反差別です。

「差別では無い、区別だ」
→差別とは特定の属性の人を区別した取り扱いをすることです。
この手の人の言う区別の殆どが差別です。
すべてではないと考えています。

「〜によってこちらに被害が及ぶ可能性がある/高い
「自分の身を守るため」
「子どもたちを守れ!」
→差別の正当化として恐怖を持ち出すことは多い。
誇張されたリスクや、投影ではないのか?
怖がり差別は正当化されやすく、元々差別主義者ではなかった一般人にも広めやすく、エスカレートしやすい。
ジェノサイドに通じることも少なくありません。
わけもなく特定カテゴリの人間を怖がってはならない。
それどころか、いかにも正当そうな恐怖の理由を突きつけられても眉に唾をつけるべきだ。
なぜかと言うと、「〜だから○○に気をつけろ!」と言うのはよくある悪魔の誘いだからだ。

「逆差別」「弱者特権」
→このうち半数弱が
マジョリティであるためにこれまで得てきた特権や加害権が奪われることへの反発と
半数弱が
この4コマ漫画の
3コマ目のはしごの差分だけ見て騒いでいるのです。
そういう人、多いです。
合理的配慮を「不公平だ!」と大騒ぎする人、発達障害界隈にも多い…。
これは無知故と考えています。
屈折以上の方の眼鏡やコンタクトレンズを「ズルい!」と大騒ぎする人はいないので。
ポジティブ・アクション(積極的差別是正措置)にキレる人も多いですね。
多いというより過半数である印象すらあります。
ただし、行き過ぎた弱者特権や反差別も全く無くはないと考えていますが
そんなにないと思います。

人は自分に近い人や自分の仲間に好意を抱くもので、
そうではない人に冷淡なものです。
それは愛のひとつのかたちだけど…。
わたしにも偏見や差別の芽はあり、
それが芽吹く前に摘まなくてはならないと反省してます。
これは意識的に摘まなくてはならないもので、
何か人に嫌なことをされたとき、
そのカテゴリで嫌ったりしてはならない。
イライラしたとき、水が高いところから低い所に流れるように言いやすい人にぶつけてはならないとか。
幸い?わたしはどこでも異物で異形であり、
他人に親近感を抱いたり抱かれることがないので
内集団バイアスにかかりにくいのだけど…。

私の持論として、
人は
誰か他の人を人扱いしなくなった分だけ
その人の人間性が死んでゆく生き物だと考えている。
自分自身がよく思われたいとかは無い(笑)
それどころかこういう話をしていると
で、お前に何ができるの?(笑)
実のないきれい事ばかり
人間性が薄っぺらい
などと嘘つき扱いされて嫌われるくらいなので、
好かれたけりゃ
よくある差別に乗ったほうが好かれるくらいなんだろう。
しかしわたしは、
誰かを人扱いしない人になりたくないのだ。