『君たちはどう生きるか』IMAX | アディクトリポート

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『君たちはどう生きるか』IMAX

2023/7/17 イオンシネマ越谷レイクタウン IMAX C列 16席

 

公開が迫っても予告編は一切流れず、ポスターさえ見かけないため、

越谷レイクタウンの新設(改装型)IMAXで

『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を観ようと、

7月14日のIMAX上映スケジュールをチェックして、

『君たちはどう生きるか』でほとんどが埋め尽くされていることに驚いた。

 

とにかくなにしろ、事前情報がほとんどなく、

公開されたら実際に見るしかないため、

YouTubeレビューアーの名だたる面々は初日初回を鑑賞たちまち感想動画をアップしていた。

 

「正直わからない」という感想が多く、

そうなのかと納得?はしたが、

いわゆるわけ知り顔の解説動画の類は大キライで、

「あなたは何を根拠にそうだと断言できるわけ?」とさっぱり信用がおけず、

見たって「だから何?」とあまり感心しないのが常なのでそれに頼ってしまう事に心理的抵抗が激しく、

そんなものの視聴に時間を費やして再生回数上げに貢献してやるくらいなら、

まずはなにしろ自分の目で確かめないとと、『君たちはどう生きるか』鑑賞の機会をうかがっていた。

 

当日は初期目的の『運命のダイヤル』鑑賞よりだいぶ前にレイクタウンに到着。

そこで「その前にもう1本観ておくか」で決まったのが、

海の日で通常版がすっかり満席の方ではなく、

『ダイヤル』の一つ前上映のIMAX版『君たちは』だったので、

迷わずこれを鑑賞。

 

当日は『ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE』の舞台挨拶?つき特別上映も夜にあったが、

料金が通常版の2倍の3600円だったのでさすがに敬遠。

 

去年の『トップガン マーヴェリック』同様に、

どうせ何ヶ月もロングランだろうし、ネタバレ云々で鑑賞が損なわれるような作品でもないんで、ここは「待ち」で。

 

『君たちは』は、わざわざIMAXで観るまでもないだろうと見下していたが、

いざ鑑賞してみるとIMAXスクリーンの天地フル表示をほぼ全編で展開。

となるとそもそも通常スクリーンでもこの画面比率なのかも?

 

技法的には大変優れたアニメーションで、

手描き2Dセル風アニメーションも、

背景美術も、

久石譲の音楽も、

 

 

声優の演技陣も、

「何これ?」という突飛さが皆無のハイレベルの拮抗(きっこう=勢力がほぼ等しく、互いに張り合うこと)。

 

そのためなんとなく、

かなり上質のアニメ作品を見たような気にはなるが、

大方の指摘どおり、ドラマ展開の辻褄は合っていない。

 

色々と「これはあれ、あれはこれ」と象徴しているものを自分なりに類推はできるし、

観る前は「いやいや、難解にうつるのは宮(今回のクレジットから宮)駿作品に慣れ親しんでないからで、

ぱやお

chichi

こちとらそれこそ『ルパン三世』(1971)や

みち

あんせい

こぱんだ

『アルプスの少女ハイジ』(1974)の頃からファンなんだから、

haiji

なんこ

かり

chaginntonn

ぴゅた

ととろ

馴れ馴れしく『宮さん』呼びなんぞ意地でもしないが、パヤオ作品ならきちんと読み取れるから任しとき!」の意気込みと構えで鑑賞に臨んだんだが…。

 

途中で久しぶりに、気がつくと少し寝落ちしていました。

 

それでも筋道を見失う事なく、最後まで見通しての感想は、

可もなく不可もなくビミョー。

 

まあ5点満点で3点かな。

 

本作を娯楽映画好みのYouTubeレビューアーが怒っていたが、

そういう人たちは、「ええ、ええ。そういう芸術を見せられても、どうせ私にはわかりませんよ」と宮崎駿に怒っている。

一方で、「裸の王様」現象に置かれている(=素直にわからないと打ち明けることをためらっている)レビュアーは、「これはこれ」式の分析批評を、ほんとにそれが正解かアヤシイくせにぶちまけて、再生数稼ぎに勤(いそ)しんでいる。

 

宮崎駿は先輩の演出家の高畑勲とチームを組んだ仕事が多く、高畑氏は絵が描けないため、宮崎氏はもっぱら絵描きとしてビジュアルサポートに努めた。

 

それで前に、何の作品だったか忘れたが「パクさん(高畑氏)から『これやっちゃダメ』と言われたルールを破ってしまった」と宮崎氏が述べたことがある。

宮崎氏が画面レイアウトから監督業に昇格した際、手本になったのは高畑演出法しかなかった。

 

今回の『君たちは』で、「禁忌を破る」云々は、これの象徴ではないかって気はする。

(※個人の憶測に過ぎず、当たっている保証はありません)

 

エンディングには予告編制作のスタッフ名もクレジットされているから、

実は予告編も出来上がっていたのに公開前には一切流さず、

『エヴァ』で映画を観てもわからない層がパンフレットに答えを求めて殺到する現象を私は本末転倒だろうと苦々しく睥睨(へいげい=にらみを効かすこと)していたが、ジブリが『君たちは』のパンフレットを用意していないのは好感が持てた。

 

というより、パンフで必須のストーリー解説を書こうにも誰も書けないため発売もされず、告知プロモーションが一切なかったのもジブリ社内に『君たちは』を理解しているスタッフが誰もいないことの表れである。

 

私は宮崎駿の才能は大いに認めているが、それでも『もののけ姫』(1997)の主人公たちのクソ真面目ぶりがウソくさく感じられたし、

もののこ

↑ただひたすらに真剣でひたむきな、模範的優等生的主人公像が、さすがに行き詰まっていた。

『千と千尋の神隠し』(2001)は無節操な一場面タレ流しの予告編から「これはヤバそう」と危機感を抱き、

あかでみ

ちひろ

↑風変わりなキャラのつるべ打ちが、本筋と無関係なのが見透かされて、退屈で長かった拷問映画。

いざ観てみた本編は退屈なのに上映時間が長くて苦痛。

これが空前の興収をあげ、異国情緒がウケてアカデミー賞を獲っ(てしまっ)たことまで手伝い、いよいよジブリ=宮崎駿もヤキが回った(年をとることによって、能力が衰えたり、動きが鈍ることを意味する表現)なと感じた。

 

息子のゴロー監督の

はじめて

goro

『ゲド戦記』(2006)

げろ

gedodo

↑本業でもないのに、いきなり大任を託された監督本人としては、「ねえねえ、けっこううまく、画風や作風をコピペできたでしょ?」と自慢げだったと推察される。

ハラホロヒレハレ(=ズッコケ:初出は「シャボン玉ホリデー」(昭和36年~・日本テレビ系)のコント。 放送作家(誰か不明、青島幸男あたりか?)が「ハラホロヒレハレ、となる。」と台本のト書き適当に書いたら、 谷啓が本当にそういうセリフをしゃべって、崩れ落ちる演技をした。 これが、大ウケして以後、流行語になりオープニングコントのオチでハラホロヒレハレと全員で言い、ズッコケるのが恒例になった。 特に言葉の意味はないそうですが、枯れ葉が舞い落ちるイメージで書かれたらしい)な出来で「父の爪のアカでも煎じて飲め」とさんざんな酷評だったが、

そりゃあ決してほめられたできじゃなくたって、
その前後のオヤジの作品、
『ハウルの動く城』(2004)も、

はうる

↑途中で完全に興味を失い爆睡。起きてもまだしばらく終わらずに苦痛……

はうる

「崖の上のポニョ」(2008)も、

ぽにょ

ぽにょ

ぽにょ

↑子供、親、老人。どの世代の描き方も、あざとい観客のウケ狙いや媚売りが鼻について、全く感心できなかった。

『ゲド』同様か、あるいはそれよりも、決してほめられる出来じゃなかったし。

 

具体的には、本当は作りたくもないのにイヤイヤやっている(創作意欲や動機がゼロな)のが伝わってくるから、観るのがひたすら苦痛。

本音は「もののけ姫」(1997)で終わりにしたかったのに、
会社の都合で引退を許されず、「だったらデタラメやっちまえば、きっと信用が失墜して二度とお声がかからないだろう」と目論んだのに、少しズレてやって来た「安心のパヤオブランド」という世評のおかげで、何をやってもパヤオならオーケーになってしまい、どれもことごとくヒットして、いつまで経ってもやめさせてもらえないというストレスが、作品からにじみでていただけのこと。

ついでにいえば、『天空のラピュタ』あたりまでの宮崎駿を、敬愛をこめて「宮さん」と呼ぶのはわかるけど、21世紀以降になっても、知りあいでも仕事仲間でもないパヤオを宮さんと呼び続けるのも、正気とは思えない。

だけど一般大衆はバカだから、「今回はパヤオが監督じゃないんだろ? だったらどうせ『ゲド』に続いて、ダメダメに決まってるさ」という先入観だけで
『借りぐらしのアリエッティ』(2010)を観てしまい、

かtり

観終わった後も、最初から決めつけていた線から逸れない感想しかつづらない。

というわけで、ネットレビューの大半は、レビューをした人が、いかに作品を評する目を持ち合わせていないかが示されているだけ。

 

ーーというジブリ作品悪夢体験を経てきたから、

その後、『コクリコ坂から』(2011)を経て、

ぽすた

たいとる

しょうじょ

こくり

しょうねん

最終引退作と宣言された『風立ちぬ』(2013)の鮮やかな大逆転ホームランぶりには感心した。

kぽlp

freds

iii

sewa


そうそう、『君たちはどう生きるか』の過去の宮崎作品の引きずりで言うと、

(以下再録・青字部分

 

それにしても、見てこそあらためて、タバコに関するいいがかり

 

 

には、ほとほと呆れる。

『猿の惑星』(1968)だって、清浄な空気が欠かせないはずの宇宙船内で、
テイラー船長(チャールトン・へストン/声・納谷悟朗)は、平気で葉巻を吸ってるぞ!

ごろなや

そういう時代を、今の尺度でなぜ測る?
もしも「風立ちぬ」を見て、タバコに興味を持ちましたというクソガキがいたら(※いるらしい)、そんな責任転嫁をする、ひねくれ者に育てたヤツが悪いんだよ。

そもそも、その描写を入れる時点で、子供向けの枷(かせ)は外してあるんだし。

宮崎駿は、自らもこれまで達したことのない最高峰をきわめ、そのためには「子供向け」をかなぐり捨てるという、一度限りの大技をくりだした(=次回作があると影響大なので、できない)わけだが、もちろんその域に達したのは本人だけで、周りは全然ついていけてない。

『君たちはどう生きるか』でも「どうしてもこれだけはやらなくちゃ」と言う感じで、タバコ「ひかり」が重要な役目で執拗に登場。

 

長くなったので今回はここまで〜。