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アダルトチルドレンを克服しよう

毒親育ちのアダルトチルドレンで毒親。
言いたかったけど、ずっと言えないでいたことを、全部吐き出してみようと思います。
子供たちのためにも自分を変えたい。変わりたい。

そんなことを思いながらも、

やっぱり母親のことは嫌い寄りだった。

いやだった事はいっぱいあるから、

思い付いた順にちょっとずつ吐き出していきます。



うちの近所には、年齢の近い子供たちがいて、

小学校へは、そのお友達と一緒に行っていた。

小学校の頃って、

通学路にPTAが旗持って立っている時があるでしょ。

うちの母親が立っている時は

ほんと嫌だった。



学校へ行くお友達の中では、私は年長で、

同級生の子がいた。

その子は背が大きくて、私と一緒にいると

姉妹かとよく言われた。

身長からして、

誰が見てもその子が班長でしょ

って感じで、

別に話し合って決めたわけじゃないのに

その子は先頭を歩き、

私は、1つ下の子よりも背が低いけど、

一応年上なので、列の一番最後を歩く。

引っ込み思案の私には

それがちょうどよかった。

5人くらいで列になって行くんだけど、

うちの親が旗を持って立っているポイントを通り過ぎるのに、

気分良く行けたことは、一度もない。

なぜなら、

私が通り過ぎるたびに、

いちいちなにかグチグチ言ってくる。

他の子のお母さんの時は、

こっちが挨拶をしたら、

「おはよう。いってらっしゃい。」

とだけ言うのに、

うちの親はタダじゃ済まない。

自分の親だから、別に挨拶なんていいかな

って思って言わないと、

「〇〇ちゃんみたいに、ちゃんと挨拶しろ」

とか、

また別の日は、

挨拶したにもかかわらず

「もっと大きい消えで言えよ。」

とか、

また別の日には、

なるべく親と顔を合わせたくないから、

列の最後で、ギリギリまで友達に隠れるようにしたり、

そっぽを向いていたら、

「ちゃんと前見て歩け。」

とか。

もー、ほんと いちいちうるさいし

恥ずかしい。

黙ってられないのかっての。

ほんとやだ。

それでも、

母親がいないとダメな時もあった。

というか、

頼りにしてたんだろうなぁ。




私から見て父親は怖い人だった。

話かけるのもできないくらい。

私が子供の頃だから、

父親が育児をする概念はない時代だったんだろう。

何かと困ったら

母親に話していたから。

泣いているのがうるさいからと、

押入れに閉じ込められたこともある。



母親は、

思ったことは直ぐ口にするタイプだから、

それで父がキレたことが何度かあった。

その怒りかたがまさに

星一徹のちゃぶ台返し。

あれを小学校低学年で見てたら

迂闊なこといえないし、

近づけない。

私が怒られてるわけじゃないけど

とばっちりが来そうで。

怒っていた時に近くにあった

母のバックやら荷物やらも軽く投げながら

「出て行け!」

なんて言ってて。

私は、

母親が出て行ったら頼る人(味方)いなくなっちゃう

って、

悲しい気持ちになったのを覚えている。






明らかに

もう嫌いって思ったのは

お葬式事件の後。

でも、小2くらいだったと思う。

こんな家出て行きたい

とか

こんな家火事になっちゃえばいいのに

とか思ってた記憶がある。



私をいつまでも幼稚な子供扱いする。

友達と仲良くやっているところに

ズケズケと入ってくる。



母親が恥ずかしいと思った。

何が恥ずかしいかというと、

まず母親の名前。

多分こんな名前

いつの時代の

どこを探しても

うちの母親しかいないと思う。

まあコレはどうしようもないし

言わなきゃわからないことだけど

親の名前何?

ってなる時ってあるじゃん。

すごく嫌だった。

笑われるから。



ついでに

自分の名前も好きじゃなかった。

からかう奴が必ずいるから。

ハハハって

何も感じなきゃいいんだけど、

なんせあの母親と一緒にいたもんだから

心はめちゃくちゃ敏感で

気にしないなんてできなかった。

なるべく無表情で、

あっそ

ってな感じにしてるけど、

心の中では

バカにされて

笑われて

悔しかった。

こんな事私に言われても

私が決めた名前じゃないのに。

何で私がバカにさなきゃいけないの。




それより前の記憶があった。

保育園の頃。


うちの母親は私に、

よその人の前とか

外ではは大人しくしてろ

と。

外とかよその人というのはどういうことかというと、

私の住んでいたところでは

地域(地区)の大人たち集まる機会がよくあった。

その集まりには、

私と同じくらいの子供達もよく来ていた。

子供が集まれば、

当然騒ぐだろう。

でもうちの母親は、

そういう場所では

ギャーギャー騒ぐな

大人しく静かにしていろと言った。

私も友達と一緒に騒ぎたい

遊びたい気持ちがあったけど、

後で怒られるのが嫌だったから

そういう場では静かにしていた。

それが染み付いて、

私は何処へ行っても

大人しく静かにしていた。

親戚の家や、

保育園、

後々には学校。

大人がいる場所では

何も話さずにいるから、

「大人しいねぇ。」

ってよく言われた。

大人しい=おりこうさん

っていうのが母親の考えなところもあって、

その考えは、その頃の私にもあった。

おりおうさん

って言われて悪い気はしないし。


で、

何が嫌だったかというと、

保育園の年長の時のこと。

母親が迎えに来て帰ろうとした時、

うちの近所のお友達も同じタイミングだった。

そのお友達はとても元気で

帰り際、先生に、

「さようなら〜。」

と、大きな声で言っていた。

その後私は母親に、

「お前もあんな風に挨拶しろ。」

って。

小さい声で言ったか

言えなかったか。

それでも先生は笑って

「さようなら。」

と言ってくれた。

教室から離れて行くと時、

母親は

「なんで言えねぇんだよ。恥ずかしいよ。」

みたいな事いって、

私のほっぺを

ギューってつねった。

悔しかった。

あの後に言えるわけないじゃん。

比べるでしょ。

外では静かにしてろって言ったじゃん。

だから、

保育園で先生に話しかけるのも怖いし

恥ずかしいいんだよ。

今更何だよ!

って。


私は絶対こんな親にはならない。

って、この時の事を思い出すと

いつも思う。










いつから母親が嫌いになったんだろう。


嫌だったなぁって思った

一番昔の記憶は

小学校1年の時。

その時はまだ

嫌いっていう感情ではなく

寂しかった

という感情。

何があったかというと、

祖母のお葬式だった。

母方の。

母の実家からお墓までは歩いて行き、

帰りは車で帰ることに。

私と母は、

バンに乗り込んだ。

少ししたら母は

「ここにいな。」

と言ってバンから降りた。

戻ってくると思って待っていたが、

どんどん人が乗って来て、

知っている顔がいない。

母が座る場所もなくなり

もう人は乗れないくらいになった。

バンはそのまま母の実家へ向かった。

車で数分のところだけど、

私は心細かった。

多分、

悲しいとも思ってた。

母が置いていかれてしまうと。

母の実家へ戻ると

母がいた。

母は他の誰かと歩いて先に帰っていた。

戻って来ると思っていたのに。

歩いて帰るなら、

そう言ってくれればよかったのに。

母のところへ行くと

なんてことはない、

あぁ。着いたのね。

みたいな素っ気ない態度。

私は寂しかったのに。

不安だったのに。

悲しかった。

悔しかった。