東日本大震災後の福島原発事故

 

あの時

 

当時16歳の実家のミックス犬ランは

たった一人で約20日

お外に繋がれたままで家族の帰りを待っていました。

 

 

町内放送で

着の身着のまま避難した私の両親と弟

犬は避難所に行けないと言われたため

ランに何皿もの餌と沢山の水を置いて遠くへ遠くへ

避難すること3か所。

 

 

その様子を聞いた私はいたたまれず

母に電話で怒りながら

 

雪も毎日降ってるのに

ランはどうするの!どうなっちゃうの!

 

と気が気ではなく

 

夜中3時にスタンドに並んでようやくガソリンを入れた日

車を飛ばして福島へ。

 

バリケードもどかしながらランを助けに向かいました。

 

 

防護服なんてありませんでしたので

雨合羽、長靴、軍手に毛糸の帽子。

 

放射能も当時はコロナ以上に怖く感じましたけど

ランが無事でいてくれたことが奇跡で。

 

ただ ただ、うれしくて。

 

 

そんなことがあった震災後は

愛犬2頭とランの3頭と生活することになりました。

 

 

ランは高齢とは思えないくらい丈夫で

長男犬よりも体格がいい大きなわんこでした。

 

実家ではお外で飼っていたわんこでしたが我が家ではずっと室内。

 

環境に慣れるということだけでも

かなりストレスだったことでしょう。

 

マンションでは2頭までという規則を破って飼っていたので

お散歩にも簡単に連れ出せません。

 

3頭を代わりばんこに私一人がお散歩させて

 

仕事や家事の合間を見て

動物病院に預けていた保護犬5頭のお散歩も

里親さんが決まるまでの半年ほどは

毎日病院に通い私が一人で1頭ずつしていました。

 

 

 

ランは当時とても太っていたのでダイエットさせたのですが

我が家に来て2年の間にすっかり痩せました。

ダイエットもストレスに追い打ちをかけてしまったようです。

 

病気らしい病気を一度もしたことが無かったランが

てんかん、認知症、そして徘徊、夜泣きをするように。

 

 

ランが徘徊していたころは真冬でしたので

夜中の寒い雪の中を徘徊させるわけにもいかず

 

配管工の夫が室内でも歩けるようにと

管材をつないで歩行器を作ってくれました。

 

(歩いてる間は泣かないので

ひたすら歩くランに付き合うことにしました)

 

その歩行器で夜中もずっと見守りながら歩かせて

ランが疲れて寝るのはたいてい夜明け。

 

 

ランがようやく寝たとあと

私は朝ご飯の支度をして主人にお弁当を持たせ

そのあとで仮眠をとるという毎日でした。

 

 

愛犬たちのお散歩も短めになりがちで

愛犬たちもイライラ。

 

私も疲れから、

元気な愛犬たちにイライラ。

 

 

そんなある日

 

長女犬の首の下のほうに

硬い腫瘍が見つかり、

検査で切除したものの結果悪性と判明。

 

先生に再発するかもしれませんと言われたので

私は現在もお世話になっている東京の漢方専門医のところへ

長女犬を連れていきたいと思いました。

 

 

季節は2月 真冬

 

行くとなれば

 

 

主人に休みを取ってもらい

避難所先の母にお願いし

ランと愛犬1頭のお世話をお願いしなければなりません。

 

 

気がかりなのは

夜中も寝ないで歩行器で歩き回るラン。

 

高齢の母頼めば

朝まで続く徘徊の見守りを強いることになります。

 

母も母で認知症の父を避難所に一人残してくるのは

とっても気がかりだと。

 

 

 

どうしようかな

 

何かいい方法はないかな。

 

 

ランが徘徊を休んでいる間に

そんなことをつぶやいた私。

 

 

 

ランは私の気持ちを理解したのでしょうか

 

長女犬と東京にいく5日前

流動食元気に食べた後で大きな声で

ワオン!、ワオ~ン!

と 遠くに叫ぶように

台所にいる私に向かって吠えました。

 

(遠くにいる元飼い主の両親にも聞こえたかな)

 

 

そのあと昏睡状態に入り

約2日ぐっすりと寝て

 

 

暖かい陽だまりの中でお昼寝させていたら

横になったまま、最後のシッコをし

最後にいただいたご飯もしっかりとしたうんちで出し

 

私と愛犬2頭がくつろぐお部屋で

お昼寝しながら静かに息を引き取りました。

 

享年18歳11か月でした。

 

 

 

ランは私達の事情を全て理解していたかのよう・・・。

皆にとって一番良い形で解決するように

 

ちゃんと自分の火葬する時間も私たちに与えてくれて

 

心残りなく長女犬の診察に行ってこれるようにと

 

細かい所まで計算して旅立ちました。

 

 

『なんにも、心配しないで、

気を付けて行ってらっしゃいな』

 

そんな声を聞いたように思いました。

 

 

 

ランの火葬をした後私たちは

長男犬も一緒連れて

長女犬の漢方薬治療を始めるために東京へ。

 

実家の母は

避難所で一緒に暮らす認知症の父のそばで

過ごすことが出来ました。

 

 

ランちゃんのおかげで無事東京の先生の診察を受け

漢方薬治療を続け

苦しい闘病生活をした長女犬はその翌年春に

ランを追いかけるように旅立ちました。

 

海のように深い器を持つ大人なランちゃんに

安心して心を許し、身を任せる長女犬でしたので

それも分かる気がします。

 

 

あの日のように楽しく女子トークしていることでしょう

(上から長男犬、ランちゃん、長女犬)