先月末、全国各地に届いた誘拐予告メール。
水無月を食べながら、
我が街の万が一に備えた対応について、家族で話をしました。
愉快犯とは断定できないご時世ですから…。
コロナから端を発して、
露国の烏国への侵攻。
米国、丁国、そして、日本国での銃犯罪。
不穏が危急の段階となって、
終末に向かう気配さえ漂っています。
ただ、
大和西大寺の事件は、許し難い行為ですが、
とてもとても有能な為政者達が口を揃える
「民主主義への挑戦」、「言論への弾圧」
ではありませんねッ。
犯行目的が決定的に違います。
また、
憤怒怨嗟の的であった宗教法人名を直ぐに公表しないばかりか、
選挙の応援演説中だった事をこじつけて、
世論をミスリードするジャーナリズムも。
これは、民主主義の危機ではなく
要人警護の問題でしょう。
何より、
民主主義は、不断の闘争なく継続されると
時の権力者の都合で変容させられて、
今では、
奉るほどの崇高さはありませんから。
(ちょっと一服。チタン製品は、とても良い質感です。)
(やるつもりはありませんが、車から脱出する際、ウインドウを破壊できる強度です。)
さて、本題に。
明治の時代に中国から齎されたと言う麻雀。
歴史のある牌には、象牙はもちろん、
真鍮、銀、螺鈿細工の物まであるようです。
上がり方のバリエーションは、無限とも思えるほど多彩で、
想像力、洞察力、決断力と直感がものを言います。
夏目漱石、菊池寛と言った文豪とも所縁が深い事は、
あまり知られていません。
将棋、囲碁より、運の要素に左右されるところが魅力のひとつで、
多少の実力差があっても勝負になります。
また、駆け引きの最中に、
プレイヤーの人間性が如実に出るところも妙味でしょう。
(こちらは、大好きなミネルバ・ボックスで作ってもらったペンケースとキーケース。どちらも尼崎市にある工房HEDGEの製作です。)
以前、オンラインでの対局に嵌っていた時分。
そのサイトでは、
ログインして入場し、対局を申し込むと、
自動で相応なメンバーを選んでくれて、
洗牌(シーパイ)も、盲牌(モーパイ)も、
符を読むこと(点数計算)さえもいりませんでした。
ギャンブルではないので、
自分のレベルを表すレーティングの上下に一喜一憂。
程なく、目標とする子最高位のレーティングを達成して、大満足…。
人並みではない力は、維持していたようです。
一頃より、麻雀人口は増えているみたいで、
CSでも女流雀士が参加する専門の番組が流れています。
いつか、また、
本物の面子と痺れるような勝負をしたいものです。
(おまけは、ミネルバ・ボックスキーケースの集合写真。左上は、HEDGEの5連、右は、アルテレッツァの6連、そして左下は、fatto a mano AZUMAYAの4連です。)