Instagram上でときどき(ときどきではあるが)
自分の顔をアップしている理由はいつか書いたが、
私の自撮りは
年甲斐もなく実情とかけ離れた
盛り自撮りである。
加工系より奇跡の一枚系に近い。
詐欺メイクにライティング、角度。
43歳のオバサンがそんなことして
客観的にみっともないことは自覚しているが
私はそれをやめられない。

長らく醜形恐怖気味であった
それは根拠のないことではない
異常に大きな頭に重度の天パ、
肥満体(冷静にBMIを見ると肥満だったことはあまりないのだが)、
顔立ちはアクの強い所謂派手系ブス。
(故に稀に角度詐欺効くのがなんとなく
わかってもらえますか?)
実母には
「可愛くないからお嫁にはいけないから勉強して自立しろ」
と言われていたし、
親戚にも
「就職するにしても、
アメリカではデブは自己管理出来ないとして
出世できない」
と言われ、
(今思えば、アメリカ基準なら
日本基準のぽっちゃり女子など
誰もデブと言わないのでは?)
学校では外見の特徴をあげつらわれて
男子に忌み嫌われ、
女子に馬鹿にされ。
といった調子だったのだ。

何故、容姿の良くない女性は場にいることを拒否されるのかわからない
容姿の良さを売りにした職業とか、
あるいは合コンなど
容姿を問われる場で、
容姿の良くない女性が淘汰されるのは、
それはそうだろうと私も思う。
しかし、
道を歩いているだけで非難されたり、
容姿の良さを売りにしない職種でもいちいち可愛くないと言われたりするのは苦痛である。
私は男性に対してほぼ恋愛感情を持たないのだが、
好意を持つことはある。
その人の生き方や考え方とか、
あるいは仕事でお世話になってるとか、
単に気が合うとかそんなことだけど、
何故か、恋愛感情と勘違いされて激しい拒絶にあう。
(最近知ったが、
発達障害あるあるで
私は異性に対する距離感を同性と変えていなかったのが
良くなかった理由のひとつらしい
正しくは、同性と会話するときは30cmなら
異性には50cmにしなくてはならないそうだ
アスペルガー向けの指南書で知った)
とにかく、
容姿の良くない女だというだけで
攻撃に合ったり、
排除されるのは納得できない。

そもそも容姿の良し悪しって誰が決めたの?
現代日本では、
女性は小顔で目がぱっちり、
顎がほっそり。
体重は40kg台と定められているが、
時代や地域によって美の基準は異なる。
私はアンデルセン童話の『親指姫』の
コガネムシのエピソードが大好きだ。
コガネムシは美しい親指姫に一目惚れして
彼女を攫うが、
仲間のコガネムシが口々に
親指姫の容姿を罵ると、
コガネムシ自身親指姫が醜く見えて
ポイ捨てしてしまう…
というエピソード。
コガネムシ、かっこ悪いな
自分の感じる美醜くらい、
自分で選べないなんてなんて不幸なのだろう
善悪とか真偽ならまだ、
社会や時代におもねるのはわかるけど
パーソナルであるべき美醜まで
他人に委ねるなんて哀れだ。

外見などその人の一部にすぎない
男性であっても女性であっても、
人の魅力にとって外見はそう大きいウエイトではない。
かと言って、外見の美しさをいたずらに軽視するのも私は好まない。
思うに、
先天的な容姿の美しさは才能のひとつだ
数字に扱う才能に長けているとか、
走るのがとても速いとか、
そんな人の才能のひとつであり、
やたら重要視しすぎるのも、
逆にいたずらに軽視して馬鹿にするのも違うと考える。
ただし、
後天的な容姿の美しさはもう少し重要かもしれない。
その人の、日常の積み重ねの美しさや、
美的センスの良さや賢さ、
社会や他人を尊重し、もてなす優しい気持ちのあらわれである。
しかし、ガンジーが腰布一枚纏っていただけであったように、
それも必須ではないと私は考える。

美容努力厨が苦手
世間にハマらない外見をしていると、
あれこれ非難されたが、
ムカつくのは美容努力厨
美しくないのは努力してないからだと
自分に言い訳して人を好き放題罵ってくる人の多いこと。
髪も私は縮毛なので、
「ちゃんと手入れしていない」→「だらしない人間性」
という理論で罵ってくる。
肌や体型も、もちろん努力もあるが、
先天的な要素は小さくない。
あたかも100%努力で何とかなるように非難してくる人にはうんざりだ。
それは美しい人をも馬鹿にしてると私は考える。
モデルやアイドルの基準で一般女性の容姿を馬鹿にする行為は、
モデルやアイドルをも馬鹿にしている
モデルさんやアイドルさんの多くは、
先天的な美貌と美プロポーションに恵まれた上に、
泣きながら食事制限して運動するような努力を積み重ねている。
彼女らは美のプロなのだ。

とはいえ
しつこく容姿を罵られるのは
おそろしく惨めで悲しいことである。
たぶん私の場合は、
容姿より、内面の醜さが問題なのだろう。
しかし、
入口としてまず容姿を罵られる。
正確には、
容姿というより、容姿から推測される人間性を罵られる。
また、人間性を罵る際、容姿を絡めて辱められる。
私の場合、一番救いがないと一部で言われている派手顔ブスなので、
ブスキャラとして同性人気を獲得するのすら困難である。
小学校のとき、クラスの美少女に、
「あんた、目は二重で良いけど
他が全部駄目だよね」
と言われたのを驚きと共によく覚えている。
派手顔ブスというのは、
最も嫌われる勘違いブスと勘違いされて初対面でいきなり嫌われることが多い。
失礼だというブレーキも無くいきなり
「目は大きいけど鼻が…」
と親しくもない人に言われたり。
(アスペルガーが相手の気持ちを考えず思ったとおりズバズバ言うという言説はどこから来たのか私は不思議だ
私は親しくもない人にこのような失礼なことは言わないし、
定形発達者の方も充分ズバズバ言ってる
まあ、個人的な経験則だけどね…)
男性の多くは、
勘違いおブスちゃんとして私を扱う。
(私は性格を男女で分けるのは嫌いなのだが、
これに関しては経験上、男性にはすごく言われるが
女性に言われた記憶はない)
「お前、自分のこと可愛いと勘違いしてるだろ?」
「自覚無いようだけどブスすぎるんだけど」
夫にも
お前は自分で思ってるほど美人じゃない
と言われたので、
「ああ、この人もみんなとおんなじこと言うんだ…」
とガッカリした。
私は自分の外見が美しいと思ったことなどないからだ。
ただし、誰かに美しいと思われてみたいという欲はある。
みんながみんな、同じ顔や体型が美しいと感じるわけではあるまい。
私なんかも個人的な好みでは和顔マニアなので
昨今のデカ目ブームには疑問を感じている。
和顔、好きなのです。
清楚さと妖艶さという相反した魅力を兼ね備えていて、
和顔美女を見ると拍手を贈りたくなる。
某女優さんなどは、デビュー前に目を整形しろという圧力を受け、
それを断って和の美しさで成功されたそう。
美しい上に心意気まで凛として美しい。
閑話休題

夫氏ですが、
「美人じゃないなんて20年近い付き合いで1回だろ
その何倍も可愛いとか綺麗とか言ってるのに…」
いや、自分で思ってるほど美人じゃないがまずかったのです…。
容姿と人格同時に罵る破壊力抜群の台詞では…。
だいたいそういうのって本音だし。
でもタイムスリップ現象(ショッキングでネガティブなエピソードだけ鮮明に覚えていてフラッシュバックする)という特性があると判明したので
気にしすぎなのかもしれない。
それに認知の歪みによる、
無関係なエピソードの関連付けをしているのかもしれない。
そう思うと夫、かなり不幸な気も…。

自分の容姿を気にしなくなれた理由
そんな私ですが、ここ10年くらいは
容姿の悩みから解放され、
そう気にせずに日常生活を送れるようになっていた。
ひとつは縮毛矯正→今はストパーをしたから。
道歩いてると
誇張抜きに知らない人に絡まれるほどの
超ド級のブスだったのだが、
髪をストレートにしたら、
顔や体型含め、からかわれの8割はなくなった!!!
別に顔や体型は変わっていない(笑)
髪は女の命
とは本当なのかと驚いた。
同時に、美しい髪の女性への憧れはますます強くなり、
同時に私以上に髪の悩みのある女性の悲しみに心を寄せるようになった。
ひとつはメイク詐欺
20代半ばでアメリカ式のメイク本に出会い
メイク詐欺に目覚めた。
今でいう骨格メイク。
ハイライトとシェーディングを大胆に駆使して顔立ちそのものを変えてしまう。
その頃は日本の女性誌のメイク指南にそこまでのものはなかったように思う。
そして一番重要だったのはある非常に美しい女性との出会いだ。
非常に外見の美しい女性に出会ったことがありますか?
まるで別の生き物のようだった。
女神を見た。
息を呑んだ。
まあプロのモデルさんだったのですが。
常人の赤ん坊ほどのサイズの顔に長いまつげ、艷やかで豊かな髪。
常人の1/2,私の1/3ほどの細さなのに、
骨と皮ではないのです。
健康的に筋肉も、
女性美を表現する程度のうっすらとした脂肪もきちんとついた肉体。
骨格そのものがまるっきり違う。
美容努力厨よ見たか!
これがプロのモデルだ。
あなた方は一般女性を
顔が大きい、太いと罵るが、
いったいどんな努力とやらをしたら
こういう肉体が手に入るのだ?
(もちろんそのモデルさんも血の滲むような
日々の鍛錬も欠かさないだろうが、
骨格が全然違う)
私は彼女に救われ、
長年の摂食障害からも抜けることがてきた。

と言うわけで、
別にいいじゃん、
罵ったり嗤う人はほっとけ(笑)
と自分としては伸び伸びと、
しかし最低限の身だしなみには気をつけながらやってきた。
最低限の身だしなみというのが私にはハードル高くはあるのだけど、
女性は世間一般からみてある程度の容姿を保たなければならないという呪縛からは解放され、
ひとつ自由になれた。

ところが、
私はある男性ミュージシャンさんに心打たれ、
闇の中に仄かな光が灯ったような、
地獄に蜘蛛の糸が投げ込まれたような
大袈裟ではなくそんな幸せを得た。
最初はわりとフリーな感じで、
自分のことは忘れ、
音楽の世界で遊んでいた。

しかし、
それは、
「男で言うところのAV」
という指摘を受け、
ああ、やはり私は女なのだ。
それも醜女。
逃れられない。
と再び悟った。
もし彼の音楽とステージパフォーマンスが純粋に好きでも
外からはそう見えない。
いや、外からそう見えなくて
誰かに罵られても嗤われても
本当に好きなら貫け。
と言われるかもしれない。
でも芸能人も人間
数多くの知らない人、
それも何をするのかわからない
奇怪で気持ちの悪い女に好意を持たれるのってどうだろう?
また、前述のとおり異性に対して好意を持つと
一方的な薄汚い性欲と勘違いされるのはなんとかならないものか。
私が誰かを好きになるとその相手がかわいそうと言うのは数多く言われた。
「○○菌に好かれるなんてかわいそう」と。
しかもその相手の評判が落ちる。
小学校のときも、私が誰か有名人のファンになると親やクラスメイトからその有名人が馬鹿にされた。
社会人になってからも、
聞かれてとある女性ミュージシャンが好きと言ったら
「だっさー(笑)
○○って何やっても同じ曲だよねーゲラゲラゲラ」
その女性ミュージシャンが嗤い者になった。
何十万人とファンがいる芸能人、
こんなことに悩むのは自意識過剰で、
私の何万倍も素敵なファンがいて
私みたいに素敵じゃないファンだって
きっと私以外にもいる。
そんなことは折り込み済みだと思う。
でも、そのほんの少しのマイナスが私は気になる。
じゃあ黙って隠れキリシタンのようにひっそり応援していればいいのだが…。

容姿は問題ではない
私は拘りすぎなのだ。
人が美しいか醜いか、
人々に支持されるか蛇蝎のごとく嫌われるかには
容姿はそう大きい要素ではない。
私を蛇蝎のごとく嫌ってきた人達だって、
別に容姿が主原因ではないだろう。
しかし、人々が私を罵り嗤うとき、
やはりわかりやすく容姿をあげつらったり、
容姿にも触れて罵倒したりからかうことがほとんどだ。
頭では気にしない。
そんなくだらないことより
心をきれいな状態にして
日々の生活の積み重ねを怠けず、きちんと折り目正しく頑張ることこそ大切なのはわかっている。
でも、心では?
やはり
ああ、きれいな顔や身体を持っていたら
こんな惨めな思いはしなかった。
後ろ指を指されることもなかった。
もう43歳。
ブル顔なので中学生の頃からオバサンと呼ばれていて
若い娘さんだった時代などなかった。
一度、若い娘さんのようなはなやかな気分を味わってみたい。
美しい女性は純粋に大好きなだけだったが、
そのような惨めな出来事が起こってからは、
「良いなぁ」
という気持ちが否めない。
もちろん、
美しい女性というのは、
先天的な外見美だけでなく、
日々の美しい思考や習慣の地道な積み重ね
を欠かせていないから美しいのだということを知っている。
美男美女のInstagramは私とはまったく、
表面上の美しさではなく、
人間の質が違う。
表面上のキラキラなんてすぐわかる。
美人はその視点が、
優しい心が、
生活のていねいさが、
選ぶ小物のチョイスのセンスが、
私とは別世界レベルで全く違う。
美人を何年も維持してきた芳醇な美しさなのである。

しかも、美しい女性は大変なのだ。
人生で3回ほど非常に外見の美しい女性と出会ってそれなりに深い話をしたことがあるが、
美しい女性は本人の意思関係なく、美しさ故に
醜い欲望の対象になりやすい
直線的な性欲や嫉妬と同じくらい恐ろしいのが、
美貌がカネや人脈作りの貢物になると寄ってくる連中。
だから、私は美人を見ると、守ってあげたくなる。

それでも、今は羨ましい。
正直、美人が羨ましいという感情は
こんなにはっきりしたものは40過ぎて初めて覚えた。
ただ羨んでるだけではなく、
「上に行くには相当な努力が必要だ」
と夫にも言われたし、
「男性から見る女性の美しさは、
細やかなところに宿る」
とのアドバイスも貰った
わかる。
憧れの美女って
もちろん大まかにも大違いだけど
細かなディテールこそが
私とまるで違う
それこそが、私の言う
美とは、日々の小さな美しさの長年の積み重ねである
という思想とも一致する。
ある日突然美しくなる人などいないのだ。
だから、
43歳の今からでも努力をしたら、
来世では美しく生まれて堂々と自由に
惨めな思いなどせずに楽しく暮らせるかもしれないし、
上手く行けば80くらいになったら美老女に…無理か(笑)
それにしても一度美しさを楽しんでみたい。
一度でいいから恋もしてみたい。
(恋をしたことがないと言ったら
夫氏は激怒したが、
だってあなたが自分で思ってるほど美人じゃないと言ったからだ
一応の羞恥心があるので、
女性として魅力に欠けると思われている相手にドキドキはできない
私はストーカーじゃないのだから)

という理由で、
盛った自撮りがやめられない。
現実にはない、心ときめく自由を
スマホの中だけでも楽しみたいのだ。
それが特に悪いことだとは思わない。
誰かを騙すつもりもないので、
これは盛り自撮りで実物グロいですよと
定期的に言ってるし。
その盛り自撮りでこの程度なのだから現実は…。
いつかやっぱり、
「お前はブスだしデブだしオバサンじゃん」
とズバリと非難されるかもしれない。
それでも少しだけ、
空想の中だけでも謳歌してみたいのだ。

実際、オバサンの外見なんかより、
就活とか子育てとか、
やらなきゃならないことや
全体的な人の美しさに関わることは多いから、
そんなに外見なんかに悩んでいる時間もないし、
いい歳して外見に拘ること自体が醜いのかもしれない。

自分のことよりまず他人の気持ちを考えて…。
でもまず他人の気持ちを考えると
他人に嫌がらせをしたいわけでもなければ、
不快感を覚えさせたくもない。
やはり、嘘でも幻想でも美しくなりたいのだ。