統合失調症の母に育てられ普通ではない生活を普通だと思っていた子供時代を本に書けたら、同じように苦しんでいる人に寄り添ってあげられるのではないか。誰かに寄り添ってあげられたら自分の孤独からも解放されるのではないか。ぶち当たるのは国語力のなさ。
難しい言葉では理解してもらえない世代もあるから自分の言葉でつづれば良いんだって思えるまでに20年ぐらいかかったなぁ。
句読点のつけ方ですら戸惑う事もある。
20年前にガラケーのSNSで知り合った人に相談した。
『箇条書きにしてくれたら執筆してあげるよ』言われるがままに生い立ちを箇条書きにした。そしたらね、あっさり想像越えたらしくリタイヤされましたよ(笑)自分の事は自分で書かなきゃ伝わらないんだし、それで良かったんだけど。
働いている保護者が子供をみてあげられないから預けられる保育園(今は保育所っていうね)に1歳から通った『どうしてウメコちゃんのおかあさんはおしごとしてないのにおむかえにこないの?』こっちが聞きたいよ。笑ってくれない母 仲良くしてくれない姉 帰ってこない父 説明できない寂しさをどう表現したら良いかわからなかったし、保育園はなんとなく楽しかった記憶もある。
人は一人では育たないって言う一人って 育てる人が一人じゃないって意味なんじゃないかな?って最近は思うようになった。
最近は自分で育てられない親に寄り添った施設や相談出来る機関が増えたとは思う。でもなんか違うって感じたり絶望を感じている人はそういうところはどうせ自分には寄り添ってくれないだろうって諦めてる人もたくさん居るように思う。これってなんでなんだろう?