※今回のエントリーは、すべてフィクションです。

いまから10余年前の夏の終わり頃。
僕は、インドにある海辺の街、ゴアに埋没していました。

“インドのゴア”と聞いただけでピンと来た方は、なかなかの好き者に違いありません。
ゴアは、かつてヒッピーの聖地として、クスリやフリーセックスが大好きなどうしようもない輩が世界各地から集まってきた街なのです。
そんな街で、僕はインド旅行の最後の1週間あまりを過ごしました。

インド北部の耐えることの無い喧噪に大いに興奮しながらも少なからず辟易していた僕にとって、ゴアに流れる独特ののんびりした空気は、なによりのご褒美でした。
昼間は浜辺でのんびり海を眺め、夜は近くの食堂でビールなんかをチビチビ飲んでいると、たちまちその手の怪しい輩と顔見知りになりました。
僕の記憶が確かならば、ゴアで暇をつぶしている旅行者の多くは『サラリーマン? なにそれ?』みたいな感じの人たちだったと思います。
カフェとは名ばかりの掘っ建て小屋でビールを飲み、誰かがラジカセでレゲエを流し、どこからか回ってくるハシシを回し飲みする、そんな日々でした。


ある朝、起きたての一服(ハシシ)をしていると、隣の安宿にいるタケシさんに声をかけられました。
『Miltz、アシッドが手に入るってよ』
『マジっすか!』
即座に僕は反応しました。
アシッドを知らない人はググって欲しいのですが、聞くところによると、それはそれはイカしたクスリらしいのです。
昼間は適当に時間をつぶし、来るアシッドパーティに備えました。

夜になると、いつもの掘っ建て小屋に、ニヤニヤしながらタケシさんがやってきました。
『じゃ、とりあえずオレの部屋に行こうぜ』
タケシさんによると、アシッドをやった人は違う空間に行ってしまうので、最初は部屋のなかでやるほうが無難とのことなのです。

タケシさんの部屋に入ると、すっかりセッティングが整っていました。
ラジカセからは怪しげな音楽が流れ、部屋の真ん中には花束、おまけにろうそくの準備までしてあります。
『はい、これ』
渡されたアシッドは、錠剤かと思いきや、正方形に切った小さな小さなシートでした。
『これを舌の下にいれて溶かすんだけどな…』
タケシさんは真面目な顔をして付け足しました。
『アシッドってマジで強烈だから、初めてだったら半分でもいいかもな』
どうするよおまえ的な目で見つめられた僕は、即答しました。
『もちろん1つまるごと食うよ』
実はこのとき、初めてアシッドを食う奴が他に2人いたのですが、そいつらは1枚のアシッドを半分づつに分けていました。
『ケツの穴ミニマム野郎が!』
心のなかで吐き捨てた僕は、この2人を視界から追い出しました。
実際、この夜のことは強烈に記憶に残っていますが、この2人に関しては記憶がまったくありません。

アシッドを食い、ビールなどを飲みながら、やがて来るときを静かに待ちました。

『アシッドくれた奴がよぉ、昨日のパーティでキメてたんだよ。そいつ、もう気持ち良くて死んじゃいそうです、なんて女の子みたいなこと言っててよぉ』
タケシさんの声が遠くで聞こえます。
『あいつ、あのときキメてたんですかぁ。道理でえらい訳わからんことばっかり言いよったわ…』
と、実際答えたかどうかはわかりません。
ふと気がつくと、まわりの景色がコマ送りの連続写真のようになっていました。
『なんだこれ?』
言ったかどうかも、もちろんわかりません。
よく“アシッドを食うと、喋らなくても会話ができる”などと言いますが、これは実際その通りです。
タケシさんと僕は、その場を大いに共有しつつ、自分だけの世界に入り込んでいきました。
『Miltz、おいMiltz!』
記憶の向こうで、タケシさんが僕に呼びかけます。
いや、もしかしたらあしたのタケシさんかもしれません。
『腹減ったから、スイカ買って浜辺で食おうぜ』
そう言ったタケシさんの目は、瞳孔がマックスで開いていました。
『なんだおまえ、キマりまくっとるやんけ』
そう言ったか言わないかの僕も、当然キマりまくっていました。

食堂で、タケシさんは馬鹿でかいスイカを1つまるごと買いました。
板チョコを両手に抱えられるだけ買って、そこにいた奴らに配って回ったのを、僕は覚えています。
『アシッド食ったら、普通腹減らないんだけどなぁ』
これ不純物混ざりまくりなんじゃねえの、などとぼやきながら、瞳孔の開ききった目で浜辺を目指しました。
途中、高さ3~4mくらいのちょっとした崖があったのですが、僕は意識してその近くを歩かないようにしました。
なぜなら、少しでも近づくと、僅かな笑いのためにその崖からダイブするであろうことがはっきりとわかったからです。

砂浜に降り、板切れの上でスイカを切ろうとしたそのときです。
スイカを押さえた左手に、僕は懐かしい感触を覚えました。
『あれ、サチエ来とったんか?』
なんと、目の前にサチエがいたのです。
ちなみにサチエとは、当時僕がつき合っていた女性のことです。
『なんどいや、来るんやったら教えてくれや』
久々の再会に、僕は人目もはばからずサチエを抱きしめました。
いつものあの笑顔で、サチエは僕を迎えてくれました。
感動に震える指がサチエの暖かい胸に触れ、思わずズボンを脱ぎかけた瞬間です。
『Miltz、おいMiltz!』
永遠のときを経て、誰かが僕を呼んでいます。
いつの誰ともわからない声に惑わされる僕ではありませんでしたが、あまりにもしつこいので目を開くと、タケシさんがラリッた顔で大笑いしていました。
『スイカ放せよ。食えないだろうが』
僕は邪念を振り払い、再びサチエに向き直りました。
『寂しかったぁ? オレも会いたかったで』
1ヶ月ぶりの再会に、積もる話は尽きることを知りませんでしたが、そのたびに、あの不快な声が恋人同士の時間を切り裂きました。
『わかっとら、わかってますよ! スイカでしょ、スイカ切りゃあいいんでしょ』
サチエに触れないようにして、僕はスイカを切りました。
スイカをまっ2つにした瞬間、未来の声が僕をなじりました。
『これだから関西人は…』


余談ですが、中島らもの著書『アマニタ・パンセリナ』では、ドラッグについてこう締めくくっています。
曰く『あらゆる方向から検討してみると、日本においては、酒に勝るドラッグは無い』
僕も、まったくその通りだと思います。

-------------

今日の映画:フロム・ダスク・ティル・ドーン 1996年 クエンティン・タランティーノ脚本
      タランティーノの変質者ぶりは、まさしくドラッグ中毒者のそれです。