前の記事からあまりに長い時間がたってしまいました。

3月は多くのことを抱えてやってきて怒涛のように

去ろうとしています。

夫は2年の単身赴任を終えて、4月から自宅から

通える職場勤務となりました。

その与えられた場所は彼に与えられるにはあまりに

過酷、彼に対する過小評価と言えなくもない場所です。


人が人を評価する時に何をもって評価するのか。

きっと一般企業でもそうなのでしょうね。

人事がクソでうまくいくものもいかないってことが・・・


かつて次男が中学校の時に彼が友人と話していたら

それを見ていた別の生徒が「先生、○○君たちが

僕が太っているって悪口言っていました」と言いに

言ったそうです。そして真偽のほども確認されること

なく担任は

通知表のコメント欄(後々までの記録として残るもの)

にそれを書いちゃった事件がありました。 

だいたい息子も太っていたわけでそんなこと言うわけ

ないじゃん。 息子は寝耳に水と担任を一時恨んでい

ましたが、その後はケロリ。

人が人を評価するというのは難しく適正な評価とは

かなり骨の折れる仕事なのでしょうね。

私は今でもその女性教諭を恨んでいます。

私はしつこいんです。(バカ野郎・・・女性だからバカ女郎?)


人が人を評価することは難しいですね。 本当に。

現在は夫は新しい職場に夢と希望を抱き、

喜んで迎えてくれているスタッフと共に未来への

心的、知的財産の構築に邁進しようとしております。


いろいろ書きましたが、実はちっちゃいことだとわかって

います。ピーター・パンの作者ジェームス・マシュー・バリ

は6歳の時にすぐ上の兄を事故で亡くし、半狂乱の母を

支え続け、女性を女性として愛せない自分に気づきます。

母性を求め続けるのです。ママ半狂乱だったからね。

でも、スコットランド人は「勤勉さを社会の利益に還元する」

とする哲学をもち、それはバリの家族ももっていて、

貧しいながらもエディンバラ大学で学ぶ恩恵を授かり

多くの著名人と語らい(おそらくパブでも)能力が磨かれ

創造力・人間愛がそれと合体し

ピーター・パン(黄泉の国まで早逝の子達のお供をする妖精)

は生まれました。今だったらカウンセラー、

精神科医のところへ向かうべきバリがピーター・パン

を書くことで自らのコンプレックスを人間愛にまで昇華

できたことは尊敬という言葉以外に適する語がうかびません。


人間はマイナスのことがないとダメなのかもしれません。

今目の前にあるマイナスはこれからやってくるプラスの

入口なのかもしれません。

弥生、三月、夢見月

あなたの夢が叶うといいね

弥生、三月、夢見月


これから引っ越し先に向かいます。 明日、搬出のため。

3月が素敵な時間をのせて4月にバトンタッチ

されますように!

行ってきます。 

レポートきつい。早く終わりたい通信学生生活。