主宰の小西です。

なんだか、久しぶりです。
(笑)

先週の土日で夏のテアトロ・スタジョーネ『隣の花』が終わりました。

テアトロ・スタジョーネ自体、現状では運営ルールや役者のメリット、ペイメントが確立されてない中、ただただ芝居をしたい、アクトの名を世に馳せたいという気持ちでやってるさなかなんで、様々に一長一短な事はあるわけです。

そうだとしても、今回の作品は本当に楽しく上演出来た。

一つには、宇土さん。

新人の彼を何とか成長させたい、何とかお客様を愉しませてお芝居出来る役者さんにしたい、という気持ちにAB両キャストが暗黙の内に一致団結して、ホントによくサポートし、稽古していた。
きっとこれが大きい。

そして、これこそが僕がテアトロ・スタジョーネに求めている最良のかたち。
それが何より嬉しかった。

岩崎、中西、立和名の三人はホントによくやってくれた。彼らの献身的で建設的なサポートがなければ、決してここまでにはいたらなかった。
感謝です。

そして、宇土さん自身が大きく成長した。
愉しませたいという想い、なれない感情生活、かなりの数の段取りとセリフ、生まれたばかりのお子さん。
そのどれもに屈する事なく、むしろ励みにホントに頑張ってやり抜いた。

これもアクト青山の理想。
結婚していても、定職を持っていても、限られた時間の中で、半年間出来るだけ努力し、俳優としての研鑽を積む。宇土さんの成長に勇気を貰ったのは他ならぬ僕自身でした。
ありがとうございました。

次に、作品。

台本はそんなに面白いものじゃない。
退屈な日常の小さなエッセンスしか描いてない。セリフも核心には触れてなくて、何より装置が二軒長屋の庭先だけ。アトリエでやるには、かなり難しい設定だった。
だから、思い切って音楽、装置、セリフ足しをして、いつもより早いビートを刻んで、エディット・ピアフに乗せて、楽しければ良いんだ、愉しんで貰えれば良いんだと言い聞かせて来た。

衣装は役のコントラストのために用意し、装置配色の中で個々が個性的に見えるよう考え、セリフの緩急を役柄で指示し、ラディカルでアンビバレントな西洋劇の素養をふんだんに盛り込んだ。

みんな、難しい指示の中でホントに大きい結果が出せて良かった。
テアトロ・スタジョーネであんなに客席が笑っているのを初めて聞いた。


震災があって、うちは『かもめ』の最中で、僕もいろいろ考えたけど、やるしかなくて、苦しかった。

本当は復興の手伝いがしたかった。
日本人なんだもん。
でも、演劇人には演劇しかないのも事実だと思っていた。

だから、せめて、あの小さな箱の中だけでも皆に笑って欲しかった。
役者には愉しんで欲しかった。

今はまだ、日本に笑顔を、みたいな大それた事は言えないけど、いつか、沢山のお客様がアクトを愛してくださる足掛かりに僕は『隣の花』を作りたかった。



人は人を想う。



その原点で今回の作品を創りたかった。
日本人に生まれたのだから、綺麗な日本語のお芝居を、大切な人を、大切なこの国を思って創りたい。

新劇がどうのじゃなくて、その枠を超えて、沢山の笑顔と、感動の涙のために演劇人になったのだから、ぶれないで、迷わないでこれからも作品を創りたい。

そう感じました。


僕には演劇しかなく、アクト青山しかないので、これからも頑張ります。

『隣の花』のメンバーのみんな、本当にありがとう。

また、次の作品で。


photo:01


もう、この装置も組まないのね。
(T ^ T)



photo:02


初日の夕方。