ハッピープアーライフ

 

 敢えてカタカナ書にしてみた。

 これだとどうだろう。

 なんとなく楽しそうに見えないだろうか。

 最近ある本を読んだのだが、それは川上卓也さんが著した『貧乏真髄』って本。

 詳しい内容については、この本を読んでもらえれば分かるので、それに内容を紐解いてしまうと、それこそこの本の面白さが半減してしまうので、やっぱりやめておくが、とりあえず一言だけ言わせてもらえれば、とにかくこの本メッチャスゴイ。

 今。

 世の中では、とにかく不景気な話ばかり。

 有識者だか、評論家だか知らないが、何か得体の知れないオッサンが、したり顔でしゃしゃり出て来て、話す内容と言えば、これもまた得体が知れない理想論を振りかざしたような、と言うか。話の内容の云々よりも、「とにかく自分は絶対に正しい!」みたいな、あの上から目線や、その上これからの世の中のことなんて結局誰にも分からないのに、「間違いなくこうなる!」みたいな、つ~か。

「お前はサイババか!」

 とにかくムカツク。

「何の話だったっけ?」

 そうそう。川上さんの話だが、て言うかこの話、決して「上から目線のオッサンを切る」っていう類いの話じゃなくて、あくまでも川上さんの提唱する楽しい貧乏生活についてを語る話。

「そうなのである!」

 僕がこの『貧乏真髄』を読んで、とにかく目からウロコだったのが、貧乏は苦しく辛いものではなく、充実感があって楽しいものであるということ。

 勿論苦しいこともある。

 だけどそれ以上に楽しいことはもっとある。

「いかん!」

 ついつい内容を暴露してしまう。

 で。

 ちょっとこのままでは、川上さんの話をどんどん出していってしまいそうなので、川上さんの本を読んだ上で、僕は一体どういう風な考えに今現在至っているのか。もしくは、この先どういう風に進んでいきたいのか。

 ここからは少し僕自身の主観で(と言っても感動した訳であるから、かなり川上さんの話に引っ張られてしまうと思うのだが・・・・・・あしからず)いきたいと思う。

「何でこのことに今まで気付かなかったのだろう?」

 僕は今の今まで、貧乏とは辛く苦しく、そして悪とすら思っていた。

 消費生活に慣れ、いつも自分の身近に何か「物」がないと不安で不安で堪らない。

 だからついブランド物、最新の物、などといった、実は大して欲しい訳でもないのに、流行に流されるように買いあさり、気付けば部屋の中にそういった物が積み重なって、埃をかぶる。

 当然の成り行きとして、流行の物や最新の物って、少し時が経てば、すぐに過去の遺物となり、となるとまた同じように新たな物を買い求める訳だから、全く以って満たされない堂々巡り以外の何物でもない。

 サラッと書いてしまうと、ホント「なんでこんなことにも気が付かないのか」と、呆れるようなことでも、これがなかなか気付くようで気付かない。常に人と同じようにやらないと、それこそどこかに置いてきぼりを食らうような、心は焦りと不安に苛まれ、どうにもこうにも居た堪れなくなる。

 若干文が乱れてしまったが、今僕が心から思うのは、いや、気付かせてもらったのだが、そしてこれから進む方向性としてとにかく外せないことは、貧乏とは、ただ単にお金がないだけ。

 余計な物を買うお金がないだけ。

 ちょっと強引かもしれないが、まずそれに気付き、若干暗示的であるにせよ、とにかくそう信じる。ここからがスタートライン。

 そして大切なことは、お金がないのは苦しいとか、辛いとか。確かに食うものも食えない位ないと苦しく辛いが、じゃあ果たして余計なものをまるで買ってないのかと言うと、これが結構買っているもので――と言っても残念ながらこの話は、貧困を救うための一助にもならず、そういう意味では非常に忸怩たる思いもあるのだが――何れにしてもちょっと重複してしまったが、貧乏とはお金がないだけで、時間はある。気持ちはある。そして希望もある。

 ハッピー・プワー・ライフ。

 冒頭でも述べたが、カタカナにするとなんとなく楽しそうに見える。

 と言っても、この題名はいかがなものかとも思うのだが、そうじゃなくて、大切なのは、ちょっとした変化だけでも、感じる印象はまるで違うってこと。

 先程から貧乏とは、ただ単にお金がないだけと言っているが、少し前の僕もそうであったように、それを不幸と思い込み、このままどこまでも落ちぶれてしまう・・・・・・まあこんな良からぬことばかりを考えていたのだが、実はそうじゃない。

 何時の間にやら消費に慣らされ、でも消費って、あくまでも自分の中にある自我の欲求――それは人に自分を認めてもらいたいとか、注目してほしいとか――要するに自分の存在感をアピールするための最も安易な方法に過ぎず、だけどこの方法では、結局その場しのぎにしかならず、となると消費を繰り返していく以外に満たされない・・・・・・。

 そう。

「ここをどう考えるか」

 消費は行き当たりばったり的で、結局のところ、本質は何も満たされない。

 本来の自分の、本当に求めている真の欲望が何か分からないために、と言うか。僕も勿論そうだが、これが何か良く分からないから苦しく、だからそのもやもやした気持ちを少しでも薄めるために、消費に走ってしまう。

 でもそれではいつまで経っても所詮イタチごっこで、となると更に苦しみ不安は積もっていく訳だから、更に消費を重ねる以外に、しかもエスカレートしていかざるを得なくなる・・・・・・。

 結局。

 消費では、自我の真の欲求は満たされない。

 消費から如何に脱却するか。

 消費以外で如何に自分を表現するか。

 求められるのは想像すること。

 そして

 創造すること。

 考えることはタダである。

 だからいくらでも考えればいいのである。

 するとそこに、創意工夫が生まれる。

 誰しもが知っていると思う。

 考えれば考える程に、つまり悩めば悩む程に、そして苦しめば苦しむ程に。

 そうやって研鑽を重ねて重ねて、何かを成し遂げた時の感動って、絶対にお金で得たものでは得られない、得も言われぬ感動がある。

 この瞬間こそが、至上の幸せ。

 そして

 この体験が日々の中で多い程、まさしくハッピーライフ。

 でも――。

「金がないので貧乏なんだけど・・・・・・」

 もうこんなセリフ必要ない。

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 安堵する瞬間。
 朦朧とする思考。
 弛緩する身体。
 擬態語で表せば。
 「ホッ」
 「ボー」
 「ホェー」
 こんな感じ?
 まあはっきり言って、“ホ”の字で無理矢理に合わせてしまったが、一体コレ。何の話かと言えば、就寝前の幸せなひとときの話。
 「今日も一日疲れたぁー」
 「もうクタクタでボロボロ」
 「うっ、し、し・・・・・・んどい・・・・・・」
 「○×▲※☆■・・・・・・」
 このまま行ってはならないところへ思わず行ってしまいそうだが、勿論何処へも行くつもりはない。
 とにかく。
 丸一日仕事で振り回されると、つまり朝から晩まで心も体もフル回転状態で、しかも下げたくもない頭も下げっぱなし、挙げ句の果てにはつまらん上司の、それこそつまらんギャグやグチを聞かされ続け、このままでは精根尽き果ててしまう・・・・・・という頃に、ようやくとその日の長い長~い仕事から解放される。
 家路までの決して短くない距離や時間を、どうにかこうにか足を引き摺りながら、のどはカサつくわ、肌もカサつくわ、ついでに頭の側辺部から鳴る耳鳴りもあるわ、で、それでも無理矢理体にムチを打ち、身も心もズタボロ状態で、ようやくと我が家へと辿り着く・・・・・・「チーン!お陀仏」
 「フゥー」
 で。
 この後も、特に独り暮らしだと、それこそなんやかんやと雑事をこなさなきゃならないのだが、ここでは全て割愛。だってそれじゃあいつまで経っても本命へと辿り着けないから。
 ほんでまあとにかくその雑事をこなし、飯も風呂も終わって、あとすることと言ったら寝るだけであるとする。
 「これがホントいいんだよなぁ~」
 こうやって書きながらも、その情景を思い浮かべただけで、何か体の力がフニャリと抜けてしまいそうな(勿論いい意味で)、まあはっきり言って、たまらないっと言いたいのだが、しかしなんでだろう?
 やっぱり人間、起きてる時って基本的に重力に逆らっているからなのか、要はムリをしてると思うのだけど、ましてやこれが前出のボロボロ状態まで働きづめなんてことであれば、そりゃ~きっついわ。
 だけどこんな言い方もおかしいのかもしれないが、疲れれば疲れる程に、つまり疲弊しきればしきる程に、この後訪れる快感は、得も言われぬものとなる。
 「達成感?」
 確かに近いのかもしれない。
 その道のりが困難であればある程、それを成し遂げた後に打ち寄せる満足感や爽快感って、格別なもの。
 他にも充実感なんて言葉も思い浮かぶが、要するにこういったもの全てを引っ括めて、達成感と言いたい訳だが、つまり。
 毎日生きてると、いいことよりも悪いことの方が多いような気がする。
 更にそれが仕事であると殊に顕著で、まあはっきり言って、ロクデモナイことの連発って感じ。
 ちょっと言葉が過ぎたか。
 何れにしても、そんな大変な仕事を何とか終え、家に辿り着き、そして雑事をこなし、横たわる。
 「う~~~」
 ふとんの上に大の字になり、全身の力を弛緩させる。
 「ううううう~~~」
 所詮人の幸せなんてこんなものかもしれない。
 男も女も老いも若きも。
 人の前では精一杯虚勢を張って、でも内心ではビクビクイライラと不安を募らせて・・・・・・
 会社では、出世をライバルに先越された(それも課長補佐―微妙?)どうしたの。
 近所では、隣の人が新しい車を買った(それも外車―BMWなら3シリーズ、ベンツならCクラス―微妙?)どうしたの。
 学校では、同級生が新しいスマホをゲットした(それもau―微妙?)どうしたの。
 ・・・・・・など。
 よ~く考えれば大したことでもないのに、なぜか心は打ち拉がれる。
 体はクタクタ。
 心はボロボロ。
 なぜか書いてる途中で、仕事の話が、そして独り暮らしが、最後はいっしょくたになって家族全員みたいな話になってしまったが、要するにである。
 どんなに金持ちでも、貧乏でも。
 どんなにハンサムでも、醜男でも。
 どんなに髪がフサフサでも、ハゲでも(オレだよ!)。
 会社でも。
 近所でも。
 学校でも。
 まあ色々と悩みは尽きないのだろうけど、足を大の字に広げて、ふとんの上に横臥し、そして全身の力を抜いて、軽く目を閉じる・・・・・・
 「幸せかも・・・・・・」
 この時きっと、置かれた境遇の違いなんて、大して気にならないと思うし、と言うか、実際大差ないと思う。
 就寝前の快楽。
 恐らく殆どの人が共通する、快感もしくは幸福の一つだと思う。
 もし辛いことがあれば、そして心身ともにズタボロであれば、こう考えてみることにする。
 「今日は一段と達成感があるにちがいない・・・・・・」
 っていうのはどうだろう?
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アクセルトレックのブログ-自然不自然

 「自然が大好き!」

 「自然が一番!」

 などと。

 ちょっと何かに行き詰まったり、心が閉塞感に満たされると、ついついこんな言葉を声高に叫んでしまう。

 勿論これって、僕のことである。

 そんで最近特に考え込んでしまうのが、果たしてコレって、心からの叫びなのだろうかと。

 要するに。

 自然自然なんて、いとも簡単に、それこそコンビニに気軽におにぎりでも買いに行くような感覚で発してしまうこんなセリフ、「ちょっとあまりにも安売りになってへん?」

 実は少々胸痛く、しかも反省も少々。

 いや。

 少々どころか、結構気にしてる。

 そこでちょっとそこら辺りのことを、つまりはもう少し自然に対しての敬いの気持ちや、不自然に自然を語るのではなく、自然に自然を語る(?)――まあ早い話が、そんなことに関するお話なのである。

 もう一度言おう。

 「自然が大好き!」

 「自然が一番!」

 この言葉に決してウソはない。

 ただ何だろう?

 無理矢理センテンスにしてしまうと、やっぱりどうにも安っぽく、とてもじゃないが、心から言っている言葉とは思えない。

 じゃあかと言って、難しい言葉を列挙しても、確かに体裁的にはいいのかもしれないが、でもそれって単なる取り繕ってるだけで、中身的にはそんなに大差はないと思うし――どうもここら辺りが難しい。

 そもそも。

 僕は何で、そんなにも自然が大好きなのか。

 他のことはさておいて、何で一番などと言い切れてしまうのか。

 これはかなりの難問である。

 しかも正直言って、自分自身でも良く分からない。

 そんな頼りない考えのなかで、それでも一つだけ確実に思うことは、どうも僕自信が自然とキッチリ対峙し切れてない。若しくは、考えが浅はか過ぎて、じっくりと中身を深堀りしていない。

 自然を考える上で、とにかく最初に考えなくちゃならないことって、やっぱりその考え方がナチュラルかどうかってことだと思う。

 如何にも取って付けたような、所謂アンナチュラルになっていないかどうか。ちょっと言葉遊び風な、それこそ屁理屈みたいなことを言ってしまったが、やっぱり自然である以上、不自然ではどうしようもないし、何よりも気持ちがあやふやとブレてしまっては、キッチリと対峙出来ないし、何れにしたって在り来りだけど、どれだけ自然体で自然と相対せるか――この辺りだと思うには思うのだが、どうも抽象的な表現しか出て来ない。う~イライラする。

 前出で「キッチリと対峙し切れてない」それと「中身をじっくり深堀りしていない」なんてことを軽々しく言ってしまったが、それに「最初に考えなくちゃならない――」などと、なんか偉そうなことをほざいてしまったが、結局のところ何も分かっちゃーいないのである。

 だって自然に対してのあーだこーだって、こんなこと一体誰が決めているのかと言えば、結局それって僕達人間で、自然の方からして見れば、全く以って迷惑以外何物でもないのかもしれないし、それに例えば環境破壊なんて問題にしたって、詰まるところそれって、我々人間が引き起こしてる訳で――となるとちょっと過激な言い方をすれば、つまり極論的にっていう意味だが、この世の中から僕達人類が消滅してしまう。それこそが自然にとっては一番良いのかも。なんて答えになってしまうのだが・・・・・・いかがなもんなのだろうか?

 真剣に考えれば考える程に、自然の中での僕達の存在感って、無意味なように思えてならない。

 海や山へ勇みよく出掛ける。勿論細心の注意は払っているつもりである。それでも恐らくは、たとえそれが微少であれ、自然という空間を破壊しているのかも。もしそうだとしたら、いや、もう自分自身では気付いている。間違いなく破壊していると。だとすれば一体どうしたらいいのだろう?

 だって何度も言ってるが、僕は自然が大好きだし、世の中にこれ以上のものはない、つまり一番だと信じている。と言うことはたとえ自然から迷惑がられていようとも、このピュアな気持ちに何の曇りもなく、早い話が真実以外にないと言いたい訳である。

 じゃあどのように折り合いをつけるか。

 自然と、そして不自然とを。

 不自然とは、僕達人間の存在とその行為。

 そうであるなら、はっきり言ってやはり無理矢理とはなってしまうのだが、何とか共存共栄の道を模索しなければならない。

 「難しい・・・・・・」

 「難し過ぎる・・・・・・」

 屁理屈ならいくらでも言える。

 だけど答えは見つからないだろう。

 それでも考え続けなきゃならない。

 「だけど・・・・・・」

 確かに微々たることかもしれないし、それにスゴク自己都合的な解釈で、まあ結局言い訳がましい言い方になってしまうのだが・・・・・・

 「悩み続けて行くこと」

 残念ながら答えは出ない。だが少なくともその答えを探し求めていけば、そして続けてさえいれば、とにかく自然との繋がりだけは消えることはないのかもしれない。

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アクセルトレックのブログ-毒を以って心を制する

 「よ~く見つめてほしい」

 と言っても自分自身のことではない。

 そう。

 題名を、である。

 一見したところ、特に違和感は感じないと思うのだが、どうだろうか?

 「え?」

 「え!?」

 「違和感ありまくり?」

 「おっかしいなあ~?」

 「まあでも、とにかく失礼しました・・・・・・ゴメン!」

 文頭からヤヤコシイことを言ってしまったが、コレ。

 一体何の話かと言えば、今僕は毒を愛用しているのである。

 「おっと!」

 とは言っても誤解しないでほしい。

 なんぼ毒の愛用と言ったって、ホントの毒(?)を愛用すれば、例えば青酸カリとか、トリカブトとか・・・・・・こんなものを愛用すれば、その好悪の如何を問わず、まず十中八九は死ぬ。

 そうなると心を制するどころか、心臓が制されてしまい、やっぱり詰まるところは死んでしまうのだが、勿論まだそうなりたくはない。

 で。

 それこそ一体何の話なのか、更に良く分からなくさせてしまったが、実は毒と言っても、少々違う毒の類いのことで、それは“体に毒”っていう方の毒のこと、という訳。

 煙草。

 酒。

 珈琲。

 など。

 良く言えば嗜好品とも言うのだが、嗜まない人から見れば、やはり毒以外の何物でもないのかもしれない。

 少し話は変わるが、今世の中はどうも健康ブームのようである。

 テレビはもとより、雑誌、広告、ラジオ、インターネット……etc. 数え上げればそれこそ枚挙にいとまがないが、何れにしてもどこを見渡しても、不健康な程に健康に関するものが氾濫している。

 ちょっと質問。

 「健康って、そんなに大事?」

 もう一つ。

 「その健康って、一体何のため?」

 なんかこんなこと言うと、健康に関心が深い人達から、モーレツにバッシングがきそうだが、と言ってこの人達、いやこのお方達をどうこう言おうなんて気はなく、まあ興味のある人はどうぞお好きに・・・・・・っていう感じなのだが、要は何が言いたいかと言えば、自分の健康について考えること、種々実行することは自由。但し。そうじゃない人も全くな自由な訳で、と言うことは、ぶっちゃけ言わせてもらえれば、どうも健康に関心の薄い人、はっきり言って僕のことなのだが、そんな僕も含めた、健康に関心が深い人からみれば何とも不健康な人達が、どーも肩身が狭くなることを余儀無くされている、と。なんかそんな気がしてならないのは、やっぱりコレって、ただの偏見?――なのだろうか。

 話が逸れてしまった。

 「何だっけ?」

 そうそう。“体に毒”の話。

 さっきの健康or不健康の話はともかく、じゃあ何で、体に悪いかもしれない(実は自分ではそれ程自覚はないのだが・・・・・・)ことを、敢えてやらずにはいられないのか――ちょっと不思議に思う方もおられると思うし、逆に僕と同じ穴の狢(むじな)である同士の方は「そうそうそうそう!」な~んて、身に覚えが有り過ぎて、頷きまくってくれると思うのだが、それはどういうことかと言うと、つまりはこういうことである。

 一つ誤解のないように言っておかねばならない。

 確かに、健康に関心が薄いのは事実である。がしかし、それは飽くまでも薄いのであって、決して皆無って訳じゃあない。

 そりゃね~。不健康よりかは健康の方がいいに決まっている。ナンボ僕がちょっと変わったやつって言ったって。

 ただどうしても、不健康にならざるを得ない。こんな風に言うと、「そんなアホな!」なんて言われてしまうかもしれないが、いやいやそうじゃなく、何て言えば良いか?要するに泣く泣く不健康になってるってーか、飽くまでも苦肉の策として、結果的に不健康になっている・・・・・・もうやめておくが、確かに自覚はあまりないにせよ、ただ「やっぱりコレってちょっとヤバイかなあ~」なんていう、多少なりの罪悪感位はあって、だけどどうしても、そんな体に悪いことだと分かっていてもやめられない、いや。やめようとは思わないのだから・・・・・・それらって、どう考えても欠かせないものなのであろう。

 人間って心が弱いのだと思う。

 勿論強い人も大勢いるだろう。

 だけど、少なくとも僕は、やっぱり弱いのだと思う。

 元々、強迫観念が強く、神経質だし、将来なんかも悲観的に考えがちで、間違っても、ポジティブ・シンキングなんていうような、前向きな思考がない。

 それでもこんなことではダメなんだと、何とか大らかに前向きに考えようとはするのだが、そんなことをすればする程ドツボにはまり、更に一層落ち込んだ気持ちとなってしまう。

 そんな心の中に巣くう、どうにも出来ない弱い気持ちを和らげ、蝕む悲観的な考えを溶解してくれるものこそが、僕にとっては煙草や酒、珈琲などといった嗜好品。

 体には悪いのかもしれないが、心には良い。

 治癒とまで言うのはオコガマシイが、それに体に良いのか悪いのかと極論で問えば、やっぱり悪いという答えしか返って来ないのかもしれないが、でも僕にとっては、とにかく欠かせない心の拠り所。

 肉体には悪影響しか及ぼさないのかもしれない。でも精神には効く。勿論さっきから自問自答を繰り返してる、そりゃ~体にいいことであれば殊更に良いことも分かっている。だから登山や釣り、庭いじりなんかもやっている訳で、でもそれだけでは納まらない、どうしようもない己の弱さを少しでもニュートラルな状態へと導くためには・・・・・・

 覚醒と酩酊。

 煙草や珈琲が覚醒。

 そして酒が酩酊。

 溜まりに溜まってゆく毒素を、体に悪い毒を以って制する。

 ストレスなんていう、決して望まないのに体に蓄積されてゆく良からぬ得体の知れないものを、酒の力によって薄ぼやかし、そして煙草や珈琲などで目覚めさせる。

 何度も言うが、確かに体には良くないであろう。

 でも何とか心は、半ば無理矢理ではあるにせよ、平穏を保つことが出来る。

 そして・・・・・・

 これ以上の方法となると・・・・・・

 やはり今のところ思い浮かばないのが正直なところ。


アクセルトレックのブログ-猫的快適

 こう思うと気持ちがスッキリとする。

 いや。

 少しでもスッキリとしたいから、こう思い込みたいだけなのかもしれない。

 ホントいつまで経っても不景気な世の中である。しかもこれから先もまだまだこの状態が続きそうで、と言うか。よくテレビなんか見ていると、どこの偉い先生なのか、はたまた名の知れた評論家なのか。まあはっきり言って誰でもいいのだが、でもこういう人達って、何であーもいつも代わり映えのしない意見と言うか、予測と言うか。それに面構えも。と言っても顔は関係ないのかもしれないが、とにかく何となく上から目線で、しかも人を小バカにしているような、確かに僕だけの偏見なのかもしれないが、でもどうだろう。何処と無く腹立たしく思って視聴している向きは少なくないような気もするのだが、やっぱり単なる気だけなのだろうか。

 猫。

 そう。

 ねこ。

 いっきなり話が急転直下型に変わってしまったが、つ~か。ハゲアタマかつら武装のオッサンが(そこまで言うか!)、急に愛くるしいネコに変わってしまって、それこそ頭の中が180度ループジェットコースター状態に変わってしまったかもしれないが、それでいいのである。

 決して気が触れた訳ではない。

 それにハゲアタマと言ったが、実は僕もハゲアタマである。

 そんな話じゃなかったか。

 え~と。そうそう猫の話だが、実は最近実家の猫を見ていてフト気づいたことがある。いや~正確には前からも分かっていたのだが、まあ要するに改めて再認識した訳。

 さっきの話じゃないけど、こうも景気が悪く、しかもこの先もどうも具合がヨロシクナイ感じで、となるとなんか全体的にやる気が起きないつーか、早い話がどうでもいいような投げやりな気持ちとなる。

 「しかしアレですなあ~」

 「ネコって、なんであーもいつも平然としていられるのだろう」

 スーパーマイペースと言うか、余裕綽々(しゃくしゃく)と言うか、要するに大抵のことではまあ殆ど動じない。勿論たまに怒ることもあるが、だけどそれもホント稀で、世の中の動きなんか何の其の、まるで関係なし!

 「ん?」

 いや。

 「あっ!?」

 そうなのである。

 「気づいてしまったかも......」

 それがさっきの猫をみていてフト気づいたことなのだが、それに景気が悪くムシャクシャとした気持ちと相俟って、頭の中にはこんなセリフが浮かぶ。

 「オレも猫になりたい......」

 言葉で端的に書いてしまえば、このように如何にも素っ気ない風情となってしまうが、実際のところはそんな単純なものではない。じゃあ複雑なのかと問われれば、そうじゃなく、じゃあ「どっちやねん!」なんて更に問い詰められると、正直かなり困ってしまうのだが、何れにしてもひょっとこれからの時代、猫のように生きること、少なくとも何かその一部だけでも取り入れることは、案外プラスになったりして......こんな思考が頭の中に浮かんだのは事実。そして一体それは何かと聞かれれば、まだ研究段階(?)なので、残念ながら現時点では詳しいことは申し上げられないが、それでも少々分かったことだけでも披露するとこんな感じとなる。

 「猫はよく寝る」

 「猫は自分勝手」

 「猫はポーカーフェイス」

 「猫は......え~と......?」

 「......」

 「たったの三つかい!」

 つ~か。

 「そんなの誰でも知っとるわ~!!」

 まあまあそう怒らないでほしい。

 確かに研究の成果としては、いささか頼りない感じだが、それでもこれだけでも結構今の時代には役立ちそうである。

 これからの厳しい時代を生き抜いていく中で、じゃあ“厳しい”って、一体何がそんなに厳しいのかと言えば、勿論心の満足感や、潤いのある生活、癒やしのある空間......など。こんな言葉を書き連ねれば、絵的には一番美しいのかもしれないが、でも実際のところやっぱり現実問題として行き着くところは、大なり小なり「お金」......ではないだろうか?

 と言っても稼ぐのがとっても難しい時代である。となると使わない方に重きを置く以外に方法がない。要するに選択枠がないと言いたいのだが、そんな考えの中で、やっぱり猫ってスゴイと思わざるを得ない。いや、こんな時代が起こすそんな考えであればこその猫の存在感である。

 猫は確かによく寝る。詳しいことはよく分からないが、多分毎日20時間位は寝てるんじゃないかと思う。

 なんでこんなことに感心するかと言えば、僕達人間はとにかく動きすぎ。そして動けばそれだけ金もかかる。だってホント、どこへ行くにも金がかかるし、何をやるにもまた金がかかる。

 その点、猫のように寝てさえいれば、とにかく金はかからない。しかももしそれが猫同様20時間位寝られるのであれば、ホントこんなにスゴイことはない。まさしく恐るべしとしか言い様がないのだが、何れにしてもこの技、何とか修得したいものである。

 人に合わせるのってホント疲れる。確かに社交辞令や、それなりのお付き合いも、そりゃそれで大切なのかもしれないが、でも正直言ってかなり面倒臭い。

 その点猫は、そんなこと全くの無視。まさしく天上天下唯我独尊ってな感じ。

 考えたら、人に迷惑さえかけなければ、何をやろうがその人の自由である。

 にもかかわらず、何時からこんな習慣が当たり前のようになってしまったのであろうか。

 と言っても、そんなことを嘆いていても仕方がない。

 今からなるのである。猫のように超マイペースに......(と言っても、やはり無理か?)

 ちょっと今の話とダブるけど、愛想笑いもこりゃまたシンドイ。

 面白くもクソもない、バカ上司のくだらんオヤジギャグ。これなんか特に最悪で、でもムカつくけど、これも出世のためと思えば仕方のないこと。「まったくサラリーマンもつらいぜぇ......」

 「おっと!」

 と言っても、別にサラリーマンだけの話じゃないのだが、やっぱり無理した表情を作ることって、これだけで要らぬ体力を使ってしまうのは事実。

 その点猫はスゴイ。

 だってホント、猫に愛想笑いは無縁である。

 まさしくポーカーフェイス。

 こんな表情が、いや失礼。こんな無表情でいつもいられるのなら、恐らくこんなに楽なことはないと思う。

 「だけどコレってやったことありますぅ~?」

 はっきり言って、これはこれでかなりシンドイ。

 いや。

 ヘタしたら愛想笑いよりもシンドイのかも......

 「まだまだ修行が足りない証拠である」

 いかがであっただろう。

 とりあえずはここまでだが、現時点での研究報告である。はっきり言ってまだまだってな感じだと思うが、勿論これで終わりにするつもりはない。

 お金を稼ぐのが難しいこの時代、だから何とか使わない方向へと持っていきたい。そのためには工夫が必要となってくる。

 動けばお金がかかる。

 付き合いもお金がかかる。

 そして。

 表情を目まぐるしく変えると、お肌の手入れにもやはりお金がかかる(??)。

 すなわち。

 研究はこの先まだまだ続ける必要があるということである。

 そうそう。

 じゃあこの研究、いつまで続けるのかって?

 答えは言うまでもないだろう。

 猫になるまでである(なれるか!)。


アクセルトレックのブログ-ツボに入った瞬間

 誤解しないでほしい。

 ツボに入った瞬間と言っても、それは『ハクション大魔王』のことではないし、それに如何にも胡散臭いインドのヘビ遣いのことでもない。

 いきなり話は変わるが、毎日毎日を生きていく中で、更にその中でも心の満足感を満たすって部分に関して、皆さんはどういうお考えをお持ちであろうか?

 なんか気難しいオッサン、失礼。オジサン、いや。まあ何でもいいけど、要は何が言いたいのかと言えば、日々の生活に於いて、確かに最も重要視するものは、やはり有り体に言えば、衣食住などといった生活の根幹を成す部分だと思うのだが、だけどそれだけでは短いけどあまりにも長い一生涯、どう考えても退屈してしまう。

 となると、やっぱり暇つぶしも必要となってくる訳で、ただいくら暇つぶしと言ったって、それが無作為で、例えば快楽だけを求めていくのだけでは正直味気無いし、では一体どうすべきかなんてことを考えると、それがたとえ小さなものであるにせよ、少なからずとも満足感を得られるもので成し遂げたい......なんて。こんな風に思う訳である。

 さて。

 ではその小さな満足感なるもの。果たしてどういったものがあるのか。つ~か。これこそが題名及び文頭でもちらっと出た“ツボ”の話。そしてそこに入った瞬間......

 世の中に瞬間接着剤なるものがある。その言葉を捩って言えば、瞬間満足感となるのか。まあはっきり言って瞬間接着剤の前置きは、まるで何の意味もなかったが、と言うか。かぶってるのって瞬間だけだし、まっそれはいいとして(?)、その瞬間に満足感を得る。そしてそれこそが、実は別の言い方をすれば「ツボに入った瞬間」。まさしく一瞬にして満足感という充実感を得ることであるが、じゃあこういう瞬間って、一体どういう時に訪れるのか。

 結論から言ってしまえば、それはあらゆる時、あらゆる場面で訪れる。ちょっと投げやりな答えと勘違いされてしまいそうだが、ホント全然そうじゃなく、要は大切なのはそういうシチュエーションではなく、むしろ気持ちの方。もう少し分かり易く言えば、悲しいものは悲しく、楽しいものは楽しく、ムカつくものはムカつく......などと。これでもまだまだ抽象的過ぎるか。じゃあよし!一つだけ具体例を挙げてみよう。

 「それはズバリ読書!」。

 なんか、みのもんたの番組のような言い様となってしまったが、言い方はともかく、これ程シンプルに然もコストパフォーマンスの高いアイテムって、そうそう思い付かないと思う。

 どこまでも自由に、心の中がそれこそ七変化の如く変化してゆく。確かにそれは飽くまでも想像の世界だし、だから擬似体験となってしまう訳だが、でもじゃあ先に述べたような、要は喜怒哀楽をお手軽且つリーズナブルに、しかも一瞬にして満足感を与えてくれる、そう“ツボ”へと導いてくれる小さいながらも大きな世界って、少なくとも今の僕にとっては、読書以上のものは正直なところ思い浮かばない。

 勿論これ以外にも趣味はある。山登り、釣り、庭いじり......など。確かにそこには喜怒哀楽もあるし、深い満足感を得ることも出来る。ただ残念なのは、これらは一瞬と言う訳にはいかず、と言うか。むしろ結構根気がいるものばかりで、となるとやっぱ一瞬にしてツボに入るという訳にはいかないし......

 このままいくとエンドレス・テープか、もしくは堂々巡りとなってしまいそう。

 そろそろ〆させていただくが、一例として読書を挙げさせてもらったが、勿論この限りではない。ホント何でもいいのである。ただ出来れば無理のない範囲で、特にコスト面が高くついたりしたのでは元も子もないし、何れにせよ、なるべくリーズナブルに良い意味悪い意味その両面共含めて、身近に感動を享受してほしい。

 グルッと周りを見渡してみよう。

 そしてその時に固定観念を取り除いて。

 案外あるんじゃないだろうか。

 “ツボ”に入る何かが。

 その瞬間こそが満足感へとつながる道へとなるんじゃないだろうか......


アクセルトレックのブログ-今しか出来ないこと

 今日はどうやって生きればいいのだろう。

 と言うよりか。

 在り来りだけど、「充実した毎日を送る」には、どうしたらいいのだろう。

 な~んて。

 でも......

 「こんなことって、結構考えません?」。

 急に質問されても困るだろうが、僕は確かにしょっちゅうではないにしろ、だけど時たまこんな事を考える。いや。むしろそういうモードの時は、かなりマジに考える。

 老後の生活。

 65歳定年制度。

 年金暮らし。

 第二の人生。

 など。

 最近良くこんな言葉を耳にするが、果たしてコレって、そんなにも重要なのであろうか。

 いや。失礼。

 別にリタイアライフについて、何も文句を言うつもりはない。人それぞれにはそれぞれの考え方があるだろうし、と言ってもこの部分に関しても、実は少々言いたいこともあるにはあるのだが、でもそれを述べてしまうと違う筋の話になってしまうので今回はやめておくが、ただ。一つだけ言わせてもらえれば、どうもこの部分を考えてしまうと、今をおざなりにしてしまうと言うか、毎日が中途半端になってしまうと言うか。要するにこの部分こそが(どの部分やねん!)今回の話のまさしく主旨なのだが、まあ何れにしても先のことも大切かもしれないが、今はもっと大切じゃないのか。そんなことが言いたい話、という訳。

 譬えは色々とあるだろう。

 だがやっぱりここは山の話で譬えなくてはならない。つ~か。「山の話が出てくるのが遅過ぎ!」こりゃ失礼。

 齢40を過ぎると、どうしても体力が衰えてくる。頭脳の方もまた然りなのだが、だけど頭脳の方は元から「ど~なん?」ってな感もあるので、正直衰え具合は良く分からない。まあそれはともかく、特にここ23年、その体力の衰えをひしひしと感じる機会が多く、「オレもやっぱ歳かなあ~」なんて、認めたくないけど、認めざるを得ないケースが日に日に増えてるような気がする。

 ちょっと物思いに耽るってな図になってしまったが、何もおセンチになりたいのでも何でもなく......「なんだっけ?」。そうそう。体力の衰えであったか。こうなると頭の方も相当にヤバイっていう気もするのだが、何れにしたってホント、最近山に登っててもすぐにバテるし、気持ちは若いつもりでガシガシ登っていても、すぐに後ろからガシガシ抜かれるし、と言って別に誰かと張り合っている訳じゃないんだけど、でもこれってやっぱかなりショックなことで、となるとさっきの話じゃないけど、「今しか出来ないことって絶対あるよなあ~」なんてことを、ついつい考えざるを得なくなる。

 歳を重ねるごとに、円熟味が増すこともあるだろう。だけどそうじゃない、要するに未熟であることのほうがいいこともあるんじゃないかとも思う。それは今も言った体力面もそうだが、あと怖いもの知らずな、良い意味での無鉄砲さとか......他にもあるのだろうが、それらのことって、はっきり言ってその時にしかないし、仮に時が過ぎ、後になって「しまった!」と思ったところで、完璧に後の祭りってな......ちょっとうまく言えないけど、結局先のことはどうなるか誰にも分からないし、確かに老後の生活を心配する気持ちも分からないではないが、だからと言ってそればかりだと、その老後に何か自分のやりたいことが、その年齢になっても何の問題もなく出来るのならいいのだが、そうじゃない場合......つまり山で言えば、その歳で急にクライミングや厳冬期の登山をやりたいと思っても、気持ちばかりで体がついてゆかないなんてことになった場合......「あの時やっておけば良かった!」......こんなことになるんじゃないだろうか?

 あくまでも僕の意見だが、と言うか、僕自身は完全にそう信じ込んでいるのだが、やっぱ今しか出来ないことは、少し言い換えれば、今したいことは、今やるべきだと思う。

 勿論この先の人生設計も大切ではあるだろう。

 だけどじゃあ、その人生設計が如何に完璧なものだったとして、果たしてその通りに事は運ばれていくであろうか。

 決して偉そうに言う訳じゃないが、だけど一つだけはっきりしていることなら分かる。

 それは......

 「誰にも絶対に分からない。」。

 若しくは......

 「なるようにしかならない。」。

 だったら......

 「今しか出来ないことは、今するしかない!」。

 ってことだと思う。


アクセルトレックのブログ-イメージトレーニング

 通常イメージトレーニングって言うと、これから起こるであろう何がしに対して、色々な考えを頭の中で巡らせながら何がしに対して覚悟を決めていくこと。ではないだろうか。

 では果たして僕自身はどうなのであろうか。

 そうなのである。

 実はこれは今僕が大いに悩んでいることなのだが、つまりはそれに関するお話なのである。

 ところで。

 イメージトレーニングと言ったって、色々とあると思う。例えばスポーツ選手が、試合前に今日の試合のイメージを思い描き、そして実際の試合に臨む......これなどは一番メジャーなイメージトレーニングの一つだと思うのだが、今僕が直面して悩んでいる類いとは少し違うような気がする。

 じゃあ一体それは何か。

 所謂人生設計ってやつに近いのかもしれない。

 大なり小なり、僕達はこれからの人生について種々雑多に考える。あーでもない、こーでもないと。はっきり言って先のことなんか誰にも分からないのに。

 かと言って、決して無計画がいいと言ってるのではない。と言うか。逆にもし、「明日は明日の風が吹く」みたいな物の考え方が出来るなら、それはそれで羨ましい限りなのだが、残念ながら僕にはそんな豪放磊落さはないし、ぶっちゃけ言えば、かなり気弱で悲観的、先のことって、決して悪いことばかりとは限らないのに、なぜか不幸なことばかりをシミュレーションして嘆き嘆息する。

 「なんなんだぁぁぁぁぁ!!!!!」。

 全く以ってイライラする限りなのだが、と言ってイライラするだけではホントただ虚しいだけ。だから......

 改めてもう一度。

 イメージトレーニング。

 それは将来に対する生活設計、若しくはシミュレーション。

 何か良く分からないことを色々とほざいてしまったが、そもそもなぜ、と言うか、何でそんなに将来のことが気がかりなのだろう。それにさっきも言ったが、こういうことを考える時って、必ずしもこの先、悪いことばかりが起きるとは決して限らないのに、間違いなく悪いことばかりを想像する。

 恐怖。

 不安。

 災難。

 不幸。

 など。

 何れにしても思い描くのは、こんなような言葉が頭をよぎることばかり。そして......もうやめておこう。

 なんかこんなことばっかりを考えていると、ホント頭がどうにかなってしまいそうである。元々どうにかなってるっていう声もあるにはあるのだが、まあこんなのは無視して進めていくが、何れにしてもこの不景気のせいもあるのかないのか、どうも考えることが基本的には暗い。それにどうも強迫観念が強い。

 だけどどうだろう?

 確かに僕も、こんなのではダメだってことで、それこそ色々な自己啓発本は読んだし、それにセルフコントロールじゃないけど、はっきり言って殆ど無理矢理的にではあるのだが、「ポジティブ・シンキング」な~んて。こんな気持ちに何とか持っていこうと努力はしたし、でも。でもでもでも......。

 「ムリなものはムリ!!!」。

 だいたいポジティブ・シンキングって、何やねん。つ~か。思わず口調まで変わってしまったが、そんな簡単に性格が変えられるもんなら、何の苦労もない。

 良く。自分が変わらなきゃ何も変わらないなんて言葉を耳にするし、目にもするが、言われるまでもなく、変えられるものなら変えてみたい。だけどそれが出来ないからスッゴク悩んでいる訳で、かと言ってこのままでいいなんて勿論思ってないし、と言うか、もしこのままだったらはっきり言って自滅しそうだし、一体全体どうしたらいいのだろう......?

 答えは勿論分からない。

 だってもしそれが分かるんなら、こんなにも毎日毎日悩んでいないし、はっきり言って何の苦労もない。将来なんて誰にも分からないのに、何を基準にしているのか自分自身でも良く分からないシミュレーションを繰り返し、ホント何をやってるんだか。

 毎日今日こそ吹っ切れたと無理矢理にそう思い込む。

 しかし翌日には結局何も吹っ切れてないことに気付く。

 まさしくこんなことの繰り返し。エンドレス。

 この話って一体何だったのだろう?

 決して答えの出ない堂々巡りばかり。

 そしてこうやって今書いてる最中でさえも、やっぱりどうにもならない未来に対して、意味があるとは決して思えないシミュレーションを、そう。イメージトレーニングを行なっている。


アクセルトレックのブログ-孤独に酔う

 酔うと言っても、酒に酔うことではない。

 自分自身に酔うのである。

 しかも孤独に......

 ちょっとハードボイルドチックな感じだが、少なくとも自分自身ではそう信じている。

 一体何の話かと言えば、勿論山登りの話。

 ただ。

 いきなり山から入ってしまうと、それこそ何で冒頭からこんな話を始めたのか、はっきり言って伝え難い。だからちょっと山からは外れてしまうが、まずは違うところから入っていきたいと思う。

 「独りになりたい......」。

 こんな欲望って、特に自分以外の誰かと生活している場合、その誰しもが、それこそ最低でも一度や二度は思い描いたにちがいないと思う。

 勿論この僕も、その中の一人である。

 だけどどうだろう。確かにこんな欲求はあるにせよ、じゃあ一体どうすればってことになると、せいぜい独りで公園へ行くとか、街に繰り出すとか、あとお酒が好きな人だったら、ふらりと酒場に入るとか。など。何れにしてもどうもその場凌ぎ的と言うか、何かこれでは却ってフラストレーションが溜まりそうで、と言うのは、斯くいうこの僕も、これらのことはすでに実行済みで、はっきり言って今一つ納得の出来ないものであった。

 他には空港のロビーや港のフェリー乗り場の待合席で、日がな一日読書に耽る。その更に一歩踏み込んだヴァージョンとして、国際空港や国際線発着フェリーターミナルなんていうのもやるにはやったが、確かに公園なんかに比べると結構ハードボイルド気分ではあったし、それにちょっと国際人になったような気分でもあったし(あくまでも気分)、まあ決して悪くはないのだが、でも何て言うか、はっきり言ってやっぱり不自然。つ~か。何度もやると感動がない、そして飽きてしまう。ってこと。

 もし。金銭的に余裕があれば、独りシブく旅に出る(別にシブくなくてもいいけど)なんて選択枠もあるし、これから少々語る山の話も、遠くの山へ遠征するなんていうのも、正直羨ましい限りなのだが、少々情けない話となってしまうが、これから語るのは飽くまでも近間な山の話。そして今僕が一番孤独に酔うことが出来、いや。ぶっちゃけ言えば唯一自分自身に酔いしれることが出来る空間。ん~それと......まあとにかくそういうこと。

 近間の山と言っても、山はやっぱりデカイ。

 と言うことはバリエーションもそれだけ豊富だってこと。

 先に空港とかの話をしたが、とにかく人工的に造られたものって、基本的に単調だし、何よりも季節や天気の移り変わりなんてものもなく、要はすぐに飽きがきてしまう。

 あと。先に述べたものって、自分で目標を定め、そこに向かって一歩一歩進んでいくなんて行為がなく、だから当然達成感なんていう満足感もないし、それにチャレンジ精神なんていうリスクもないため、あくびや溜め息は出ても、感動する気持ちは出て来ない。

 つまりである。

 ちょっとカッコつけて、自分に酔うとか、ハードボイルド何チャラとか言ってしまったが、正確には、酔うは酔うでも、違う意味での酩酊ってやつで、要は記憶にない程、無我夢中になれる、頭が真っ白になる程に一心不乱になれる。そしてその行為が終わったあとの、何とも言えない達成感と満足感、それに安心感と虚脱感......こう言った感覚に心が満たされ、得も言われぬ充足感で一杯になる。なんてこと。

 何事も自分独りで思慮する。

 何事も自分独りで決断する。

 何事も自分独りで解決する。

 独りで山へ登ると、否が応でもこういった場面に幾度となく遭遇するし、またその都度四苦八苦しながらも、とにかく何かしらのアクションは行なわねばならず、何れにしても結果はどうであれ、何とかしていく以外に道はない。

 山以外でこんな体験が出来ることって、何か他にあるだろうか。

 そりゃ他にもあるだろう。

 でも今の僕にとって、身近な存在っていう意味では、これ以上のものって、はっきり言って山以外には有り得ないし、つ~か。何よりも山がそれだけ好きだってこと。で、ちょっとくどいのかもしれないけど、やっぱりこれって独りだからこそ体感出来る世界で、もしこれが誰かといっしょだと、ついつい甘えが出てしまう。それに......

 結局のところ未だ良く分からないのだが、でも少々ハードボイルドになることやナルシストになること、要は題名通り孤独に酔うことって、決して悪いことじゃない。

 言うか。

 大切なことは何もこんな言葉を並べ立てることじゃない。飽くまでも自分自身の素直な気持ちである。

 不安な気持ちを懐きつつも、独りで何かを成し遂げる。

 決して偉そうに言う訳ではないが、不安定な今の時代には、結構有効的なことなのかもしれない。


アクセルトレックのブログ-万全ナッシング

 いきなり謝っておいた方がいいのかもしれない。

 と言うのは、はっきり言って少々不謹慎な話だからである。

 と言っても、特に誰かに迷惑をかけたとか、そういう類いの話ではないのだが......

 いやぁ~。

 つい先日山へ行ってきたのだが、実はその前の日、少々飲み過ぎてしまったのである。

 相変わらず今年も残暑が厳しく、ホント暑いのなんの。まあはっきり言って言い訳なのだが、そのため少々山登りをさぼってしまっていた。

 約一カ月ぶり。

 9月に入ったため、こりゃ流石にマズイと思い行ったのだが、当然と言えば当然の結果か。その日は朝からヒッドイ二日酔い。

 まあそれでも山に登って一汗かけば、多少なりともマシにはなるだろうなんて甘~い考えで言ったのだが、やっぱりメッチャ甘かった。いやそんなもんじゃない。激激激大甘。

 これが辛いのなんの。

 それに正直暴露してしまえば、何も二日酔いで登るのはこれが初めてではない。実を言うと立山連峰にある、かの剣岳へ登った際にもかなりな二日酔いであったのだが、でも今回はそこに暑さが加わったためか、いや~はっきり言って超最悪!

 少し話は変わるが、夏バテは大丈夫だろうか。

 僕は決して夏に強い人間ではないのだが、それでも食欲はさほど落ちることはなく、比較的体重も安定してるし、まあ夏バテにはあまり縁がないと思っていた。

 ところが。

 どうも今年はその夏バテに苦しめられている。

 と言うか。

 かなりバテている。もうちょい。バテまくっている。

 二日酔い。

 夏バテ。

 そして

 山登り。

 これを図式にするとどうなるのか良く分からないのだが、何れにしてもかなりヤバイ感じ。

 気温は摂氏34度。

 確かに山は、これより幾分涼しいのだろうけど、でも今回行った山は低山であるため、せいぜい低くても3~4度程度。

 取り付き口の地点で、すでに汗が噴き出していたのだが、其処へ持って来てヒドイ二日酔い。しかもその二日酔い&夏バテのために食欲も全くなし。何かすでに終わってるって感じ。

 でもまあ折角来た訳だし、それにさっきの話じゃないけど、何とかふんばってでも歩いて一汗かけば(もうすでに激一汗かいてるちゅ~の!)、少しはこのレロゲロ気持ち悪い二日酔い状態から解放されるんじゃないかと、都合の良い期待を懐いて、とにかく登っていくのは登っていったのだが......

 「オエー!」。

 とにかく気持ち悪い。

 しかも暑さのための汗だけじゃなく、何か冷たい汗までもが噴き出してくる。

 それに何も食ってないからか、腹にも足にも力が入んないし、何でもいいけどヘタリ込みそうだし、とにかく行きたくない!

 その後......。

 結局どうなったのかと言うと、全身汗まみれ、冷や汗まみれ。正直何ども立ち止まり、その都度ヘタリ込みそうになりながらも、何とか最後まで行くには行った。途中「こんにちは!」って挨拶された際も、何とか笑顔で挨拶は返したし(たぶん青白い、いや、青黒い顔で、しかもヒキツリ笑顔で、声は掠れていたと思うけど......?)、まあ四苦八苦しながらも、それにいつもより時間もかかってしまったが、何とか無事に下山出来た訳だから、とにかく良しとするか!

 ホント懲りない男である。

 つ~か。

 我ながらこの性格がイヤになる。

 この後、汗をさっぱり流すため、日帰り温泉へ行ったのだが、その風呂上がりの後のこと。

 確かにまだ若干酒は残っていた。

 「グビグビグビ......プファー!!!」。

 「風呂上がりにはこれが一番だぜ~!!!」。

 それに。

 「二日酔いにはこれが最高に効くぜ~!!!」。

 ただのバカである。

 しかも。

 結構本数を重ねてしまった......