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歴史の迷宮に踏み込んで   歴史の謎を読み解く視点 (2)
      文字を持つ文化と無文字の文化
 前回はゲルマン民族の大移動について述べたが、大移動という「事件」はゲルマン民族自身によって記録されたことではない。文字を持っていた侵入を受けた側のローマ人の記録である。その中では、ゲルマン民族は「野蛮な」民族として描かれているのだが、もしゲルマン人が記録を残していたらどんな記録を残したであろうか。気候変動が原因かもしれないしそうでないかもしれないが、何らかの理由で生活の場を求めて南下しただけと言うかもしれない。実際、戦闘部隊の移動だったわけではなく、女性や子供を含む民族の移動だったわけだから、最初から戦うつもりがあったわけではないだろう。もちろん侵入を受ける側からは迷惑千万に思われただろうし、キリスト教も知らない田舎者という捉え方で見られただろうが。フン族の扱われ方も然りであろう。そして同様のことはどの国のどの時代にも起こりうることで、日本にも多々あったはずだ。
 日本ではいつの時代から文字が使われるようになったのだろうか。残されている最古の記録は『古事記712年』、『日本書紀720』などとされている。しかし、日本で読み書きが行われていたのは『古事記』の時代をかなり遡るであろう。聖徳太子の時代に「冠位十二階603」、「十七条の憲法604」が書かれたという記録があり、また聖徳太子が遣隋使に託した書は隋の煬(よう)帝(てい)を怒らせるという「事件」になった。一般の民衆がどうだったのかは分からないが、読み書きできる階層の人々が存在していたことは間違いない。さらに遡ること卑弥呼の時代、彼女が魏に使者を送り、「親魏倭王」の金印(これは現在まで見つかっていない)と詔書を受け取っている(239「魏志倭人伝」)。字の読めない相手に詔書や金印を与えるのは無意味であろうし、受け取る側も読めなければ必死に読もうと努力するであろう。金印と言えばもっと古いのがあるが、それが北九州の志賀島で発掘された「漢委奴国王」印。漢の武帝から57年に授かったものとされている。卑弥呼の時代は弥生時代ということになるが、すでにこの時代そしてそれ以前の時代に文字の読み書きができる人々がいた。稲作を持って大陸から渡来した人々がいたわけだから、この人たちが後世に何も残していないとしても、弥生時代は文字社会であったと推測してよい。
 そうは言っても倭人伝で記された場所、倭には文字としての記録は残っていない。文字を残している中国や朝鮮半島の記録を手掛かりにする他ない。文字を持たないことであまり正当ではない扱いを受けたとしても、ということになる。倭人伝、卑弥呼に使用された文字などもそれを端的に物語っている。倭人が話す音を漢字に当てはめたわけだが、「倭」は小人、あるいは身を低くして卑屈な様子、「卑」はいやしいことを表すなど、とても光栄に思える字をあててくれてはない。もともと、中国を中心にした中華思想では、倭に限らず北狄(ほくてき)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、東夷(とうい)と呼ばれていた周辺の国々はまともには扱われていなかったので、当然のことかもしれない。
 ところで、文字を持っていたとしても正当ではない扱いを受けた人たちもたくさんいる。一例として蘇我氏を挙げよう。蘇我氏の絶頂の時期は蘇我馬子の時代であろう。聖徳太子とともに『国記』、『天皇記』を編集したとされているが、これらは大化の改新645の最中に焼失したと言われている。もし焼失しないで残っていれば日本最古の歴史書として貴重なことも書かれていたはずだ。蘇我氏の「実像」はもとより、古代の日本の姿がもっと立体的に掴めたかもしれない。一時代を築いた豪族ではあるが、蘇我氏は『古事記』や『日本書紀』にはほとんど登場しない①。『古事記』、『日本書紀』が大化の改新で蘇我氏と争った中臣氏(藤原氏)一族の主導で著わされたもの② と言われているので、政敵に対する対応としては無理からぬことかもしれない。もちろん『国記』や『天皇記』の中に中臣氏や中大兄皇子(後の天智天皇)にとって都合の悪いことが書かれていた可能性もある。
 文字に残されたものはそれだけで強いインパクトを持つ。そして、文字を持つ人々が文字を持たない人々を不当に扱うだろうというこ
も容易に想像できる。文字を残さなかった人々の声なき声に耳を傾ける視点を持つというのが、もう一つの私の歴史に臨むにあたっての
態度である。       
①森浩一『記紀の考古学』 著者は考古学者であるが考古学の研究から見えてくる遺跡や出土品を手掛かりにして、様々な古代の書物に書かれた「真実」を解明しようとしている。大変に刺激的で説得力のある著作を世に出している。
②梅原猛 『神々の流竄(るざん)』 哲学者。大胆な推理を駆 使したエネルギッシュな著作。大胆過ぎて少し危うさもある。