昨日、2020年11月15日(日)に原宿のカーサ・モーツァルトで開催された薬師寺典子さんのリサイタルにて、私の2つの作品が上演されました。
20席限定での開催でしたので、ここでは事後報告のみさせて頂きますが、たいへんすばらしい内容でした。(機会があれば、ぜひ多くのお客様をお迎えして再演して頂きたい!)
(12月20日追記:このコンサートの全動画を公開しました)
●WINDS CAFE 287 in 原宿●
【こえのリサイタル「うつすともうつるとも」~ミメーシスの形~】
こえ:薬師寺典子
<共演>クラリネット:西村薫 打楽器:會田瑞樹
<プログラム>
John Cage:A flower
Georges Aperghis:Pub I et II
川島素晴:Das Lachenmann IVb(女声&バスクラ版初演)
Georges Aperghis:Les 7 crimes de l’amour
---(休憩)---
川島素晴:ぽりぷろそぽす IV
まずもって、私自身、この公演でアペルギスの《7つの愛の罪》を間近に、そして充実した演奏で観ることができたことは、大きな収穫でした。1979年のこの作品、海外では(そして関西では)しばしば上演されているようですが、東京ではほとんど聴くチャンスはなかったのではないでしょうか。(ちなみに、2015年に京都で日本初演されて以来、京都や豊中では2018年、2019年と、太田真紀さんによりしばしば上演されています。東京では今回が初演かな?)
↓こういう感じで、愛にまつわる7つのモーメントが各奏者の極限的シチュエーションを駆使して提示されていく作品。皆さんの熱演、怪演を至近距離で堪能致しました。
その他の部分の写真は薬師寺さんの投稿をご覧下さい。
これを観られただけでも伺った甲斐があったというものですが、私の作品も2曲もすばらしい演奏で上演して頂きまして、「ミメーシス」というコンセプトでたばねるという秀逸なアイデアに基づくこのような企画で取り上げて頂き感無量です。
以下、今回上演して頂いた2曲についてまとめておきます。
川島素晴《Das Lachenmann IVb》
(2017/2020 女声&バスクラ版初演)
「大笑い」「押し殺した鼻笑い」「引き笑い(明石家さんま風)」「吹き出し」「喉を潰した陰険な笑い」「ひきつり笑い」「うなり笑い(中村玉緒風)」「艶っぽい鼻笑い」「野太い笑い」「宇宙人の笑い」「上品な笑い」「堪えきれずに漏れる笑い」等々・・・といった、様々な「笑い」を題材として、器楽がそれを模倣していきます。
題名は、ドイツの作曲家、ヘルムート・ラッヘンマンの名前を拝借し、それを「笑う男」と曲解したものではありますが、もちろん、ラッヘンマンの音楽への深いリスペクトが示唆されてもいます。(発話やシラブルの音響化に関する最も偉大な先人の一人です。)
私の作品の系譜として、様々な発話と音楽の関係を探求したものがありますが、そのような作品群の中で、最も「ラング=書き言葉」を排した「パロール」の側面のみを扱った作品と言えます。
このようなコンセプトは、2006年に女声、チューバ、ピアノのトリオ作品《Das Lachenmann I 》で初めて実践されました。初演ライヴ情報
その後2008年に、双子座三重奏団(男声、トランペット、ピアノ)のために改作し《Das Lachenmann II 》となります。初演ライヴ情報
それを2019年に再演した際の動画はこちらです。
《 I 》のチューバと《 II 》の声を演奏して頂いた橋本晋哉、松平敬の2人による「低音デュオ」の2015年の公演に際して、この2人を想定した《Das Lachenmann III 》を作りました。このとき、そもそもピアノの無い編成にするということで大きく変わりましたが、更に、「お互いを彫刻する」というアイデアを入れ込み、とりわけ冒頭部分は大きく変わりました。初演ライヴ情報
スイスの、カウンターテノールとリコーダーのデュオ「UMS'n JIP」のために2017年に作曲した《Das Lachenmann IV》では、これまで音程を明記してこなかった声のパートの音程をほとんど記譜するかたちをとり、カウンターテノールの特性を活かして男女どちらの音域でも笑いを再現、スブバスリコーダーによる模倣は、より緊密性を増しました。
そして、《III》では冒頭を著しく変化させましたが、この《IV》では、その要素はほんの少しだけ継いだだけで、むしろエンディングを大きく変更しました。これまでは笑ったまま「お茶を濁す」ように、そのまま休憩に入ったり(上記の動画はそのようになっています)、次の楽曲に突入したりすることで、どこが作品の終わりなのか不明瞭な形で上演してきました。ナンセンスさを追求したその姿勢も気に入っているのですが、今作では、明確なエンディングを設定、しかも、笑い声がカンタービレな旋律に変貌してしまうという、真逆のオチとなっています。カウンターテノールとリコーダーのハモりが美しいため、このデュオのために書く以上、どうしてもそれを聴きたいと思ったのが理由ですが、くしゃみ等の生理現象と喜怒哀楽のみで構成された女声合唱曲《HACTION MUSIC I 》(2015)でも同様の実践をしていたため、その手応えを踏まえたものでもあります。
《Das Lachenmann IV》の、UMS'n JIP による演奏録音がこちらで聴けます。
彼らは、この作品を2017年に東京で初演(ライヴ情報)して以来、現在に至る3年半の間で60回以上、欧米の十数カ国で上演しています。(2020年は多くの企画がありましたが大半は無くなりました。それでも、コロナ以前と最近だけでもたくさんの機会がありました。)
しかしながら、日本での上演は、2017年の初演以来、機会がありませんでした。
そのような中、ようやくにして日本人でこれを上演して下さるという方が現れたというわけです。
しかし、今回の演目としてクラリネット奏者が予定されていたからでしょうか、編成をバスクラリネットに変更できないかとの相談を受けました。
この提案は、女声との相性等を考慮すると、結果的にとても良い効果を生んだと思います。
女声&バスクラリネット版の楽譜を作成するに際しては、声の音程は音域変更のみ、バスクラでは様々な奏法等で微調整をしましたが、ほぼ作品の内容は同じです。しかしながら、《IV》は手書きで書いた状態でしたが、今回はフィナーレで浄書稿を作成しましたので、予想以上に手間がかかってしまいました。
実は、薬師寺さんとはSNSでは繋がっていましたが、これまでにご一緒する機会がありませんでした。(2019年のJFC作曲賞本選会で、教えている金田望の作品を歌って頂いたにも関わらず、当日聴けなかったのです。他にも多数の機会を逃しておりました。)今回も、リハーサル等の様々なやりとりはSNSを経由して行っていて、コンサート当日に初めて(!)お会いするという、現代ならではの経緯となりました。
しかしその分、文面でやりとりが残ったりするのも面白いですね。
こちらのツイートにその一端をご紹介しています。(本作における様々な「笑い」の元ネタも少しタネ明かししています。)この後も、私自身が部分的に「試演」した動画を送ったりもしました。
かくして迎えた新版初演は、たいへん充実した、見事なパフォーマンスとなりました。
終演後の、薬師寺さんの投稿のコメント欄を拝見する限り、きっと再演の機会もあると思いますので、未見の方は次の機会にぜひ!
終演後の写真をここで何枚かご紹介しておきます。
出演者3名と(左から川島、西村、會田、薬師寺)
薬師寺さんとツーショット
WINDS CAFE企画者の川村さんご夫妻を交えて
(12月20日追記:このコンサートの全動画を公開しました。本作の動画について、ここにも貼っておきます。)
2002年9月18日(水)東京オペラシティ・リサイタルホール
【第9回 新しいうたを創る会 初演演奏会】
うた:糸洌ゆかり
<新演出再演>
2007年2月10日(土)四谷区民ホール
【第13回 新しいうたを創る会 演奏会「“うた”の現在」】
うた:新井純 演出:長谷トール
<名古屋初演>
2010年5月16日(日)名古屋市芸術創造センター
【新しいうたを創る会 第7回 名古屋初演演奏会】
うた:小川智津留 演出:間宮久登
コンサート情報
私は、20代後半の数年(1997〜2001年)、紀尾井シンフォニエッタ東京(現在の紀尾井ホール室内管弦楽団)でライブラリーの仕事をしていた時期があります。2000年のヨーロッパツアーの折、ステージマネージャーの安斉慶太さんから、「実は詩を書いているんだ」と告げられ、ノートパソコンに書き溜められた詩を見せて頂いたことがきっかけで、ならば一緒に歌を作りましょう、ということになり、混声合唱曲《O/Ki》(2001)、歌とフルートのデュオ《食卓の音楽》(2002)、そして本作が生まれました。
一人の中にある 10 個の人格を 10 個の単語で表して それに短い詩をつける。その 詩にインスパイアされた曲を単語として歌う。
100 個の歌の集合体。詩は歌わないの。詩は曲と並列。歌うのは詩の題名。
私の中に住み着いた
弔い男 と 踊り場少女
父の影 と 母の声
狼男 と 猫娘
博士 と 家のない老婆
仮面の男
そして、「ワタシ」
誰の中にもあり得る他者。異常性はないのです。
沢山の人格が普通の人の中にもあるのです。
統合されて行くのが、大人になることかもしれません。
私は、それぞれの単語に、それぞれの詩を踏まえつつ、各人格に沿った唱法や旋律作法によって固有の旋律を与え、それをどのように歌うべきかのインストラクションも添えました。演者は、そのインストラクションを読み込んで各旋律をからだに入れる必要がありますし、その背景に存在しているそれぞれの詩も演奏に盛り込むことが求められます。
それらの旋律は、各人格ごとに色分けされた10枚ずつのカードに記されており、冒頭はそれぞれの人格でシャッフルして配列していきます。
続いて、それぞれの人格で10枚ずつをめくって歌いながら、次々とそれぞれの人格の流儀によって放り投げられます。
100語を一巡するあいだにバラバラに床に並んでいるカードを、2巡目は各人格の順に拾い上げ、見えた順に歌っていきます。再び投げられ、次第に順番も構わずランダムに拾い上げられていくようになりますが、その際、演者は、瞬時に拾い上げたカードの人格に転じ、あたかも仮面を付け替えるかのごとく演じ分けていかねばならなくなります。
歌い手は、男女を演じ分けなければならないと同時に、振付を実行せねばならないので、動き易く、且つニュートラルな衣装が望まれる。理想的には、ファンデーションのみをまとい、はだしであることが望まれる。
(12月20日追記2:今回の動画公開に際し、詩の安斉慶太さんの許可を得て本作のテキスト全文を掲載致しましたので、併せてご覧下さい。10の人格による10ずつ、全100の単語のそれぞれには、歌われない詩が添えられております。別ブラウザを立ち上げて、詩を読みながらご覧になるということもできると思います。)
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