(箴言 12:24, 改訂訳) 勤勉な者の手は人を治め、怠り者の手は苦役に服する。

 

聖書を読んでいると、神様が怠惰な者を嫌われるという事実を悟らせる御言葉を、新旧約聖書の中で数多く見つけることができます。その通りです。イエス様は、安息日にベトザタの池のほとりにいた38年も病気であった人を癒やしたことでユダヤ人たちと論争になった際、次のように語られました。

(ヨハネ 5:17, 共同訳) しかし、イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今も働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

 

このように、神様とイエス様は今も熱心に働いておられます。

しかし、働くためには準備が必要です。幼いイエス様は、大工である父に従って大工仕事を熱心に学んだため、成人して立派な大工になることができました。また、幼少期に聖書を熱心に学んだため、パリサイ人との討論でも流暢に聖書を引用し、正しく教えることができました。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

それゆえ、今の時代を導いていくべき神の聖徒たちも、学び、準備することに怠慢であってはなりません。もちろん神様が助けてくださいますが、神様は準備された器の分だけ満たしてくださいます。エリシャの祝福を受けた亡き預言者の弟子の未亡人も、準備された器の分だけ油を受け取ることができました。したがって、この時代の先導者となるべき私たち聖徒は、実力を備えることに最善を尽くさなければなりません。

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

唐の時代、卓越した文章力のために「詩仙」と呼ばれた李白 (Li Bai, 701-762) は、西域の砕葉城(現在のキルギス地域)で生まれました。彼は5歳の頃、貿易商であった父に従って唐の蜀地方(現在の四川省)に移住して暮らし、若い頃は多くの仲間と共に四川省の山々を巡り歩いたりもしました。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

その頃、彼は立派な師を求めて象宜山に入り数学(修学)していましたが、ある日勉強に嫌気がさし、師に告げることもなく山を下りてしまいました。家に向かって歩いていた李白が渓谷の流れる川辺にたどり着くと、一人の老婆が岩で一生懸命に斧を研いでいました。

 

 

 

斧を研いで針を作る老婆

 

不思議に思った李白が尋ねました。「おばあさん、今何をしているのですか?」「針を作ろうとしているのだよ。」老婆の答えを聞いた彼は呆れてしまい、「斧で針を作るというのですか?」と大声で笑ってしまいました。

 

斧を研いで針を作る老婆

 

 

すると老婆は李白を真っ直ぐに見つめ、嗜めるように言いました。「坊や、笑い事ではないよ。途中でやめさえしなければ、いつかはこの斧で針を作ることができるのだ。」この言葉を聞いた李白は、「やめさえしなければ」という老婆の言葉を決して忘れることができませんでした。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

彼はこの単純な言葉に大きな悟りを得て、再び山に戻り、脇目も振らず熱心に学問に励みました。その後、李白は心が緩むたびに、針を作ろうと懸命に斧を研いでいたあの老婆の姿を思い出し、奮起したといいます。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

 

李白が古今を通じて偉大な詩人になれた理由は、まさに「やめさえしなければ」という忍耐の教訓を正しく悟り、それを実践に移したことにあります。この逸話から生まれたのが、「どんなに困難なことでも最後まで耐え忍べば必ず成し遂げられる」という意味の「磨斧作針(まふさくしん)」という四字熟語です。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

磨斧作針は、南宋 (Nan Song) の時代に祝穆 (Zhu Mu, ?~1255) が著した地理書『方輿勝覧』や『唐書』の「文芸伝」に登場する言葉で、斧を研いで針を作るという意味から、いかに困難なことでも辛抱強く続ければ、いつかは必ず成功することを例えた言葉です。

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

 

中国最高の詩人を挙げるなら、誰もが唐の李白を挙げるでしょう。李白は天才型の詩人ですが、彼の詩には数多くの古書が伝える過去の歴史や事例が多く盛り込まれています。これは李白の読書量が膨大であったことを意味します。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

 

李白は道教、儒教、仏教、そして歴史に通達し、万巻の書を積み重ね、凄まじい量の習作をこなしました。そのような練達を通じて、最高の大詩人として生まれ変わったのです。

 

 

 

赤レンズ豆の煮物一杯で長子の権利を売ったエサウ (Esau, 1836 BC-1706 BC)

 

 

英語に「エサウ・シンドローム (Esau Syndrome)」という言葉があります。旧約聖書に登場する双子の兄エサウは、空腹のあまり一杯の赤い煮物と引き換えに長子の権利を売ってしまいました。将来を考えず、ただ現在の目先の利益に目がくらんで生きる人を、エサウに似ているという点で「エサウ・シンドローム」と呼びます。このような人は、種を蒔かずに実だけを収穫しようとする人のようです。

 

 

 

赤レンズ豆の煮物一杯で長子の権利を売ったエサウ (Esau, 1836 BC-1706 BC)

 

私たちは決して「どうにかなるだろう、なんとかなるだろう」と漠然とした期待を持って生きてはなりません。人は何を蒔いても、その蒔いたものを刈り取ることになります。私たちは将来収穫する実のために、今日、涙ながらにその種を蒔かなければなりません。実は種を蒔いた者に与えられるものです。

 

 

 

 

今日実力を養えば、明日は世界を導くことができます。エイブラハム・リンカーン (Abraham Lincoln, 1809-1865) は、「本を一冊読んだ人は、本を二冊読んだ人の指導を受けることになる」と言いました。神様があなたを立派な働き手として用いられる未来のために、今日も勤勉に実力を磨かれることをお祈りいたします。