一年一緒に住んでいた彼が出て行った。
それは5年前の残暑が厳しい、夏の終わりの
事。
もう2ヶ月は会話らしい会話もしてなかった。
私が転職したのをきっかけに、土日が出勤となってしまい、彼との生活のパターンが合わなくなってしまっていた。
せめて夕食の支度は頑張ってしてたけど、
あまりにもその日は疲れてて、仕事から帰ると
リビングのソファーに座り込んで、そのまま
眠り込んでしまっていた。
ふと目を覚まし、時計を見ると22時。
とっくに彼が帰っている時間だった。
私には毛布がかけてあり、テーブルの上には
お弁当と「お腹すいたなら食べて」というメモ
が置いてあった。
慌てて彼を探したけどどこにも居なかった。
お風呂には入った形跡があったので、風呂に
入って何処かに出かけたらしかった。
多分、私を起こすまいと外に晩ご飯を食べに
行ったのかな?と思って暫く彼の帰りを待つ
事にした。
2時も過ぎた頃だった。
お酒を飲んだ彼氏が帰ってきた。こんな事は
はじめてだった。
いつもなら少し文句を言ったかもしれないけど
私は何も言えなかった。
なんて言葉をかけようかと迷っていると、
確かその日は会社の検診結果が出る日だった。
「お弁当ありがとね、ところで検診結果は
どうだったの?」
歩くのもままならない彼が
「ただいま、ただいま、、、検診は大丈夫、
年相応に成人病の気配があるから痩せろって」
そう言いながら私の方をトロンとした目で
見ながら、彼の少し出てきたお腹をパンパンと
叩いて笑った。
そして今度は彼がリビングのソファーに倒れ
込んで寝てしまった。
私にかけてくれてた毛布を、今度は彼にかけ、
私はリビングの電気を消して1人寝室に向かった。
その日から会話が徐々に減り、彼も1人で
出かける事が増えてきた。
そして2ヶ月くらいたった日曜日の事、
私もその日は珍しく休みで久しぶりに
2人で部屋にいた。
彼が急にリビングに現れ、ポツリと
「ごめん、別れよう」
突然、私にそう告げてきた。
正直、私も返す言葉はなかった。
この2ヶ月、何度か彼との仲が戻らないか
工夫はしてみたものの、仕事が忙しくて
中途半端な事しか出来なかった。
暫く黙ってた私はもう逃げられなくなり
「そう、わかった。
今までありがとうね」
そう彼に言うのが精一杯だった。
そして彼はそれを聞いてゆっくりと頷いた。

それは5年前の昔の事で、今ではその事を
思い出す事も少なくなっていた。
その彼と別れた後、1年はその事に引きずら
れていたけど。
それを過ぎると仕事も私生活も面白いように
上手く回りはじめた。
そしてお腹に子供ができ、今付き合っている
人と来月の私の誕生日に籍を入れる事に
なっていた。

そんな時だった。
私の実家から連絡があり、母の体調が悪いらしく、私は色々心配かけたお詫びもかねて、数日
田舎に帰って母の面倒を見る事にした。
旦那さんはお腹も大きいから電車で行ったらと
言っていたけど、田舎なので車がないと不便
なので車で帰省する事にした。
高速を2時間、降りてから40分という道のり
だった。
夏が終わろうとしている季節で、高速を降りる
と田舎の方は涼しく感じられた。
エアコンを切って、車の窓をあけ実家まで
ドライブ気分で運転していた。
車も殆ど見ない、完全な田舎道だった。

すると突然、道にタヌキか穴熊の様な小動物が
道に飛び出してきて、ハンドルを切り損ねて
ガードレールに突っ込んでしまった。
もちろん、シートベルトはしていたので車外に
放り出される様な事故にはならなかったが、
かなりの衝撃を受け、お腹が大きくなり始めた
私は身動き取れずにいた。
声を出してみたがなかなか車も通らない田舎
道なので助けは来なかった。
そうしてる間にお腹の痛みが強くなって、脂汗
が吹き出して意識が朦朧としてきた。

ふと、助手席を見ると5年前に別れた彼が
座っていて私の方を見ながらにっこりと笑って
いた。
私はその彼の姿を見てパニックになり、意識は
はっきりしていたが、それでも彼はそこに
座っていた。
「驚かせてごめん、助けたらいなくなる
から安心して」
彼が言った。
そう言うと彼は彼はシートベルトに手を当てた。すると衝撃で伸び切ったベルトのフックが
パンッという音を立てて外れた。
私は慌てて外に出ようとしたが彼が
「焦らないで、もう少し待って」
そう言うと私のお腹と、左脚に手をかざした。
彼の手から暖かい様なものを感じ、お腹の
痛みが消えて行くのがわかった。
「左脚は折れてるからもう少しかかるから」
そういえば左脚に痛みは無かったが、感覚も
なくなっていた。
「もう大丈夫、出ていいよ」
彼が言った。
「歩夢さん、、、?ありがとう。でもなんで??」
私はまだ訳がわからずにいた。
「3分もしないうちにパトカーが来るから
荷物を車から下ろして」
そう言われて慌てて荷物を下ろした。
すると彼は
「じゃあ、そろそろ行くわ、元気でね。
旦那さんもいい人だし、お腹の子供も元気
だから安心して」
そう言うと今まで車に引っかかって支えてきた
ガードレールがガン!という音を立てて崖下に
落ち、彼が乗ったままの私の車も崖下に落ちた。
そして遠くからその状況が見えてたパトカーが
ものすごいスピードでやってきた。

現場検証では崖から落ちた車に彼らしき人は
乗ってなかった。
車はガードレールにぶつかった衝撃で運転席
もかなり潰れていて、いつ崖から落ちても
おかしくない状況なのに、怪我もなく、
大きなお腹で車から脱出できた事が奇跡と
警察や家族に驚かれていた。
もちろん旦那はボロボロと涙を流して
喜んでた。
とりあえず私は、事故のショックもあるかも
しれないと言う事で実家で数日ある事にした。

母が寝てる横でボーっとしてると
眠ってると思ってた母が声をかけてきた。
「あんた、どうしたの?」
そう言われて、私は堰を切ったように前の
彼の話から事故の話までした。
すると母は、
「多分ね、アンタと別れたのはその彼は
大変な病気にかかったのがわかったから
別れたんだと思うよ。
そして、亡くなったその後も暫くあなたの
事を守っていたんだと思うわ。
そして最後に事故からアンタを守って、
安心して天に帰ったんだと思うよ」
そう、優しい声で母はそう言ったのだ。
私はそれを聞いてそれで間違いないと思った。
私の都合ばかりを押し当てて状況を理解しよう
としていたけど、そうなんだ忘れていた。

彼はすごく優しくて、誰よりも思いやりが
あったんだ、、、。
だから付き合ったのに生活の中にそれを
私は忘れてきたんだ。
私は横になってる母の胸に顔を押し当てて、
声も出さずに泣いた。

数日田舎で休養をとっていた私は、旦那が
迎えにきたのでいつもの都会の生活に戻る
事にした。
「お腹は大丈夫そうか?」
帰りの車の中で旦那さんが聞いてきた。
「大丈夫、凄く元気よ。
多分、絶対に男の子だね。」
「そうだな、強くて優しい子の様な気がする」
「ねぇ、もし男の子だったら歩夢(あゆむ)って
名前にしない?」
「あぁ、いいかもな」

〜終わり〜