サムシング・グレートについて
毛利治郎さんこっそりライブのときに「偉大なる何か-サムシング・グレート-」という曲をききました。毛利さんの話によると、化学万能な現代でもどうしょうもないことはある。ゆえに神と呼ぶものだろう。
「サムシング・グレート」という言葉が頭に残った。「道徳教育の根拠を問う 大自然の摂理に学ぶ」にサムシング・グレートについての記事が出ていたので紹介します。
わたしは生命科学の研究に50年間従事していきましたが、つくづく感嘆したことがあります。細胞中の極微の空間に万巻の書物に匹敵する遺伝情報が書かれていますが、それはいったいだれが書いたのでしょうか。人間が書いたものではないことははっきりしています。最初のヒトの誕生以前にヒトの祖先である諸生物がすでにゲノム(遺伝情報)をもち、地球上に暮らしていたからです。
では物質のランダムな変化、運動によって偶然にそれが書かれたのかといえば、それももちろんあり得ないと思います。それはちょうど文字があるところにばら撒かれているとき、突然大風が吹いて舞い上がり、落ちて数万巻の有意味な本ができたというのと同じく、ありえない話だからです。
ではどうしてそれはできたのでしょうか。だれが書いたのでしょうか。それは人知を超えた偉大なあるものを想定できるのではないでしょうか。私はこれを「サムシング・グレート」と名づけその存在を提唱してきました。
(道徳教育の根拠を問う 大自然の摂理に学ぶ 村上和雄著)
次に、毛利治郎さんの詩をごらんください
ゆらぎながら形のない僕たちは どこへ向かっているのだろう。
静かなる闇のなかで僕たちは 溺れ始めている
遠くから声が聴こえる いつも何か見ている
風の中に光の中に 偉大なる何かがいる
いにしえの昔から僕たちは何一つ変ってはいない
苦しみも悲しみも憎しみも 愛も喜びも
自然からの恵を受けて 命は受け継がれる
思いをはるかにこえた 偉大なる何かがいる
水の中に花の中に風の中に土の中に 雲の中に火の中に
僕たちをはるかに超えた 偉大なる何かがいる
サムシング・グレートとしての「大自然の摂理」
サムシング・グレートとは人間の力の及ばない大自然の摂理のことです。
つまり、自然・宇宙に内在する生命、精神のことではないでしょうか。
