日曜美術館「安宅英一 狂気と礼節のコレクター」(2011年5月22日放送) | 歴史ニュース総合案内

歴史ニュース総合案内

発掘も歴史政治も歴史作品も

 大阪・中之島に建つ東洋磁器の専門博物館、大阪市立東洋陶磁美術館。この美術館の大半の所蔵品は、今はなき貿易商社・安宅(あたか)産業の安宅英一社長(1901~94)のコレクションである。本番組は、そんな安宅が陶磁器収集に注いだ「狂気」とも呼ぶべき情熱にスポットを当てた。私(管理人)はこの陶磁美術館に2回足を運んだが、その時は収集車の社長のことに全く気を留めていなかったことを断っておく。
 今回の逸話のもとになったのは、ビジネスマン時代から安宅の部下として収集に奔走した伊藤郁太郎・元美術館名誉館長が『美の猟犬――安宅コレクション余聞』(日本経済新聞社)に記した事柄。安宅産業は企業の興亡を描いた1980年(?)のドラマ『ザ・商社』のモデルにもなったが、そこで館長は社長の好む美術品を収集するために奔走する係のモデルとなった。今回は、この時奔走役を演じた森本レオが「猟犬」の読み上げ役を務めている。
 安宅はピアニストになるのが少年時代の夢だったが、商社社長の長男だったため後を継がされることになり、夢を断念する。それを埋め合わせるためにのめり込んだのが東アジアの陶磁器の収集活動だった。社内に特別の部署までつくり、事業として積極的に取り組んだ。大阪の本社4階には、美術館の如き収蔵館ができてさえいた。ドラマの中では、収集熱を無駄遣いと感じる役員に対して、「今買わねばもっと値上がりする」とすごむ場面があった。実生活でも、美術品を売りに来る古美術商には客なのに深く頭を下げた。美術商ではなく、持ってきた美術品に頭を下げているのである。
 その収集熱が最も高じたのが、美術鑑定家の廣田不孤斎から明の「五彩松下高士図面盆」を購入する時である。廣田は誰かに見せると手放す羽目になるとこの盆をみせようとしなかったが、安宅はどこからか情報を入手し、譲ってくれるよう要請した。当然廣田は断りの手紙を書いたが、安宅はその手紙を掛け軸化して室内に飾ったのである。これを安宅との面会時に目撃した廣田は、熱意にすっかり根負けし、この面盆ばかりか北宋期の「白磁刻花蓮花文洗」まで譲ったのだった。陶磁美術館の誇る所蔵品たる南宋時代の「油滴天目 茶碗」は豊臣秀次の手から若狭酒井家の伝世品となったが、これも熱意で酒井家の当主を口落とした。
 安宅は中国の唐から明にかけての名品だけでなく、朝鮮半島の陶磁器収集にも熱を注いだ。高麗青磁と朝鮮白磁は中国のものと比べ、デザインに柔らかみがあるという。本番組ではごつごつした感じから「べんけい」と名付けられた「粉青白地象嵌 条線文祭器」や、「げんこつ」と名付けられた「黒釉扁壷」等が紹介された。安宅は寡黙だったため、「中国と朝鮮半島の陶磁器、どちらの方が好きですか?」と聞かれて、数分考えてから「そうですね」と答えたら「宋ですね」ととられて、それが展覧会の解説に反映されたエピソードがあるようだ(東京の智(とも)美術館館長)。
 ピアニスト中村紘子と交遊の深い安宅は、音楽への情熱も捨てず、様々な支援事業を行った。しかし、本業の安宅産業は1977年石油ショックの余波を受けて倒産。美術品は価値を認めた大阪市に引き取られてしまう。このおかげで、現在の東洋陶磁美術館があるのだが、収集にあれほど熱心だった安宅は最後には「コレクションは誰が持っていても同じ」という考えに至ったのだった。