頑張りすぎないために

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No.346 こころのメモ115(ACアダルトチルドレン札幌)
 
 
こんばんは。
おはようございます。
 
 
今日は、かなり以前から気になっていた
ある学者さんの動画を
5時間くらい観続けていました。
 
英知にふれるということは
自己を啓発してくれるので
私は好きです。
 
超天才はすごいとも思いました。
 
自分が
好きなことを
追い求め続けるということは
とても体力や
情熱が
必要だと思います。
 
超天才は
このような
既成概念という枠すら
もっていないのか
とらわれないのか
自分の興味に
ただ
突き動かされて
生きているのか
 
 
 
私は、
今回の地震で
もっともっと
自分が変わりたいと思っています。
 
このような究極の
動機付けはなかなかないと思っています。
 
まだまだ
モヤモヤした感じはありますが
今後、
私が仕事を続けていく上で
考えさせられ、
忘れることのできない
大きな爪痕を残されたような気がしています。
 
 
 
もっと
人に優しくなりたいなあって思っています。
 
もっと
後悔しない生き方が
できるようになりたいなあって思っています。
 
もっと
人の気持ちが
わかるようになりたいです
 
もっと
悲しみに暮れている人の
癒しになりたいです
 
もっと
具体的で
現実的な
ことばが
言えるようになりたいです
 
もっと
お相手の方の
歩まれてきた
人生を
受け止められるようになりたいです
 
 
もっともっと
自分に
力があれば
苦しんでいる人の
癒しに
なれるのになあって思っています。
 
癒しに
力は
必要ないのですが
適当なことばが
今は
見当たりません
 
 
ごめんなさい
 
どうすればいいのか…
 
 
 
「わかる」って
どういう意味だろう?
 
 
 
今回は、
当時のアメリカでも
とても個性的なセラピストとして知られていた
アン・ウィルソン・シェフの著作から
お届けします。
 
がんばりすぎないために。
 
 
。。。。。。。。。。
 
9月10日
starting over 再出発
 
わたしはふたつ重要なことを学んだ。ひとつは、心と身体は人が自らに許す分だけ強くなること。もうひとつは、なにをするにもいちばん困難なのは、最初の決心をすることと、最初の一歩を踏み出すことだということ。
・・・・ラバン・デービッドソン
 
この言葉は、ラクダの扱いを覚え、単身、ラクダでオーストラリアの奥地を旅した女性が書いたものです。彼女がこうしたことを学んだ状況の過酷さを思うと、この言葉はいっそう深みのあるものに感じられます。
もしもわたしたち一人ひとりが、自分に許すだけの「強い心と身体」をもつことができると信じたら、どうでしょうか?
もしも、だれにでも受け入れてもらおうとすることをやめ、誰ひとり疎遠にすまいと努力することをやめ、自分が本来もっている強い心と身体になることにしたら?
なにも特別なことではないのです。ただ、自分の生まれついたままに、すばらしく力強くさえあればいいのです。
そしてもしも、自分が本当に望んでいることに向かって、あの最初の一歩を自らに踏みだせたら?なにも大そうなことではありません・・・・・・大騒ぎすることもなく・・・・・・ただ実行するのです!
 
 
今日という日が、これからの人生の最初の一日であることを覚えておこう。
 
_____
 
9月11日
serenity  心の平安
 
閉ざされた公園の静けさは、田舎の静けさとは違うようだ。そこには緊張感と息苦しさがある。
・・・・エリザベス・ボウエン
 
わたしたちが頑張りすぎという病気にしっかり向き合っていないとき、黙ってはいても心が平安でないことがよくあります。しばらく黙ることはできても、活動から切り離された街中の公園のように、「緊張感と息苦しさ」を感じているのです。
心の平安はむしろ、「田舎の静けさ」を内にもつことに近いものです。平安であることは、ありのままの自分を受け入れ、ありのままの自分で「あること」なのです。心の平安とは、宇宙における自分の居場所を知ることであり、あらゆるものとの一体感なのです。
心に平安をもつことは積極的なことです。それは信頼しながら、穏やかに、けれどもしっかりと参加することです。わたしたちの細胞をありのままの自分のなかへと弛緩させることであり、弛緩したことを静かに祝うことです。
 
 
その昔に「田舎の静けさ」を心のなかにもつのがどういうことだったか、わたしはなつかしく思い出す。その感覚を知っていることに感謝したい。
 
_____
 
9月12日
reaching our limits  限界に達する
 
もう、十分です。
・・・・ゴルダ・メイア
 
なんという美しい言葉。そして頑張りすぎる女性たちがこの言葉を口にするのは、なんとまれなのでしょう。
わたしたちのおかしな側面は、自分に限界があるのに気づかず、限界に達したときにもそう感じられない、ということです。
実際にわたしたちの多くは、限界があるのは未熟さの証明だととらえているようです。疲れ果てたときに今していることを続けられない自分、あるいはどんな状況下にしろ頑張りつづけられない自分を、わたしたちは許せません。
もしかしたら、自分が限界に近づきつつあることに気づき、限界を受け入れることから、回復が始まるのかもしれません。
 
 
どんな人間にも限界がある。そして、わたしも人間なのだ。
 
 
〔参考文献〕『つい 頑張りすぎる 女性のための本・あるがままの自分と向き合う366日』アン・ウィルソン・シェフ 著/斎藤学 監訳・二宮千寿子 訳/1999年刊 大和書房




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