マサトです。
果たして、この自分のみの連載が許されるのかが、今更ながら不安になってきた。
あくまでもこれは、今回『桜の園』でフィールスを演じる菊地正人個人の生い立ちを知ってもらおうと始めたわけで、興味の無い人には只の30歳の無名の俳優の勝手な昔話にしか見えないかもしれない。
でも、とりあえず、いけるところまでいってみたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高校1年の秋、僕は演劇部に入部した。
それからの2年半は、自分の中でも初めて生き生きとした時間だった。
仲間と一緒に作品を作り発表し、仲間とケンカしたり、仲間と助け合ったり、本当に濃密な時間だった。
そして、高校3年の2月11日(祝)親父と二人で東京に上京し、アクト青山の入所試験を受けた。
アクトを決めた最大の理由は、『テアトロ』という雑誌のカラーに2ページに渡って書いてあったから。そして、1クラス15名前後ということで、自分を見てもらえる時間が多そうだということも、メリットの一つだった。
演劇部にどっぷりハマっていたが、どこが有名な劇団で、どんな芝居をやっているのかは全く調べていなかった。
当然、渥美國泰という名前の俳優がいる事も(失礼なことに!)知らなかった。
前もって、アクトの試験で出される問題を演劇専門の問題集から調べて、詩の朗読などを顧問の先生に聞いてもらって練習をし(入所試験の時、この練習は全く持って無意味だった)、提出する作文を前もって下書きをしていた(おかげで、当時一緒に受けた生徒の中で一番早く作文を書き上げ提出することが出来た。そのため、その年の一番最初のアクト生は実は僕なのだ)。
入所試験当日、詩の朗読が終わり、書き上げた作文を先生に読み聞かせた後、その場で合格を言い渡された。
こういう試験は、後に合格通知が届くものだと思っていた僕は、その場で思いっきり固まった。
嬉しいのか嬉しくないのかよくわからないまま(当然嬉しかったのだが)、アクトの門を出て親父に報告。すぐさま物件探しに入った。
アパートは、探し始めて数時間後、京王線千歳烏山駅から徒歩15分のところに決めた。
そして、高校卒業。1998年3月27日。僕の東京暮らしが始まった。
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高校3年の後半、クラスのみんながひたすら受験勉強に励む中、僕はあいかわらず演劇部で活動していた。アクト入所が決まった後の3月1日に高校の卒業式が行われたのだが、演劇部は3月27日に発表会を控えており、僕もこの発表会に役者として参加した。
そして、親父と引越しを手伝ってくれる親父の弟(叔父さん)の休みの関係で、引越し日も3月27日となり、この日は、朝から名古屋の中村文化小劇場で演劇部の発表を行った後すぐに新幹線に乗り、東京に着いて先に着いていた親父達と合流し引越し作業を行った。
今思えば、なんという強行スケジュールだったことだろう。若さゆえの行動力とも言うべきか。
とにかく、ここから僕のアクト青山での活動が始まるわけである。
果たして、この自分のみの連載が許されるのかが、今更ながら不安になってきた。
あくまでもこれは、今回『桜の園』でフィールスを演じる菊地正人個人の生い立ちを知ってもらおうと始めたわけで、興味の無い人には只の30歳の無名の俳優の勝手な昔話にしか見えないかもしれない。
でも、とりあえず、いけるところまでいってみたいと思います。
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高校1年の秋、僕は演劇部に入部した。
それからの2年半は、自分の中でも初めて生き生きとした時間だった。
仲間と一緒に作品を作り発表し、仲間とケンカしたり、仲間と助け合ったり、本当に濃密な時間だった。
そして、高校3年の2月11日(祝)親父と二人で東京に上京し、アクト青山の入所試験を受けた。
アクトを決めた最大の理由は、『テアトロ』という雑誌のカラーに2ページに渡って書いてあったから。そして、1クラス15名前後ということで、自分を見てもらえる時間が多そうだということも、メリットの一つだった。
演劇部にどっぷりハマっていたが、どこが有名な劇団で、どんな芝居をやっているのかは全く調べていなかった。
当然、渥美國泰という名前の俳優がいる事も(失礼なことに!)知らなかった。
前もって、アクトの試験で出される問題を演劇専門の問題集から調べて、詩の朗読などを顧問の先生に聞いてもらって練習をし(入所試験の時、この練習は全く持って無意味だった)、提出する作文を前もって下書きをしていた(おかげで、当時一緒に受けた生徒の中で一番早く作文を書き上げ提出することが出来た。そのため、その年の一番最初のアクト生は実は僕なのだ)。
入所試験当日、詩の朗読が終わり、書き上げた作文を先生に読み聞かせた後、その場で合格を言い渡された。
こういう試験は、後に合格通知が届くものだと思っていた僕は、その場で思いっきり固まった。
嬉しいのか嬉しくないのかよくわからないまま(当然嬉しかったのだが)、アクトの門を出て親父に報告。すぐさま物件探しに入った。
アパートは、探し始めて数時間後、京王線千歳烏山駅から徒歩15分のところに決めた。
そして、高校卒業。1998年3月27日。僕の東京暮らしが始まった。
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高校3年の後半、クラスのみんながひたすら受験勉強に励む中、僕はあいかわらず演劇部で活動していた。アクト入所が決まった後の3月1日に高校の卒業式が行われたのだが、演劇部は3月27日に発表会を控えており、僕もこの発表会に役者として参加した。
そして、親父と引越しを手伝ってくれる親父の弟(叔父さん)の休みの関係で、引越し日も3月27日となり、この日は、朝から名古屋の中村文化小劇場で演劇部の発表を行った後すぐに新幹線に乗り、東京に着いて先に着いていた親父達と合流し引越し作業を行った。
今思えば、なんという強行スケジュールだったことだろう。若さゆえの行動力とも言うべきか。
とにかく、ここから僕のアクト青山での活動が始まるわけである。