※今回のエントリーも、すべてフィクションです。
中型自動二輪の免許を取得し、バイクに乗り始めてすぐに、僕はスピードに魅せられてしまいました。
スロットルを開いて得られる単純なスピード感も好きでしたが、バイクなり自分のテクニックなりのギリギリで走る“限界スピード”に、特に魅了されました。
たとえば、物理的に時速80kmが限界のコーナーならば、できるだけ時速80kmに近い速度でコーナーを駆け抜けることに、えも言われぬ快感を見出していたのです。
当時の僕にとって、限界スピードでの走行は、はっきり言ってエクスタシー以外の何物でもありませんでした。
たしか、あれは20歳をいくつか過ぎていた、ある秋のことです。
僕と友人のMは、真夜中の中国自動車道を、2台のバイクで疾走していました。
あのとき、どこに向かっていたのか、何泊のツーリングだったのか、細かいことは何一つ覚えていません。
覚えているのは、限界スピードのなかで感じた、不思議な感覚だけです。
中国自動車道の最初の料金所を通過したところで、僕とMは、路肩にバイクを停車しました。
グローブをしっかりとはめ直し、フルフェイスヘルメットの顎紐を結び直しました。
すでに充分すぎるほど暖まっているエンジンをアイドリングさせ、計器類を確認します。
油温、水温、エンジン音、その他、すべて異常なし。
スチール製の集合管からは、規則正しい排気音が低く響いています。
タバコを半分ほど吸ったところで、シングルライダースのジッパーを首元まで引き上げました。
ちらりとMを見やると、奴も準備を終えていました。
バイクに跨がり、スロットルを3回あおってサイドスタンドを跳ね上げました。
ヘルメットのバイザーをしっかりと閉じながらバックミラーを覗くと、Mのバイクもスタートしていました。
その夜、中国自動車道には、ほとんどクルマが走っていませんでした。
先行する僕の視界は、バイクの貧弱なハイビームの届く範囲以外、漆黒の闇でした。
風の抵抗を防ぐためタンクにべったりと伏せ、下から睨み上げるような姿勢で反射板の列を捉えます。
ある速度域を境に、排気音とエンジン音と風切り音がごちゃ混ぜになり、ある種の聴覚遮断状態に入ってきました。
視覚とその他の感覚をひとまとめにして、ライディングに集中するのです。
どれくらい走ったでしょうか。
甲高い排気音とともにMのバイクが走行車線から僕を追い越しました。
Mのキャンディーブルーのバイクは、炸裂音とともにそのままグングン加速していきます。
迷うことなく1速シフトダウンし、Mのあとを追いかけます。
タコメーターが視界の隅で踊っています。
少しでも頭を上げるとヘルメットごと吹っ飛ばされそうな風圧のなか、2台のバイクが疾走します。
ふと、先行するMのバイクのスピードが瞬間的に鈍りました。
すかさず、その脇をすり抜け、さらにスロットルを開きます。
コーナーの手前でスロットルを戻してきっかけを作り、ニーグリップをしたまま上半身をイン側に伏せて、バイクの向きを脱出方向に向けます。
バイクの向きが変わったら、ひたすらスロットルを全開です。
速く、もっと速く…。
いつしか、それすらも忘れて走り続けていました。
バックミラーは闇夜に解けていましたが、ある種の確信めいた予感がしました。
次の瞬間、Mが、やたらとクリアな高周波サウンドをまき散らしながら、僕を抜いていきました。
そのとき、僕は確実に見ました。
Mは、ヘルメットのなかで笑みを浮かべていました。
『ついてこいや』
ヘルメット越しに、そう僕に語りかけました。
『まかしとけや』
Mのスピードに引き寄せられるようにして、自分のバイクをMのスリップに飛び込ませました。
Mのバイクは当時の新型で、400ccながら時速200kmちかくスピードが出ます。
僕のバイクは当時にしても型落ちで、出たとしてもせいぜいがメーター読みで時速175kmです。
しかし、僕はMのテールに食いついていきました。
風が、無くなりました。
音も、無くなりました。
振動も、無くなりました。
視界には、Mの赤く光るテールランプがあるだけです。
Mのテールランプの光り方を見ているだけで、Mの気持ちが手に取るようにわかりました。
『もうちょっと行けるか?』
『まだまだ行けらぁ』
エンジンは、これまでにないほど絶好調です。
スロットル越しに、100回転ごとのエンジンの状態はもちろん、プラグの火の飛び具合やピストンスピードさえも、手に取るようにわかります。
エンジンの振動で、油温や水温、さらにはオイル油膜の粘度すら判断できます。
シート越しに、タイヤの熱の持ち具合や、路面との接地面の状態まで、詳細に感じ取ることができます。
辺りは真っ暗なのに、500m先の路面に落ちているガラス片さえも、見分けることができます。
僕はただ、体が反応するままに、ライディングを続ければ良いのです。
Mも、まったく同じ状態でした。
Mのバイクのアルミ製サイレンサーからは、我を忘れるほど魅力的な音色がまき散らされていました。
感情など、ありません。
時間さえ、ありません。
すべてを置き去りにして、僕たちは走り続けました。
スピードを出しても出しても、限界には至りません。
エンジンはスムースで規則正しい振動を送り続け、排気音はどこまでも澄んでいきました。
風は、もはや身体の一部に成り代わっていました。
力みなどまるでなく、僕たち2人はテールランプ越しに会話しながら、ランデブー走行を続けました。
気付いたとき僕は、路肩すれすれ、走行車線の左側を、自動車道の最低走行速度よりも30kmは遅いスピードで、ヨロヨロと走っていました。
目の前では、Mのバイクも同じく、ヨロヨロと走っています。
Mが、左ウインカーを点滅させました。
パーキングエリアがあります。
人気のないパーキングエリアは、自販機だけが不自然に光を放っていました。
キルスイッチでエンジンを停止させ、僕たちはバイクの横にへたり込みました。
そのまま、お互い口をきくことを目を合わせることもありませんでした。
ただひたすら、焦点の定まらない目で、暗闇を見つめていました。
エンジンが、次第に冷えていきました。
『ヤバかったな…』
Mが、ポツリと言いました。
『おう、ヤバかった…』
僕も応えました。
バイクに乗っていて限界を超えたのは、後にも先にもこの1回だけです。
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今日の映画:ファスター 2003年 マーク・ニール監督
ギャリー・マッコイの走りは、僕の知識や想像の限界を超えています。
中型自動二輪の免許を取得し、バイクに乗り始めてすぐに、僕はスピードに魅せられてしまいました。
スロットルを開いて得られる単純なスピード感も好きでしたが、バイクなり自分のテクニックなりのギリギリで走る“限界スピード”に、特に魅了されました。
たとえば、物理的に時速80kmが限界のコーナーならば、できるだけ時速80kmに近い速度でコーナーを駆け抜けることに、えも言われぬ快感を見出していたのです。
当時の僕にとって、限界スピードでの走行は、はっきり言ってエクスタシー以外の何物でもありませんでした。
たしか、あれは20歳をいくつか過ぎていた、ある秋のことです。
僕と友人のMは、真夜中の中国自動車道を、2台のバイクで疾走していました。
あのとき、どこに向かっていたのか、何泊のツーリングだったのか、細かいことは何一つ覚えていません。
覚えているのは、限界スピードのなかで感じた、不思議な感覚だけです。
中国自動車道の最初の料金所を通過したところで、僕とMは、路肩にバイクを停車しました。
グローブをしっかりとはめ直し、フルフェイスヘルメットの顎紐を結び直しました。
すでに充分すぎるほど暖まっているエンジンをアイドリングさせ、計器類を確認します。
油温、水温、エンジン音、その他、すべて異常なし。
スチール製の集合管からは、規則正しい排気音が低く響いています。
タバコを半分ほど吸ったところで、シングルライダースのジッパーを首元まで引き上げました。
ちらりとMを見やると、奴も準備を終えていました。
バイクに跨がり、スロットルを3回あおってサイドスタンドを跳ね上げました。
ヘルメットのバイザーをしっかりと閉じながらバックミラーを覗くと、Mのバイクもスタートしていました。
その夜、中国自動車道には、ほとんどクルマが走っていませんでした。
先行する僕の視界は、バイクの貧弱なハイビームの届く範囲以外、漆黒の闇でした。
風の抵抗を防ぐためタンクにべったりと伏せ、下から睨み上げるような姿勢で反射板の列を捉えます。
ある速度域を境に、排気音とエンジン音と風切り音がごちゃ混ぜになり、ある種の聴覚遮断状態に入ってきました。
視覚とその他の感覚をひとまとめにして、ライディングに集中するのです。
どれくらい走ったでしょうか。
甲高い排気音とともにMのバイクが走行車線から僕を追い越しました。
Mのキャンディーブルーのバイクは、炸裂音とともにそのままグングン加速していきます。
迷うことなく1速シフトダウンし、Mのあとを追いかけます。
タコメーターが視界の隅で踊っています。
少しでも頭を上げるとヘルメットごと吹っ飛ばされそうな風圧のなか、2台のバイクが疾走します。
ふと、先行するMのバイクのスピードが瞬間的に鈍りました。
すかさず、その脇をすり抜け、さらにスロットルを開きます。
コーナーの手前でスロットルを戻してきっかけを作り、ニーグリップをしたまま上半身をイン側に伏せて、バイクの向きを脱出方向に向けます。
バイクの向きが変わったら、ひたすらスロットルを全開です。
速く、もっと速く…。
いつしか、それすらも忘れて走り続けていました。
バックミラーは闇夜に解けていましたが、ある種の確信めいた予感がしました。
次の瞬間、Mが、やたらとクリアな高周波サウンドをまき散らしながら、僕を抜いていきました。
そのとき、僕は確実に見ました。
Mは、ヘルメットのなかで笑みを浮かべていました。
『ついてこいや』
ヘルメット越しに、そう僕に語りかけました。
『まかしとけや』
Mのスピードに引き寄せられるようにして、自分のバイクをMのスリップに飛び込ませました。
Mのバイクは当時の新型で、400ccながら時速200kmちかくスピードが出ます。
僕のバイクは当時にしても型落ちで、出たとしてもせいぜいがメーター読みで時速175kmです。
しかし、僕はMのテールに食いついていきました。
風が、無くなりました。
音も、無くなりました。
振動も、無くなりました。
視界には、Mの赤く光るテールランプがあるだけです。
Mのテールランプの光り方を見ているだけで、Mの気持ちが手に取るようにわかりました。
『もうちょっと行けるか?』
『まだまだ行けらぁ』
エンジンは、これまでにないほど絶好調です。
スロットル越しに、100回転ごとのエンジンの状態はもちろん、プラグの火の飛び具合やピストンスピードさえも、手に取るようにわかります。
エンジンの振動で、油温や水温、さらにはオイル油膜の粘度すら判断できます。
シート越しに、タイヤの熱の持ち具合や、路面との接地面の状態まで、詳細に感じ取ることができます。
辺りは真っ暗なのに、500m先の路面に落ちているガラス片さえも、見分けることができます。
僕はただ、体が反応するままに、ライディングを続ければ良いのです。
Mも、まったく同じ状態でした。
Mのバイクのアルミ製サイレンサーからは、我を忘れるほど魅力的な音色がまき散らされていました。
感情など、ありません。
時間さえ、ありません。
すべてを置き去りにして、僕たちは走り続けました。
スピードを出しても出しても、限界には至りません。
エンジンはスムースで規則正しい振動を送り続け、排気音はどこまでも澄んでいきました。
風は、もはや身体の一部に成り代わっていました。
力みなどまるでなく、僕たち2人はテールランプ越しに会話しながら、ランデブー走行を続けました。
気付いたとき僕は、路肩すれすれ、走行車線の左側を、自動車道の最低走行速度よりも30kmは遅いスピードで、ヨロヨロと走っていました。
目の前では、Mのバイクも同じく、ヨロヨロと走っています。
Mが、左ウインカーを点滅させました。
パーキングエリアがあります。
人気のないパーキングエリアは、自販機だけが不自然に光を放っていました。
キルスイッチでエンジンを停止させ、僕たちはバイクの横にへたり込みました。
そのまま、お互い口をきくことを目を合わせることもありませんでした。
ただひたすら、焦点の定まらない目で、暗闇を見つめていました。
エンジンが、次第に冷えていきました。
『ヤバかったな…』
Mが、ポツリと言いました。
『おう、ヤバかった…』
僕も応えました。
バイクに乗っていて限界を超えたのは、後にも先にもこの1回だけです。
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今日の映画:ファスター 2003年 マーク・ニール監督
ギャリー・マッコイの走りは、僕の知識や想像の限界を超えています。