社会正義を貫く立ち位置だけはしっかり伝えていきたいと思っている。
そして、今、あの昭和62年が無かったら、私は社会福祉士になっていただろうかと考える時、絶対に試験を受けらせるのだという使命感から一生懸命取り組まれた佛大に対して少しはお返しが出来たかしらとあらためて思ったところである。