そう。だから、いろいろな事実が歴史には組み合わさっていて、
もちろん、神社はそうした神聖な部分もその土地の神様や人々の祈りも重なっています
ですから、悪という歴史がそこに重なっていても、事実はいくつも組み合わさっているようです。
ですから、この方の面白い記事も、ああ、こういうことか、という側面で見れば、全面的に受け入れることはありませんし、事実がよく理解できると思います
それを確かめもしないで見もしないで 悪はない、ワクチンはいいもの、すべて、企業様、病院様、財布様は間違っていないというのは危険です。
わたしたちはもともとスピリチュアルな存在ですから、スピリチュアルというより、人の生をまっとうして生きようということで、ここにきました
ですから、スピリチュアルな話は好きな人嫌いな人がいるものですし、なんでもかんでも 事実もこれは精神世界の話、 家畜である庶民は知る必要なし!となってしまっています。
わたしたちが、なにも痛みを感じなければ、今度は、じゃあ、イスラームのところに生まれて、そこを体験しよう、となるかもしれません。
イスラームはいいところもいっぱいもっていますが、書いているようにその反面も大きいです。
ですから、痛みを知る、バランスを知るということは大事なことです。
カルマとしての生を送る場合は、スピリチュアルとかそういうものに触れないような設定がなされているかもしれません。
しかし、わたしたちが たのしい生も苦しい生も生きる時、やはり、感謝する存在 空や風にいちいちありがとうというのではなくて、かみさまという全体に言おう、とこうなっているわけです。
苦しいときは、頼みます。どうか、生活がもっと楽になり、楽しくなりますように。
友人とか 親しい人ができますように
こうして、わたしたちのこころは沈まなくて済むわけです
なにもかにも、政府とか法律とか教育がすべて方向をつくるものや 悪の依存症を次の世代まで引き継がせることにNOをいうなど、
わたしたちには今の時代、今、この時がきたので、言える、表現できる、するべきと思います
消費税もそうですが、いちいちそういったことでバランスを失う規制を進めたり、裁判のような国にさせたら、とても窮屈に感じるのではないでしょうか
そうしたことを心にとめるのと まったく組織のこどもや他人の痛みなんて、どうでもいいというのとでは、かなりの差があるし、
せっかく今、ここに いるのですから、知らないでいるということはかなりもったいないことだと思います
神様に感謝するように、自然に知っていけば、何も調べず、ワクチンでこどもが発達障害になったと涙を流す必要はないと思うのです