思えばこの1月から2月にかけてのヨーロッパの旅が転機だったのかも知れない。
想像力、そして創造力。
そしてフィルターを挟まずに自然体で物事を感じる人生と日常のしがらみとの衝突。
日本に拠点を置いてこれで6年。常にそれを感じて生きてきたと思う。日本を楽しんだのはどちらかと云うと音楽家としてと云うよりはプライベートの人生での文化との触れ合い、人との触れ合い、そういう出会いの方が遥かに多い気がする。
いい意味での「狂人」の多いニューヨーク。それぞれが「それぞれの常識」を持ち、自然体で生きつつも葛藤を経験してお互いを高め、アクティブに無言に音の会話を通して競う。
やはりみなぎるエネルギーの衝突は楽しい。杭を打つんじゃなくてお互いが高める。狭義で小さい正しさなんぞ求めずに自分の正しさを傲慢なまでに守り、その中でお互いから学ぶ。
形だけ敬意を払うんじゃなくて、凄さが回りに日常的にあるからそれに自然と敬意を払うんだ。それによって相手もオレの出す魂のエネルギーの凄みに敬意を払い、学ぶ。
後腐れなくていいじゃないか。
勿論、ニューヨークとか他の文化都市にも優れた団体や人間の中にもレベルの低い争いはある。でも、それぞれがそれぞれの身を置く環境をきっちり選ぶ。
この6年、なぜ画家藤田嗣治は日本を永遠に去ったのだろうという事を思い浮かべていた。絶対に彼は日本が嫌いだったのではない。それだけは言えると思う。
彼の言葉には表面的に誤解を招きやすかったり、鼻に付いたりするのを感じる人がいるとは思う。
しかしだ。
「記録」に残る人の発言に恒久的な意味合いを持たせるのは受け手に特定な意図のある時で、たまたまその発言が独り歩きしても害にならない程度の肯定の意味を持てば本人がそれを否定しないだけである。だから否定的なニュアンスが特定の発言から醸し出されるときに宣伝媒体とその影響を受けた受け手は暴力的である。発言者の意図よりも受け手の咨意的解釈を押し通し、本意を圧殺する。
それを感じながら思うこと。
異質の物に対して羨望的コンプレックスを抱く対象は崇拝し、それ以外の異質物にはパッシブ・アグレッシブな猜疑心を抱く空気が漂っている。
つまり無言の拒否、受容を擬装した拒否である。
それはよく「日本人的」と表現される事もある。
ただし、それは日本が風土、歴史的経緯を経てたまたまそうなった訳で「日本人だから●●なんだ」というのは間違っている。
オレによく「アメリカン」だとか「日本人らしくない」とか感じるヤツらに対してオレがいつも思ってるのは「ふざけんな、テメーらの日本人らしさというのは住んでいることで自然に定着した土着的要素というほんの一部だけで本当の日本人らしさを知らないのはどっちだ!」
であった。
「そんなこと思ってない」
という人に限ってそういうオーラを出すし、出る杭は打たれてほしいという運命を共有したがる。「さーし」の文化である。オレもたまに冗談で使うが、使うニュアンス、TPOは限定する。
と言う思いを胸に持ち悶々としていたのが多分去年ぐらいまでかなあ。勿論その葛藤を持ちながらも自分の持つ物は出していた。
しかし、段々その葛藤に対して受容の方向に追い込まれる頻度が増えてきたかなという矢先にこのヨーロッパの旅があった。
それを通して無限の発想、自分の中からのエネルギーの引き出し方とコミュニケーションの自由さが雷に打たれたかのように戻ってきた。
「フィジカルは歳を重ねるごとに落ちるもの」
というのは事実の一部を映し出す。しかし、劣化に対して効率が上がる度合いが高ければフィジカルは「上がる」し、自分の感性、精神、脳ミソから出る信号が、守りの発想とインスピレーションの発想では二桁レベルで違うものだ。
自分はその「自然体の超人発想」が一番自然な考え方だった事に気付いた。そして今までの自分の演奏面での発想の小さな先入観を取っ払った。
プラスオーラ・マイナスイオンのエネルギーの感じ方が戻ってきた。
過渡期を経て、先月辺りにその発想が自然になった。
そして今月やったジマジンでのライヴ、京大のパートレッスンの時に、物質から解放されてエネルギーを感じる感覚が来た。
コードを読むんじゃなくて空気を読むと云う発想で自由に描いた感覚。
台湾での台北ジャズ・オーケストラの初リハだが、渡されていた譜面と実際にやる譜面はことごとく違ったから殆ど初見。まあ初見には絶対の自信があるからそれは問題じゃなかった。ただ、自分が余りにも死んだオーラで吹いていて惨めな感じだった。
この時点でこの出来だったら陰惨だったかも知れない。でも何故か心は静かで、ディレクターのジミーに「自分の中で何をすべきかがクリアーになったから問題ないよ」と言っていた。そして休憩後に自由が戻ってくるのが手に取るように判り、アンコール曲のゴードン・グッドウィンの「Backrow Politics」をブッぱなした笑
何よりも、デニス・ウィックの5Eを物凄く楽に扱えた。一番暴風のようなラッパで全てを吹き倒せた狂気のエネルギーのピッツバーグ・コレクティブ時代よりもコントロールが格段に良く、コンパクトに吹き込める。不思議だった。これはヨーロッパで考え付いたアンブシュアのバランスを実践して初めて解った事だった。
二日目はさらに自然、今までの自分では考え付かなかった境地の発想が自然に出てくる。アイデアが湧く。湧きまくる。なんだこれは。自由だ!
本番ではロー・フリューゲルの曲、フリューゲルでのファンク・バラード、ハイテンションの延々と続くミディアムアップのトランペットソロバトルに〆のハイAb、そしてフリューゲルのやさしい静寂な曲、デューク・エリントンのフリューゲル→トランペット持ち替えの曲、そしてハイテンションのオープンソロのファンク、そしてBackrow Politics.
ぶっちゃけ、去年のオレだったら無理だったかも。
去年は諸要素が重なってリード奏者としての自身の限界なんて普段絶対考えないことを考えていたしね。
でも、なぜかこの本番は「会場を支配」するオーラの強さと平和な空気感が自分から感じられた。
結果、楽々乗り切った。もう1セット出来そうなぐらい余裕があった。
マイクを使い慣れた、てのもあるかもね笑
今まではどんなでかい会場でも編成でも生音で通してたから笑
最近の演奏会で最も平和で幸せな気持ちで音楽を創れた。
どんなに自然体でいようとしてもその自然体を守るためにオレは常に日本では戦っていた。自分の中で。
でも今は自然体だ。
自然体ってそう言うものだ。
It's either you ARE or you ARE NOT.
さて、寝るかな
想像力、そして創造力。
そしてフィルターを挟まずに自然体で物事を感じる人生と日常のしがらみとの衝突。
日本に拠点を置いてこれで6年。常にそれを感じて生きてきたと思う。日本を楽しんだのはどちらかと云うと音楽家としてと云うよりはプライベートの人生での文化との触れ合い、人との触れ合い、そういう出会いの方が遥かに多い気がする。
いい意味での「狂人」の多いニューヨーク。それぞれが「それぞれの常識」を持ち、自然体で生きつつも葛藤を経験してお互いを高め、アクティブに無言に音の会話を通して競う。
やはりみなぎるエネルギーの衝突は楽しい。杭を打つんじゃなくてお互いが高める。狭義で小さい正しさなんぞ求めずに自分の正しさを傲慢なまでに守り、その中でお互いから学ぶ。
形だけ敬意を払うんじゃなくて、凄さが回りに日常的にあるからそれに自然と敬意を払うんだ。それによって相手もオレの出す魂のエネルギーの凄みに敬意を払い、学ぶ。
後腐れなくていいじゃないか。
勿論、ニューヨークとか他の文化都市にも優れた団体や人間の中にもレベルの低い争いはある。でも、それぞれがそれぞれの身を置く環境をきっちり選ぶ。
この6年、なぜ画家藤田嗣治は日本を永遠に去ったのだろうという事を思い浮かべていた。絶対に彼は日本が嫌いだったのではない。それだけは言えると思う。
彼の言葉には表面的に誤解を招きやすかったり、鼻に付いたりするのを感じる人がいるとは思う。
しかしだ。
「記録」に残る人の発言に恒久的な意味合いを持たせるのは受け手に特定な意図のある時で、たまたまその発言が独り歩きしても害にならない程度の肯定の意味を持てば本人がそれを否定しないだけである。だから否定的なニュアンスが特定の発言から醸し出されるときに宣伝媒体とその影響を受けた受け手は暴力的である。発言者の意図よりも受け手の咨意的解釈を押し通し、本意を圧殺する。
それを感じながら思うこと。
異質の物に対して羨望的コンプレックスを抱く対象は崇拝し、それ以外の異質物にはパッシブ・アグレッシブな猜疑心を抱く空気が漂っている。
つまり無言の拒否、受容を擬装した拒否である。
それはよく「日本人的」と表現される事もある。
ただし、それは日本が風土、歴史的経緯を経てたまたまそうなった訳で「日本人だから●●なんだ」というのは間違っている。
オレによく「アメリカン」だとか「日本人らしくない」とか感じるヤツらに対してオレがいつも思ってるのは「ふざけんな、テメーらの日本人らしさというのは住んでいることで自然に定着した土着的要素というほんの一部だけで本当の日本人らしさを知らないのはどっちだ!」
であった。
「そんなこと思ってない」
という人に限ってそういうオーラを出すし、出る杭は打たれてほしいという運命を共有したがる。「さーし」の文化である。オレもたまに冗談で使うが、使うニュアンス、TPOは限定する。
と言う思いを胸に持ち悶々としていたのが多分去年ぐらいまでかなあ。勿論その葛藤を持ちながらも自分の持つ物は出していた。
しかし、段々その葛藤に対して受容の方向に追い込まれる頻度が増えてきたかなという矢先にこのヨーロッパの旅があった。
それを通して無限の発想、自分の中からのエネルギーの引き出し方とコミュニケーションの自由さが雷に打たれたかのように戻ってきた。
「フィジカルは歳を重ねるごとに落ちるもの」
というのは事実の一部を映し出す。しかし、劣化に対して効率が上がる度合いが高ければフィジカルは「上がる」し、自分の感性、精神、脳ミソから出る信号が、守りの発想とインスピレーションの発想では二桁レベルで違うものだ。
自分はその「自然体の超人発想」が一番自然な考え方だった事に気付いた。そして今までの自分の演奏面での発想の小さな先入観を取っ払った。
プラスオーラ・マイナスイオンのエネルギーの感じ方が戻ってきた。
過渡期を経て、先月辺りにその発想が自然になった。
そして今月やったジマジンでのライヴ、京大のパートレッスンの時に、物質から解放されてエネルギーを感じる感覚が来た。
コードを読むんじゃなくて空気を読むと云う発想で自由に描いた感覚。
台湾での台北ジャズ・オーケストラの初リハだが、渡されていた譜面と実際にやる譜面はことごとく違ったから殆ど初見。まあ初見には絶対の自信があるからそれは問題じゃなかった。ただ、自分が余りにも死んだオーラで吹いていて惨めな感じだった。
この時点でこの出来だったら陰惨だったかも知れない。でも何故か心は静かで、ディレクターのジミーに「自分の中で何をすべきかがクリアーになったから問題ないよ」と言っていた。そして休憩後に自由が戻ってくるのが手に取るように判り、アンコール曲のゴードン・グッドウィンの「Backrow Politics」をブッぱなした笑
何よりも、デニス・ウィックの5Eを物凄く楽に扱えた。一番暴風のようなラッパで全てを吹き倒せた狂気のエネルギーのピッツバーグ・コレクティブ時代よりもコントロールが格段に良く、コンパクトに吹き込める。不思議だった。これはヨーロッパで考え付いたアンブシュアのバランスを実践して初めて解った事だった。
二日目はさらに自然、今までの自分では考え付かなかった境地の発想が自然に出てくる。アイデアが湧く。湧きまくる。なんだこれは。自由だ!
本番ではロー・フリューゲルの曲、フリューゲルでのファンク・バラード、ハイテンションの延々と続くミディアムアップのトランペットソロバトルに〆のハイAb、そしてフリューゲルのやさしい静寂な曲、デューク・エリントンのフリューゲル→トランペット持ち替えの曲、そしてハイテンションのオープンソロのファンク、そしてBackrow Politics.
ぶっちゃけ、去年のオレだったら無理だったかも。
去年は諸要素が重なってリード奏者としての自身の限界なんて普段絶対考えないことを考えていたしね。
でも、なぜかこの本番は「会場を支配」するオーラの強さと平和な空気感が自分から感じられた。
結果、楽々乗り切った。もう1セット出来そうなぐらい余裕があった。
マイクを使い慣れた、てのもあるかもね笑
今まではどんなでかい会場でも編成でも生音で通してたから笑
最近の演奏会で最も平和で幸せな気持ちで音楽を創れた。
どんなに自然体でいようとしてもその自然体を守るためにオレは常に日本では戦っていた。自分の中で。
でも今は自然体だ。
自然体ってそう言うものだ。
It's either you ARE or you ARE NOT.
さて、寝るかな