「教育ゲーム」と言うと、大人が子供に押し付ける、みたいなイメージがあります。
「教育」という言葉自体が、「教えて、育てる」と書くように、偉い大人が未熟な子供に教える、みたいな感じがしますよね。
実際はどうなのか?
始めて日本でアチーバス大会をやった時、何度もゲームの延長をお願いしてきた小学校2年生の女の子が、感想で、
「はじめは難しそうで、つまんなそうだったけど、後からは簡単で、面白かった。」
って言ってましたね。
ここに本質がつまっていると思うんです。
アチーバスは、協力し合ってみんなで勝つゲームだから、途中から大人も子供もなくなって、ただチームとして支え合う仲間になるんですね。
もちろん、教育は必要です。
「教わる」という事を選択するだけで、自分が何十年も生きて経験しなければわからなかったかもしれない事を瞬間的に体得できてしまうからです。
でもついつい大人は観念的になって、自分がプレイヤーである事を忘れてしまいます。
だから、大人は子供に戻って、子供は大人に一歩近づくゲーム、みたいなのがいいな~と。
大人も子供もなく、人間(ひと)として貴重な時間をわかちあえたら素晴らしいな~って、
そんな風に思いました~。(‐^▽^‐)