あなたは、霊の存在を信じますか?
霊魂の存在や死後の世界の有無などは、多くの人にとって、永遠のテーマです。
人は、太古の昔から、この問題について語り合い、議論してきました。
そして、いまだ結論は出ていません。
当然です。
なぜなら、霊や死後の世界の存在について話し合うのは、生きている人だからです。
死んだ人が、霊や死後の世界についてアドバイスをくれることは、基本的に有り得ません。
霊や死後の世界の話をしている人は、まだ死んだことのない人たちなのです。
僕は、いわゆる超常現象というものについては、基本的に距離を置いています。
“信じている人には存在する、経験した人にはある。でも、僕は信じていないし、それ故に自分にとっては存在もしない”
そういうスタンスです。
もしも会話のなかで霊の話になっても、基本的には否定しません。
霊の存在を信じている人に向かって
『霊など存在しない! なぜなら…』
などと持論を展開するのは、
『プロレスなど八百長だ!』
とプロレス好きに向かって宣言するのと同じだと考えているからです。
これだけ言っておいてなんですが、僕は幽霊を見たことがあります。
あれは、四国の山奥深くをバイクで走っていたときのことです。
その高知県の西端にある山をバイクで走るのは、2度目でした。
初めてその山を走ったとき、なんともいえない気持ちになりました。
はっきり言うと、得体の知れない恐怖に襲われたのです。
単に月のない夜で暗かったとか、人気がまったくなかったとか、そういう問題ではありませんでした。
原因不明の恐怖、それは、太古の昔から受け継がれてきた原始的で本能的な恐怖でした。
2度目にその山を走ったとき、まったくそのときの恐怖を忘れていたにもかかわらず、1年前と同じ本能的な恐怖感に襲われました。
理由はわかりません。
強いて言えば、相性が悪かったのでしょうか。
そして、
“ここは1年前と同じ山だ”
という事実を思い出したとき、僕は本格的に怖くなってきました。
少し後ろには友人が同じくバイクで走っていましたが、
『なんか怖いから、おまえ一緒に走ってくれや』
とは、当時20歳の僕には言えませんでした。
その夜も、月は出ていませんでした。
晴れていたら満天であろう星も、見えませんでした。
道路は綺麗に舗装されており、ガードレールには反射板も装備してありました。
快適に走れる道でしたが、恐怖は時間とともに募っていきました。
恐怖を振り切ろうとアクセルを開けたそのときです。
僕は見てしまいました。
道ばたに、白装束をまとった女性が立っていたのです。
その女性は、僕を見ていました。
呼びかけるでもなく、ただ立ち尽くし、恨めしげに僕を見ていました。
背筋に冷たいものが走り、僕の体は硬直してしまいました。
アクセルを開けることもブレーキを握ることもできず、そのまま惰性で走り続けました。
エンジンがストールしてバイクが停止したとき、両足はガクガクと震えていました。
後ろを走っていた友人が、すぐに追いつき、バイクを停車しました。
『どないしたんだ?』
よっぽどヤバい表情をしていたのでしょう。
友人は真顔で僕の話を聞き、そしてこう言いました。
『おれはそんなもん見んかった。そんなもんおらんかった』
ヘルメットを脱ぎながら、ニヤリと笑いました。
『すぐそこやろ。見に行こうぜ』
心臓はいまだバクバク鳴っているにもかかわらず、なぜか、僕はその提案に同意しました。
幽霊云々をまったく意に介さない友人の態度が、僕を少し冷静にさせたのかもしれません。
バイクをその場に置き、ボクたち2人は例の場所を確かめることにしました。
緩いコーナーをひとつ戻ったところが、女性が立ち尽くしていた場所です。
前を歩いていた友人が、僕を振り返りました。
『おまえが見たヤツって、これか?』
そこには、1枚の白い看板が立てかけてありました。
“死亡事故多発! スピード注意”
その看板には、そう書いてありました。
この体験をどう受け止めるかは、人それぞれです。
ちなみに僕の場合は、
“恐怖のあまり、看板を白装束の女性に見間違えた”
そう捉えています。
僕がそう結論づけた以上、それが僕にとっての事実です。
-------------
今日の映画:リング 1998年 中田秀夫監督
日本映画最恐! 恐怖のあまり、叫んでしまいました。
霊魂の存在や死後の世界の有無などは、多くの人にとって、永遠のテーマです。
人は、太古の昔から、この問題について語り合い、議論してきました。
そして、いまだ結論は出ていません。
当然です。
なぜなら、霊や死後の世界の存在について話し合うのは、生きている人だからです。
死んだ人が、霊や死後の世界についてアドバイスをくれることは、基本的に有り得ません。
霊や死後の世界の話をしている人は、まだ死んだことのない人たちなのです。
僕は、いわゆる超常現象というものについては、基本的に距離を置いています。
“信じている人には存在する、経験した人にはある。でも、僕は信じていないし、それ故に自分にとっては存在もしない”
そういうスタンスです。
もしも会話のなかで霊の話になっても、基本的には否定しません。
霊の存在を信じている人に向かって
『霊など存在しない! なぜなら…』
などと持論を展開するのは、
『プロレスなど八百長だ!』
とプロレス好きに向かって宣言するのと同じだと考えているからです。
これだけ言っておいてなんですが、僕は幽霊を見たことがあります。
あれは、四国の山奥深くをバイクで走っていたときのことです。
その高知県の西端にある山をバイクで走るのは、2度目でした。
初めてその山を走ったとき、なんともいえない気持ちになりました。
はっきり言うと、得体の知れない恐怖に襲われたのです。
単に月のない夜で暗かったとか、人気がまったくなかったとか、そういう問題ではありませんでした。
原因不明の恐怖、それは、太古の昔から受け継がれてきた原始的で本能的な恐怖でした。
2度目にその山を走ったとき、まったくそのときの恐怖を忘れていたにもかかわらず、1年前と同じ本能的な恐怖感に襲われました。
理由はわかりません。
強いて言えば、相性が悪かったのでしょうか。
そして、
“ここは1年前と同じ山だ”
という事実を思い出したとき、僕は本格的に怖くなってきました。
少し後ろには友人が同じくバイクで走っていましたが、
『なんか怖いから、おまえ一緒に走ってくれや』
とは、当時20歳の僕には言えませんでした。
その夜も、月は出ていませんでした。
晴れていたら満天であろう星も、見えませんでした。
道路は綺麗に舗装されており、ガードレールには反射板も装備してありました。
快適に走れる道でしたが、恐怖は時間とともに募っていきました。
恐怖を振り切ろうとアクセルを開けたそのときです。
僕は見てしまいました。
道ばたに、白装束をまとった女性が立っていたのです。
その女性は、僕を見ていました。
呼びかけるでもなく、ただ立ち尽くし、恨めしげに僕を見ていました。
背筋に冷たいものが走り、僕の体は硬直してしまいました。
アクセルを開けることもブレーキを握ることもできず、そのまま惰性で走り続けました。
エンジンがストールしてバイクが停止したとき、両足はガクガクと震えていました。
後ろを走っていた友人が、すぐに追いつき、バイクを停車しました。
『どないしたんだ?』
よっぽどヤバい表情をしていたのでしょう。
友人は真顔で僕の話を聞き、そしてこう言いました。
『おれはそんなもん見んかった。そんなもんおらんかった』
ヘルメットを脱ぎながら、ニヤリと笑いました。
『すぐそこやろ。見に行こうぜ』
心臓はいまだバクバク鳴っているにもかかわらず、なぜか、僕はその提案に同意しました。
幽霊云々をまったく意に介さない友人の態度が、僕を少し冷静にさせたのかもしれません。
バイクをその場に置き、ボクたち2人は例の場所を確かめることにしました。
緩いコーナーをひとつ戻ったところが、女性が立ち尽くしていた場所です。
前を歩いていた友人が、僕を振り返りました。
『おまえが見たヤツって、これか?』
そこには、1枚の白い看板が立てかけてありました。
“死亡事故多発! スピード注意”
その看板には、そう書いてありました。
この体験をどう受け止めるかは、人それぞれです。
ちなみに僕の場合は、
“恐怖のあまり、看板を白装束の女性に見間違えた”
そう捉えています。
僕がそう結論づけた以上、それが僕にとっての事実です。
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今日の映画:リング 1998年 中田秀夫監督
日本映画最恐! 恐怖のあまり、叫んでしまいました。