ここのところ観劇する機会が続いていて、芝居ってチケット代を払っていただくのだということを思い出した。観に行く立場になって改めて思い出すこともある。そして自分で財布から千円札を何枚か取り出すときに、返ってくるものをあまり期待していないことに気づく。
芝居じゃお腹はふくれないし、何かをモノとして貰うわけでもない。私たちはただその幸せ感とか、空気とか、カタチに残らないものを商売している。


勉強のためにやるのはもう止めよう。
観に来てくださるお客様に何かを与えたい。感動なら最高だけど、少なくとも勉強した成果とか、個人の頑張りとか、そんな貧しいものを求めるのは止めよう。観に来て悪くなかったなと思えるような、何かあたたかいもの、愛情とか、一生懸命生きる姿とか、テーマパークに来たような、そんな感じを。


役者個人の苦悩とか関係ない。
役について悩むなんて当たり前だ。
あまつさえ、悩んでる姿を見せてどうする。
そんなものを見るために安くないチケット代を払うわけが無い。


そんなのは軽く通り越して、これを表現したいんだってことを伝えたい。
作品を伝えたい。みんなが同じ目標について、同じレベルで悩みたい。役はパズルのピースであって全体じゃない。バランス、そう、全てはバランスの上に成り立っている。
そしてそのバランスは、周りをはばかって萎縮する性質のものじゃなくて、全員が弾けて、弾けまくった先にある作品全体の活気の中のバランス。
それが答え。


未熟だっていいじゃないか。
こんな無名な役者集団。
完璧な桜なんて求められてないさ。
だったらなおさら、「意外に作品として楽しめた」と言われたいよ。


私は今日の最後、稽古場で最悪の気分になった。できないことに甘えて悩んでる役者なんていらない。自分の世界の中でしか生きられないなら、私たちの桜にはいらない。人と関わりあってこそ、表現が豊かに膨らんでいくのに、それをまだ理解できないのか。


私はこのまま寝ないで稽古場に行く。
本当に悔しかったから、明日は必死にやる。あなたと私は違う。当然技術じゃない。
流した涙の量が、苦しんだ心の蓄積が、それを覆す情熱の力が、あなたには負けないと言ってる。
全ては、お客様のために。